30年7月27日・・・おや、もう少しで誕生日ですね、現在82歳!
兵庫出身。
いろんな側面から語ることの出来る高島忠夫(たかしま・ただお)さん、、、ですが、ここでは二点に絞って。
(1)自分は随分前の、編集長が中瀬ゆかりだったころの『新潮45』による「封印された芸能史」みたいな企画記事で、生後5ヶ月だった長男くんが家政婦によって殺害されたことを知りました。
つい最近、夫人の寿美花代による「(この事件を)ずっと引きずっていた」という告白で「知らなかった」「初めて知った」というひとも多く、それはだから、『新潮45』がいうとおり「封印されたもの」だったからでしょう。
この件に関して突っ込んで書くことはしませんが、信用していたであろう家政婦っていうのがまた、高島夫妻を苦悩させたのではないでしょうか・・・。
(2)俳優であって、映画批評家ではない。映画に造詣が深い、というわけでもなさそう。
他局では淀川先生や荻昌弘がユニークな視点で映画を解説していたものだから、フジテレビの『ゴールデン洋画劇場』における高島さんの解説、個人的には軽くて軽くて、好きになれませんでした。
ずっと、ずぅぅぅぅぅぅーーーーっと、「なぜこのひとがやっているんだ??」と、疑問に思っていたのです。
後年、TBSは小堺一機を起用して映画番組を放送。
これには否定的でなかったのに、高島さんは受け入れることが出来なかった。
なぜなのかは、自分でもよく分かりません。
分かり易さはあったのですけれど。
<経歴>
夫人は女優の寿美花代、長男は俳優の高嶋政宏、次男も俳優で高嶋政伸、姪にヴァイオリニストの高嶋ちさ子。
中学時代のクラスメイトには、あの小松左京が居たのだとか。
新東宝のニューフェイスに合格し、第1期生として映画界へ。
映画俳優デビュー作は、52年の『恋の応援団長』。
初主演は同年の『チョイト姐さん思い出柳』で、新人としては恵まれたキャリアのスタートだったようです。
56年―『坊ちゃんの逆襲』から始まる「坊ちゃんシリーズ」(=『坊ちゃんの主将』『坊ちゃん野球王』など58年までつづく)がスマッシュヒットを記録し、スターの仲間入りを果たす。
『明治天皇と日露大戦争』(57)、『珍品堂主人』(60)、『雲の上団五郎一座』(62)、『キングコング対ゴジラ』(62)。
『君も出世ができる』(64)、『じゃじゃ馬ならし』(66)、『陸軍落語兵』(71)。
キャリアを眺めてみて・・・というか、眺めるまでもなく、自分、高島さんを映画俳優として捉えていないことに気づきました。
映画解説者として認めず、かといって映画俳優とも思っていない。
それ、ひどくね? なんて。
ではいったい、何者なのか。
テレビの司会進行のひと、、、なのですよね。
あ、あくまでも自分にとってですよ。
かーちゃんが好きだった料理番組『ごちそうさま』(日本テレビ)、そして『クイズ・ドレミファドン!』(フジテレビ)の印象が強いのだと思います。
しかし98年―重度のうつ病に罹り、すべての仕事を降板して治療にあたる。
翌年に仕事復帰するも再発し、再び治療に専念する。
2007年、完全復帰。
阪神大震災で実家が全壊するなど、つらいことが重なったのも要因だったのでしょうか。
映画出演などは控えたままですが、最も新しい作品は94年の『女ざかり』です。
前述したように俳優として認識出来ていなかったので、この映画を観返してみようかしら。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
3連続で、いきます。
『にっぽん男優列伝(198)高嶋政伸』
兵庫出身。
いろんな側面から語ることの出来る高島忠夫(たかしま・ただお)さん、、、ですが、ここでは二点に絞って。
(1)自分は随分前の、編集長が中瀬ゆかりだったころの『新潮45』による「封印された芸能史」みたいな企画記事で、生後5ヶ月だった長男くんが家政婦によって殺害されたことを知りました。
つい最近、夫人の寿美花代による「(この事件を)ずっと引きずっていた」という告白で「知らなかった」「初めて知った」というひとも多く、それはだから、『新潮45』がいうとおり「封印されたもの」だったからでしょう。
この件に関して突っ込んで書くことはしませんが、信用していたであろう家政婦っていうのがまた、高島夫妻を苦悩させたのではないでしょうか・・・。
(2)俳優であって、映画批評家ではない。映画に造詣が深い、というわけでもなさそう。
他局では淀川先生や荻昌弘がユニークな視点で映画を解説していたものだから、フジテレビの『ゴールデン洋画劇場』における高島さんの解説、個人的には軽くて軽くて、好きになれませんでした。
ずっと、ずぅぅぅぅぅぅーーーーっと、「なぜこのひとがやっているんだ??」と、疑問に思っていたのです。
後年、TBSは小堺一機を起用して映画番組を放送。
これには否定的でなかったのに、高島さんは受け入れることが出来なかった。
なぜなのかは、自分でもよく分かりません。
分かり易さはあったのですけれど。
<経歴>
夫人は女優の寿美花代、長男は俳優の高嶋政宏、次男も俳優で高嶋政伸、姪にヴァイオリニストの高嶋ちさ子。
中学時代のクラスメイトには、あの小松左京が居たのだとか。
新東宝のニューフェイスに合格し、第1期生として映画界へ。
映画俳優デビュー作は、52年の『恋の応援団長』。
初主演は同年の『チョイト姐さん思い出柳』で、新人としては恵まれたキャリアのスタートだったようです。
56年―『坊ちゃんの逆襲』から始まる「坊ちゃんシリーズ」(=『坊ちゃんの主将』『坊ちゃん野球王』など58年までつづく)がスマッシュヒットを記録し、スターの仲間入りを果たす。
『明治天皇と日露大戦争』(57)、『珍品堂主人』(60)、『雲の上団五郎一座』(62)、『キングコング対ゴジラ』(62)。
『君も出世ができる』(64)、『じゃじゃ馬ならし』(66)、『陸軍落語兵』(71)。
キャリアを眺めてみて・・・というか、眺めるまでもなく、自分、高島さんを映画俳優として捉えていないことに気づきました。
映画解説者として認めず、かといって映画俳優とも思っていない。
それ、ひどくね? なんて。
ではいったい、何者なのか。
テレビの司会進行のひと、、、なのですよね。
あ、あくまでも自分にとってですよ。
かーちゃんが好きだった料理番組『ごちそうさま』(日本テレビ)、そして『クイズ・ドレミファドン!』(フジテレビ)の印象が強いのだと思います。
しかし98年―重度のうつ病に罹り、すべての仕事を降板して治療にあたる。
翌年に仕事復帰するも再発し、再び治療に専念する。
2007年、完全復帰。
阪神大震災で実家が全壊するなど、つらいことが重なったのも要因だったのでしょうか。
映画出演などは控えたままですが、最も新しい作品は94年の『女ざかり』です。
前述したように俳優として認識出来ていなかったので、この映画を観返してみようかしら。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
3連続で、いきます。
『にっぽん男優列伝(198)高嶋政伸』