「わたしの部屋は夏は暑くて寝られない、冬は寒くて寝られない、その3畳の部屋から見上げると、あなたの家は天国みたいに見えましたよ」…『天国と地獄』より
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迷ったら、黒澤。
沈んだら、黒澤。
自分にはそういうところがあって、あぁ黒澤が自分の原点なのかもなぁ、、、と思う。
ついでにいえば、黒澤で復活・再浮上し、歩き始めたらスコセッシを頼りにする。
このページのプロフィール欄に記しているとおり、黒澤とスコセッシに救われまくっている自分なのだった。
黒澤映画はしょっちゅう観返しているが、黒澤組が記した脚本(以下、ホンと表記する)もときどき目を通す。
読む度に落ち込む。
あまりにも、完璧に過ぎて。
これが効くんだ。
映像で観たらストレートパンチだが、ホンの場合はボディブローのような感じで効く。
オメーなんかカスだからな、勘違いすんなバカヤロウといわれた気がして、さらに沈む。
沈んだときは「もっと」沈んだほうがいいと思っているので、敢えてそうしているのだった。
で、沈みついで? にそれを書いてみようと考え、ホンを書き写してみる。
『天国と地獄』(63)は7回、『悪い奴ほどよく眠る』(60)は5回、『生きる』(52)は3回ほど書き写した。
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「なぁ西、妹をかわいがってやってくれ。頼んだぞ。妹はなぁ、可哀想なヤツなんだ。もし妹を悲しませるようなことがあったら、お前、殺すぞ!」…『悪い奴ほどよく眠る』より
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実際に勉強になるし、そうしているうちに迷いもなくなる。
感謝の気持ちとして、部屋でひとり志村喬の物真似なんかをやってみる。
かーちゃんの遺影に向かって「いまの、似てた?」と聞く。
かーちゃんは「まあまあかな」と答えた(ように感じた)。
映画小僧を自称し始めて、そこそこの年月が経過した。
最近知り合う映画好きも年下が多くなり、あぁ自分もトシを取ったものだねぇ、、、なんて感じたり。
新作の知識は彼ら彼女らのほうが上のことだってあるが、旧作ではもちろん負けないし、いや負けるわけにはいかないだろう。
みんな「観ておくべき映画は?」という質問をしてくるので、「観ているとは思うけれど」という前置きをして黒澤とチャップリンを薦める。
すると、「なるほど、分かりました」という答えが返ってくる。
え?
観てないの?
観ていることを前提として「吹っかけた」だけだったのに。
そのあと、小津や成瀬、溝口、フェリーニ、ブニュエルあたりの名前を出したかったのに。
それも観ていると返されたら、ニューシネマ、ヌーヴェルバーグ、ロマンポルノを薦めたかったのに。
そのすべてをクリアしていたら「映画小僧と名乗ってよし!」と褒めたかったのに。
「いえ、観るべき映画が多過ぎて・・・」
そんなのイイワケだと一蹴し、観るべき映画リストの上位に黒澤が入っているのだよと不機嫌な感じで教える。
みんな「ぽかーーーーん」と呆けた顔をしているが、2~3作観たあとに「納得です」なんて興奮した様子で謝罪? を入れてくる。
分かればいいんだ―と、まるで自分の作品であるかのようにエラソーに振る舞う自分。
これが黒澤の力というやつだ。
で、いま『生きる』のホン、4度目の書き写しをしている。
前半が終わって、通夜の場面。
よく知られているように、この作品の白眉はここからエンディングまでの構成である。
主人公が死んじゃって以降に、次々と新事実が発覚していく。
ガンであることをオヤジが知っていたはずがないと思っていた息子も、いろんなひとの証言から「じつは、知っていた。知っていたからこそ、敢えてこうしていた」ことを知らされることになる。
こうした構成の巧さに、またまた落ち込む自分。
映画小僧をこれほど落ち込ませているというのに、黒澤自身が『生きる』を気に入っていないのは有名な話。
気に入っていないというか、ほかの作品に対する質問にはきちんと答えるのに、この作品についてだけは「あまり語りたくない」と発しているのだよね。
天才は、わからねぇ。
いや逆に、黒澤自身の核心をいちばん突いている作品だからこそ、語りたくなかったのかもしれない。
だから、わからねぇということばは撤回。
天才への興味は、つきねぇぜ。
※黒澤VS武
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『Over The Top』
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迷ったら、黒澤。
沈んだら、黒澤。
自分にはそういうところがあって、あぁ黒澤が自分の原点なのかもなぁ、、、と思う。
ついでにいえば、黒澤で復活・再浮上し、歩き始めたらスコセッシを頼りにする。
このページのプロフィール欄に記しているとおり、黒澤とスコセッシに救われまくっている自分なのだった。
黒澤映画はしょっちゅう観返しているが、黒澤組が記した脚本(以下、ホンと表記する)もときどき目を通す。
読む度に落ち込む。
あまりにも、完璧に過ぎて。
これが効くんだ。
映像で観たらストレートパンチだが、ホンの場合はボディブローのような感じで効く。
オメーなんかカスだからな、勘違いすんなバカヤロウといわれた気がして、さらに沈む。
沈んだときは「もっと」沈んだほうがいいと思っているので、敢えてそうしているのだった。
で、沈みついで? にそれを書いてみようと考え、ホンを書き写してみる。
『天国と地獄』(63)は7回、『悪い奴ほどよく眠る』(60)は5回、『生きる』(52)は3回ほど書き写した。
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「なぁ西、妹をかわいがってやってくれ。頼んだぞ。妹はなぁ、可哀想なヤツなんだ。もし妹を悲しませるようなことがあったら、お前、殺すぞ!」…『悪い奴ほどよく眠る』より
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実際に勉強になるし、そうしているうちに迷いもなくなる。
感謝の気持ちとして、部屋でひとり志村喬の物真似なんかをやってみる。
かーちゃんの遺影に向かって「いまの、似てた?」と聞く。
かーちゃんは「まあまあかな」と答えた(ように感じた)。
映画小僧を自称し始めて、そこそこの年月が経過した。
最近知り合う映画好きも年下が多くなり、あぁ自分もトシを取ったものだねぇ、、、なんて感じたり。
新作の知識は彼ら彼女らのほうが上のことだってあるが、旧作ではもちろん負けないし、いや負けるわけにはいかないだろう。
みんな「観ておくべき映画は?」という質問をしてくるので、「観ているとは思うけれど」という前置きをして黒澤とチャップリンを薦める。
すると、「なるほど、分かりました」という答えが返ってくる。
え?
観てないの?
観ていることを前提として「吹っかけた」だけだったのに。
そのあと、小津や成瀬、溝口、フェリーニ、ブニュエルあたりの名前を出したかったのに。
それも観ていると返されたら、ニューシネマ、ヌーヴェルバーグ、ロマンポルノを薦めたかったのに。
そのすべてをクリアしていたら「映画小僧と名乗ってよし!」と褒めたかったのに。
「いえ、観るべき映画が多過ぎて・・・」
そんなのイイワケだと一蹴し、観るべき映画リストの上位に黒澤が入っているのだよと不機嫌な感じで教える。
みんな「ぽかーーーーん」と呆けた顔をしているが、2~3作観たあとに「納得です」なんて興奮した様子で謝罪? を入れてくる。
分かればいいんだ―と、まるで自分の作品であるかのようにエラソーに振る舞う自分。
これが黒澤の力というやつだ。
で、いま『生きる』のホン、4度目の書き写しをしている。
前半が終わって、通夜の場面。
よく知られているように、この作品の白眉はここからエンディングまでの構成である。
主人公が死んじゃって以降に、次々と新事実が発覚していく。
ガンであることをオヤジが知っていたはずがないと思っていた息子も、いろんなひとの証言から「じつは、知っていた。知っていたからこそ、敢えてこうしていた」ことを知らされることになる。
こうした構成の巧さに、またまた落ち込む自分。
映画小僧をこれほど落ち込ませているというのに、黒澤自身が『生きる』を気に入っていないのは有名な話。
気に入っていないというか、ほかの作品に対する質問にはきちんと答えるのに、この作品についてだけは「あまり語りたくない」と発しているのだよね。
天才は、わからねぇ。
いや逆に、黒澤自身の核心をいちばん突いている作品だからこそ、語りたくなかったのかもしれない。
だから、わからねぇということばは撤回。
天才への興味は、つきねぇぜ。
※黒澤VS武
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