敢えて1日外して、七夕の想い出なんぞを―。
と思ったのだが、素敵なエピソードがひとつもないことに気づく。
町の七夕祭りで調子に乗って飲み食いをし、ひどい下痢に悩まされたとか、しょーもない想い出しかない。
だからテーマを少し変えて「願いごと」「夢」について。
いちばん最初の夢は、確か漫画家だった。
小学生のころの「ぼくの夢」にも、そう記されている。
書く/描くという表記のちがいがあるだけで、現在との「ブレ」があまりないことに自分で感心したり。
実際、いくつかの習作を手がけている。
『キャプテン翼』や『キン肉マン』をパクッただけのものではあるが、本コラムでも度々いっているとおり、表現というものは模倣から始まるので無問題、大事なのは完結させること、途中で投げ出さないことで、
じゃあどうだったのかというと、残念ながら仕上げ切ることが出来なかった。
というか、描いている段階で「あ、自分、絵の才能ないかも」と痛感し、気持ちが萎えてしまったのである。
サッカーボールの「まる」を描けない。
ゴールネットを描き切る気力がない。
プロレスリングは描けたが、観衆を描くのが面倒臭い。
ダメじゃん! って。
こんな風にして漫画家への道は早々と途切れ、と同時に『週刊少年ジャンプ』を購読するのもやめてしまった。(ちょうど『キン肉マン』が連載終了したころである)
そのあと―バンドブームに乗っかってドラムに手を出してみたり、
たいへん失礼でなめた考えではあるが、響きが格好いいからと青年海外協力隊に入りたい、、、などと思ったりもしていた。
していたが、漫画家のように「けっこう本気になってみる」というところまでいかなかった。
映画の魔力に取り憑かれるのはこのころだった。
なにしろ映画は、「オメーなんか、お呼びじゃない」とはいわない。
どれだけの「ろくでなし」でも、温かく迎えてくれる。
中学生のころ、そこまではっきり捉えていたわけではないけれど「自分のようなヤツだって、生きていていいんだよ」と、映画に教わったような気がした。
こうして映画小僧が出来上がる。
ただこの段階では、映画に救われたというだけで、映画の仕事をやってみたいと思っていたわけではなかった。
クラスメイトたちは前述したようにバンドブームだったこともあり、休み時間はみんなベース(きまって、ベースであった)の練習をしている。
群馬だからボウイのコピーバンドばかりだったが、オリジナルをやりたがる連中も少なからず居た。
そのなかのひとりが、「まっき~、詩を書いてくれないか」といってきた。
「俺が?」
「ドラムも下手だし、昔描いた漫画もひどいものだったけれど、まっき~は文才はあるから」
最初は貶して、後半に持ち上げる―自分、この評価に弱い笑
というわけで、いくつか詩を書いた。
結局は作曲が出来るものが居なかったために「幻の曲」で終わってしまったのだが、詩そのものは(バンド間で)評価を受けた。
そうか自分、文章は巧いのか。いけるのか。
そういや必ず読書感想文や自由作文はクラス代表に選出されていたっけ。
これだけは負けたくないと、クラスで最も成績のいい秀才くんに戦いを挑んでいたっけ。
ふと気づいたら、
大学ノートやわら半紙の裏を使って、映画批評やシナリオを書き始めた。
高校1年のころである。
漫画家のように短冊に「願いごと」「夢」として記したことはないけれど、それが自然の流れであるかのようにモノを書くようになった。
現在、ありがたいことに、これを生業とすることが「なんとか」出来ている。
若干、方向性に疑問はあり、、、ではあるが。
とりあえず映画と、あのとき詩の創作を依頼してくれたクラスメイトに礼をいっておきたい。
どうもありがとう。
自分が女子であれば、ディープキスのひとつでもくれたやりたいところだけれどね!!
※ ♪ 天下を取りにいくぜ ♪ と歌っていたら、ほんとうにそうなった
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『ヘンクツ映画小僧版「午前十時の映画祭:外国篇」(前)』
と思ったのだが、素敵なエピソードがひとつもないことに気づく。
町の七夕祭りで調子に乗って飲み食いをし、ひどい下痢に悩まされたとか、しょーもない想い出しかない。
だからテーマを少し変えて「願いごと」「夢」について。
いちばん最初の夢は、確か漫画家だった。
小学生のころの「ぼくの夢」にも、そう記されている。
書く/描くという表記のちがいがあるだけで、現在との「ブレ」があまりないことに自分で感心したり。
実際、いくつかの習作を手がけている。
『キャプテン翼』や『キン肉マン』をパクッただけのものではあるが、本コラムでも度々いっているとおり、表現というものは模倣から始まるので無問題、大事なのは完結させること、途中で投げ出さないことで、
じゃあどうだったのかというと、残念ながら仕上げ切ることが出来なかった。
というか、描いている段階で「あ、自分、絵の才能ないかも」と痛感し、気持ちが萎えてしまったのである。
サッカーボールの「まる」を描けない。
ゴールネットを描き切る気力がない。
プロレスリングは描けたが、観衆を描くのが面倒臭い。
ダメじゃん! って。
こんな風にして漫画家への道は早々と途切れ、と同時に『週刊少年ジャンプ』を購読するのもやめてしまった。(ちょうど『キン肉マン』が連載終了したころである)
そのあと―バンドブームに乗っかってドラムに手を出してみたり、
たいへん失礼でなめた考えではあるが、響きが格好いいからと青年海外協力隊に入りたい、、、などと思ったりもしていた。
していたが、漫画家のように「けっこう本気になってみる」というところまでいかなかった。
映画の魔力に取り憑かれるのはこのころだった。
なにしろ映画は、「オメーなんか、お呼びじゃない」とはいわない。
どれだけの「ろくでなし」でも、温かく迎えてくれる。
中学生のころ、そこまではっきり捉えていたわけではないけれど「自分のようなヤツだって、生きていていいんだよ」と、映画に教わったような気がした。
こうして映画小僧が出来上がる。
ただこの段階では、映画に救われたというだけで、映画の仕事をやってみたいと思っていたわけではなかった。
クラスメイトたちは前述したようにバンドブームだったこともあり、休み時間はみんなベース(きまって、ベースであった)の練習をしている。
群馬だからボウイのコピーバンドばかりだったが、オリジナルをやりたがる連中も少なからず居た。
そのなかのひとりが、「まっき~、詩を書いてくれないか」といってきた。
「俺が?」
「ドラムも下手だし、昔描いた漫画もひどいものだったけれど、まっき~は文才はあるから」
最初は貶して、後半に持ち上げる―自分、この評価に弱い笑
というわけで、いくつか詩を書いた。
結局は作曲が出来るものが居なかったために「幻の曲」で終わってしまったのだが、詩そのものは(バンド間で)評価を受けた。
そうか自分、文章は巧いのか。いけるのか。
そういや必ず読書感想文や自由作文はクラス代表に選出されていたっけ。
これだけは負けたくないと、クラスで最も成績のいい秀才くんに戦いを挑んでいたっけ。
ふと気づいたら、
大学ノートやわら半紙の裏を使って、映画批評やシナリオを書き始めた。
高校1年のころである。
漫画家のように短冊に「願いごと」「夢」として記したことはないけれど、それが自然の流れであるかのようにモノを書くようになった。
現在、ありがたいことに、これを生業とすることが「なんとか」出来ている。
若干、方向性に疑問はあり、、、ではあるが。
とりあえず映画と、あのとき詩の創作を依頼してくれたクラスメイトに礼をいっておきたい。
どうもありがとう。
自分が女子であれば、ディープキスのひとつでもくれたやりたいところだけれどね!!
※ ♪ 天下を取りにいくぜ ♪ と歌っていたら、ほんとうにそうなった
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『ヘンクツ映画小僧版「午前十時の映画祭:外国篇」(前)』