位牌もない我流の仏壇ではあるが、毎日、線香をあげている。
ふだんは水を取り替え、手を合わせる程度。
ビールを呑むときは乾杯するジェスチャーを取ってから口をつけるし、当たり前だが、自慰をする前は扉(というか、襖)を閉めておく。
ギャラが入れば、果物などを供える。
それを、かーちゃんが死んでからずっと続けてきた―にも関わらず、今月の頭、25日が命日(=金魚忌)にあたることを思い出さないでいた。
初めてのことなので軽いショックを受けたが、最近、長時間の取材が増えたから・・・などと、都合のいいイイワケで自分を納得させようとした。
思い出したのは、命日の4日前から3日連続で見た夢による。
目覚めるとすぐ、扉(というか、襖)を開けて手を合わせた。
ごめんよ、ごめん、かーちゃん。忘れていたわけじゃないからね、、、なんて話しかけながら。
塀の上からダイブするかーちゃんをキャッチすることが出来なかったり、
止まらない観覧車に乗るかーちゃんを助けられなかったり・・・かーちゃんの夢はよく見るが、大抵は残酷な内容で、これは自分が抱える罪悪感が生む映像なのか。
しかし、今回の夢はちがう。
まるで、大林宣彦による映画『異人たちとの夏』(88)の「前半」のような、ファンタジックで穏やかなものだった。
脚本家(!)の主人公、風間杜夫が亡くなったはずの両親―片岡鶴太郎、秋吉久美子―に出会う。
両親を奪った交通事故は、彼が12歳のときに起こった。
彼は恐怖を抱くことはなくうれしさを感じ、両親の住む家に通い始めるようになるが、彼は次第に衰弱していく・・・という物語。
山田太一の原作小説を、市川森一が脚本化した佳作である。
※予告編
ジョギングを終えてシャワーを浴び、ビールを呑んでいると台所に人影が見えた。
それが、かーちゃんだった。
かーちゃんは、亡くなるころのかーちゃんではなかった。
たぶん自分が中学生のころの、まだ糖尿病で苦しむ前のかーちゃんである。
しかし自分は、現在の自分。
それが夢の面白くて自由なところだが、自分も『異人たちとの夏』の主人公と同様、恐怖心を抱くことはなく、ただただうれしくて、台所に立つかーちゃんの後ろ姿を見つめ続けるのだった。
「鶏の唐揚げと、ポテトサラダと・・・ほかに、なにがいい?」
「もう、それだけでオッケー。それだけで」
「あんたの好みは、ずっと変わらないんだね。もうオジサンって呼ばれる年齢なんじゃないの?」
「(苦笑)そうだけどね、かーちゃんの唐揚げ、最高だから」
「ご飯は?」
「食べる、食べる」
「同時に出していい?」
「いいよ、いいよ」
いつだって饒舌なはずの自分は口数が少なく、逆に口数はけっして多くなかったかーちゃんのほうが、よく喋っていた。
数分後―。
皿からこぼれそうになるほどの唐揚げとポテトサラダ、大盛りご飯をテーブルに置いたかーちゃん・・・だったが、台所に戻った瞬間に姿を消してしまう。
そこで、目が覚めた。
3日間、細部は異なるが内容は「ほぼ」同じ夢である。
前述した残酷な夢とはちがうから飛び起きることもなければ、寝汗もかいていない。
いないが、その夢で金魚忌が近いことを思い出した自分は少し後ろ暗くなり、急いで扉(というか、襖)を開けて自家製仏壇に手を合わせたのだった。
・・・・・というような内容のことを20代のころに書けば可愛らしくもあるが、このトシになって「かーちゃん」を連発したりしていると、マザコンのように思われるよ―と、友人からじつに真っ当な指摘を受けた。
のだが、まぁ実際にマザコンであろうから気にしない。
あぁそうさ、自分はロリコンでマザコンさ、だからどうした・・・とまで書くと、かーちゃんも嫌がるかな。
ともかく。
金魚忌を直前まで思い出さなかったという事実が、自分にとってショックだった。
それを思い出させたのが夢、、、というのが、かーちゃんに「気づいてよ」といわれているようで、これまたショックである。
罪滅ぼしのつもりか、
仏壇には上等な桃とマンゴーを供えた。
そうして、その夜、、、というか、昼夜逆転生活だから、昼―。
3日連続だったのだから、きょうも夢のなかで出会えるのではないかな・・・と期待し、酒の量を少なめにして寝てみたのだが、かーちゃんは現れなかった。
目覚めて、一服。
こんど会えるのは、来年のこの時期なのかもしれない。
敢えて忘れていたほうが、夢のなかで会えたりして―などと、バチアタリなことを考える39歳の夏であった。
かーちゃんの年齢に追いつくまで、あと10年・・・とりあえず、合掌。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『映画だ、わっしょい。音楽だ、わっしょい。』
ふだんは水を取り替え、手を合わせる程度。
ビールを呑むときは乾杯するジェスチャーを取ってから口をつけるし、当たり前だが、自慰をする前は扉(というか、襖)を閉めておく。
ギャラが入れば、果物などを供える。
それを、かーちゃんが死んでからずっと続けてきた―にも関わらず、今月の頭、25日が命日(=金魚忌)にあたることを思い出さないでいた。
初めてのことなので軽いショックを受けたが、最近、長時間の取材が増えたから・・・などと、都合のいいイイワケで自分を納得させようとした。
思い出したのは、命日の4日前から3日連続で見た夢による。
目覚めるとすぐ、扉(というか、襖)を開けて手を合わせた。
ごめんよ、ごめん、かーちゃん。忘れていたわけじゃないからね、、、なんて話しかけながら。
塀の上からダイブするかーちゃんをキャッチすることが出来なかったり、
止まらない観覧車に乗るかーちゃんを助けられなかったり・・・かーちゃんの夢はよく見るが、大抵は残酷な内容で、これは自分が抱える罪悪感が生む映像なのか。
しかし、今回の夢はちがう。
まるで、大林宣彦による映画『異人たちとの夏』(88)の「前半」のような、ファンタジックで穏やかなものだった。
脚本家(!)の主人公、風間杜夫が亡くなったはずの両親―片岡鶴太郎、秋吉久美子―に出会う。
両親を奪った交通事故は、彼が12歳のときに起こった。
彼は恐怖を抱くことはなくうれしさを感じ、両親の住む家に通い始めるようになるが、彼は次第に衰弱していく・・・という物語。
山田太一の原作小説を、市川森一が脚本化した佳作である。
※予告編
ジョギングを終えてシャワーを浴び、ビールを呑んでいると台所に人影が見えた。
それが、かーちゃんだった。
かーちゃんは、亡くなるころのかーちゃんではなかった。
たぶん自分が中学生のころの、まだ糖尿病で苦しむ前のかーちゃんである。
しかし自分は、現在の自分。
それが夢の面白くて自由なところだが、自分も『異人たちとの夏』の主人公と同様、恐怖心を抱くことはなく、ただただうれしくて、台所に立つかーちゃんの後ろ姿を見つめ続けるのだった。
「鶏の唐揚げと、ポテトサラダと・・・ほかに、なにがいい?」
「もう、それだけでオッケー。それだけで」
「あんたの好みは、ずっと変わらないんだね。もうオジサンって呼ばれる年齢なんじゃないの?」
「(苦笑)そうだけどね、かーちゃんの唐揚げ、最高だから」
「ご飯は?」
「食べる、食べる」
「同時に出していい?」
「いいよ、いいよ」
いつだって饒舌なはずの自分は口数が少なく、逆に口数はけっして多くなかったかーちゃんのほうが、よく喋っていた。
数分後―。
皿からこぼれそうになるほどの唐揚げとポテトサラダ、大盛りご飯をテーブルに置いたかーちゃん・・・だったが、台所に戻った瞬間に姿を消してしまう。
そこで、目が覚めた。
3日間、細部は異なるが内容は「ほぼ」同じ夢である。
前述した残酷な夢とはちがうから飛び起きることもなければ、寝汗もかいていない。
いないが、その夢で金魚忌が近いことを思い出した自分は少し後ろ暗くなり、急いで扉(というか、襖)を開けて自家製仏壇に手を合わせたのだった。
・・・・・というような内容のことを20代のころに書けば可愛らしくもあるが、このトシになって「かーちゃん」を連発したりしていると、マザコンのように思われるよ―と、友人からじつに真っ当な指摘を受けた。
のだが、まぁ実際にマザコンであろうから気にしない。
あぁそうさ、自分はロリコンでマザコンさ、だからどうした・・・とまで書くと、かーちゃんも嫌がるかな。
ともかく。
金魚忌を直前まで思い出さなかったという事実が、自分にとってショックだった。
それを思い出させたのが夢、、、というのが、かーちゃんに「気づいてよ」といわれているようで、これまたショックである。
罪滅ぼしのつもりか、
仏壇には上等な桃とマンゴーを供えた。
そうして、その夜、、、というか、昼夜逆転生活だから、昼―。
3日連続だったのだから、きょうも夢のなかで出会えるのではないかな・・・と期待し、酒の量を少なめにして寝てみたのだが、かーちゃんは現れなかった。
目覚めて、一服。
こんど会えるのは、来年のこの時期なのかもしれない。
敢えて忘れていたほうが、夢のなかで会えたりして―などと、バチアタリなことを考える39歳の夏であった。
かーちゃんの年齢に追いつくまで、あと10年・・・とりあえず、合掌。
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