萌えてばかりもいられない!

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追悼 ミック・カーン JAPANの思い出

2011-01-17 06:41:02 | No Music, maybe, No my Life!
この前、JAPANのメンバー、ベースのミック・カーンが亡くなったというニュースに驚いた(1月4日)。まだまだ若いはずだ、と思ったからだ。

中学時代に洋楽が自分の身の回りに溢れ出し、ミュージック・トマト(ミュートマ)などをよく観ていました。神奈川を初めとして結構地方局は洋楽をしかもイギリス系のものを流していたようなイメージがあります。シャーリー富岡に、マイケル富岡が司会をしていたり、。。。

もちろん、ベストヒットUSAが放送されていて、MTVが深夜にかかりだすというPVの流行りが自宅にビデオが普及しだすのも手伝って、大増殖をはじめだすころであった。

中学時代はまずはニュー・ウェイブ、ニュー・ロマンティックというジャンルが流行りだした。

筆頭は、デュラン・デュランとJAPANだった。他にはカジャ・グーグー、そしてリマール。

デュラン・デュランの方はとても分かりやすいメロディだったが、JAPANの方はとても不思議な音楽だった。どこかワールド・ミュージックっぽく、不思議な音色の音楽で、とくに中国を意識したような感じの音楽だった。そしてデヴィッドも独特な唄い方だったし。

友達は「その二つのバンドが同時に好きだなんて云うのはどこかおかしい」とよく云っていたが、まぁ分からなくもない。

フレットがないベースを弾いているミック・カーンは、正統な弦楽器がみなフレットなどないのに、ロックな世界では結構珍しかったため(ロカビリーなウッドベースは例外)、それだけで、凄い!と云われていた。

ミック・カーンは、デヴィッド・シルビアン、スティーヴ・ジャンセンの二人の兄弟の甘いマスクとは対照的に、どこかデヴィッド・ボウイのようなグラム・ロックの後継のような、妖しい雰囲気を醸していた。ベースを弾きながら横に歩くとか(笑)

YMOや土屋昌巳とも親交が深く、特にYMOが海外のアーティストに影響を与えたという筆頭に、このJAPANがあったはずで、ミックは何度も土屋昌巳と共演もしている。

今でこそ、いい音楽に洋楽も邦楽もない!というスタンスに立っているが、思春期の洋楽は、幕末の黒船にも似ていて、演歌や歌謡曲、そして当時は今にも死んじゃいそうな音楽だなぁと思っていたニュー・ミュージック(すいません、今ではちゃんと聴き直しています!)などの邦楽しか聴いたことのない私には、到来した年代と相俟って衝撃的な毎日だった。

ミックはそんな中に、デュラン・デュランのジョン・テイラーとは違い、独特な匂いをもったミュージシャンとして憧憬の的でありました。


Japan - Quiet Life


Japan - Gentlemen Take Polaroids


JAPAN TALKING DRUM
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