第17部「フランシス・フォード・コッポラの物語」~第3章~
前回のあらすじ
「―ロジャー・コーマンと出会った頃の話を教えてもらえますか?」
「私はまだ学生で、広告が出ていたので連絡しただけさ。そして助手として雇われた」
「彼は若い映画作家たちを支えたことでも知られていますが、同時に彼は自分の必要とするものをとるひとでもあるというひとも居ますが」
「いやいや、コーマンはとても低予算で映画を作ったひとで、若い映画作家がチャンスを必要としていたのも分かっていたからそういう関係性が出来上がった。だから、双方にとって有益な関係だったんだよ」(インタビューに答えるコッポラ)
…………………………………………
大作を創る監督は大作を創り続ける傾向にある―と、なんとなく信じられている。
ロバート・ワイズやウィリアム・ワイラー、セシル・B・デミル、デヴィッド・リーン。
生きている映画人でいうと、マイケル・チミノとかベルトリッチとか、それから角川春樹(笑)とか。
コッポラも『ゴッドファーザー』の2作でそう捉えられたが、大作と大作のあいだに「超」小規模かつ地味な映画を創るという、じつに興味深いキャリアを築いていった。
まるで、「俺、もう疲れたよ…」とでもいうように。
73年―。
ジーン・ハックマンを主演に起用した『カンバセーション…盗聴…』を発表。
盗聴「屋」が殺人事件に巻き込まれるサスペンスの佳作で、演出面においては『ゴッドファーザー』より評価すべき点が多いと見る識者も多い。
異議なし!
主人公の孤独を強調する演出は、『タクシードライバー』(76)と共通すると思えるからである。
86年―。
甥のニコラス・ケイジと、まだ可愛かったころのキャスリーン・ターナー(失礼!)を起用し『ペギー・スーの結婚』を発表。
タイムスリップを用いて愛を謳いあげるロマンス物だが、あまり褒めるひとは居なかった。
主題歌(=バディ・ホリー…文末動画参照)のために創られた物語にしては、ちょっと陳腐に過ぎたのかもしれない。
個人的には駄作は駄作でも、愛すべき駄作であると評価? しているのだが。
87年―。
ベトナム戦争を描いた『友よ、風に抱かれて』を発表。
原題は『Gardens of Stone』で、これはアーリントン墓地を指している。
軍人の死を多角的に捉えようとする野心は買うが、『プラトーン』(86)から始まる「第二次ベトナム戦争映画ブーム」のなかにあっては地味に過ぎて、評価もなにも、観ているひとのほうが少ないというアリサマだった。
(1)『カンバセーション…盗聴…』は、ふたつの『ゴッドファーザー』のあいだに撮られている。
(2)『ペギー・スーの結婚』は、『ワン・フロム・ザ・ハート』(82…トップ画像)と『コットンクラブ』(84)という二大大作がともに大コケしたあとに「ひっそり」と撮られた傷心の作品である―という、少し意地悪な捉えかたも出来る。
ただ失敗はしたものの、『ワン・フロム・ザ・ハート』でやってのけた「すべての背景をセットで表現してしまう」豪快さは、もっと評価されていいと思う。
そうでなければ、可憐なナスターシャ・キンスキーが浮かばれない。
(3)『友よ、風に抱かれて』は、ディズニーランドのために制作されたMJ主演の『キャプテンEO』(86)と、伝記映画の大作『タッカー』(88)のあいだに撮られている。
後者はコッポラ念願の企画だが、前者の制作は大資本によるプレッシャーが強く、ひどく体調を壊したようである。
…………………………………………
じつをいうと、コッポラ産の大作は『ゴッドファーザー』シリーズを除いて、すべてが「当たっていない」。
この「当たり」は主に興行面を指しているが、批評面においても芳しくなかった。
そう、『地獄の黙示録』(79)でさえ、映画史的な評価はともかくとして、作品そのものに対する批判的な意見は多かった。
この映画が「産み落とされる」少し前に、「第一次ベトナム戦争映画ブーム」が起こっている。
ニューシネマの影響をダイレクトに受けたものが多く、『タクシードライバー』もそのひとつであり、そしてこのブームの決定打となったのがチミノの『ディア・ハンター』(78)だった。
『地獄の黙示録』もこの文脈のなかで語られることが多いが、個人を描くこれらの映画とは趣を異にするというか、出来上がった作品は(個人はもちろん)ベトナムを描いてさえいなかった。
確かにベトナム戦争を背景にしてはいる。
だが反戦映画ではないし、もちろん戦意高揚映画でもない、なんというか、気味の悪い、得体の知れない米国という国家そのものを丸ごと捉えた作品のように思える。
その実、この映画を観たからって米国がどんな国なのかよく分からない。
分からないが、これが米国なんだろうな、、、そう思わせる力がある。訂正、力が「漲っている」。
ヘリ。
ワルキューレ。
ナパーム弾。
プレイメイトたち。
そして、ドアーズの『ジ・エンド』。
これは、なんなのか。
米国だ。これが米国なんだ。
…………………………………………
しかしコッポラは、最初からアメリカを丸ごと捉えようという「でか過ぎる」野心を抱いていたわけではなかった。
すごく乱暴な表現をすれば、「結果的にそうなっちゃった」のである。
『地獄の黙示録』の撮影トラブルを挙げたら切りがない・・・が、代表的なものをいくつか。
(1)仙人のような暮らしをしているはずのカーツ大佐、それを演じるマーロン・ブランドが異常な肥満体型をしてやってきた。
(2)報道カメラマン役のデニス・ホッパーが「完全に麻薬中毒」で、台詞をほとんど覚えられない。
(3)物語の進行役、ウィラード大尉を演じる予定だったハーベイ・カイテルが撮影開始10日あまりで降板し、代打としてマーティン・シーンが起用される。
が、そんなマーティンは撮影途中に心臓麻痺を起こし制作が中断される。
(4)台風により、セットが全壊する。
(5)とうとうコッポラまで倒れてしまう。
面白い。
じつに、面白い。
ほとんどギャグの世界じゃないか。
こんなことがほんとうに起こり、17週間の撮影予定が3倍以上の時間を費やすことになったのである。
ここまでくると完成したことが奇跡のようにも思えるが、このあたりのことは文章で読むよりドキュメンタリーの『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(91)を観たほうが「より」楽しめる。
次回、この映画の「ふつうでなさ」について、制作面ではないところから論じてみよう。
…………………………………………
つづく。
次回は、14年1月上旬を予定。
…………………………………………
本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『ストーKING』
前回のあらすじ
「―ロジャー・コーマンと出会った頃の話を教えてもらえますか?」
「私はまだ学生で、広告が出ていたので連絡しただけさ。そして助手として雇われた」
「彼は若い映画作家たちを支えたことでも知られていますが、同時に彼は自分の必要とするものをとるひとでもあるというひとも居ますが」
「いやいや、コーマンはとても低予算で映画を作ったひとで、若い映画作家がチャンスを必要としていたのも分かっていたからそういう関係性が出来上がった。だから、双方にとって有益な関係だったんだよ」(インタビューに答えるコッポラ)
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大作を創る監督は大作を創り続ける傾向にある―と、なんとなく信じられている。
ロバート・ワイズやウィリアム・ワイラー、セシル・B・デミル、デヴィッド・リーン。
生きている映画人でいうと、マイケル・チミノとかベルトリッチとか、それから角川春樹(笑)とか。
コッポラも『ゴッドファーザー』の2作でそう捉えられたが、大作と大作のあいだに「超」小規模かつ地味な映画を創るという、じつに興味深いキャリアを築いていった。
まるで、「俺、もう疲れたよ…」とでもいうように。
73年―。
ジーン・ハックマンを主演に起用した『カンバセーション…盗聴…』を発表。
盗聴「屋」が殺人事件に巻き込まれるサスペンスの佳作で、演出面においては『ゴッドファーザー』より評価すべき点が多いと見る識者も多い。
異議なし!
主人公の孤独を強調する演出は、『タクシードライバー』(76)と共通すると思えるからである。
86年―。
甥のニコラス・ケイジと、まだ可愛かったころのキャスリーン・ターナー(失礼!)を起用し『ペギー・スーの結婚』を発表。
タイムスリップを用いて愛を謳いあげるロマンス物だが、あまり褒めるひとは居なかった。
主題歌(=バディ・ホリー…文末動画参照)のために創られた物語にしては、ちょっと陳腐に過ぎたのかもしれない。
個人的には駄作は駄作でも、愛すべき駄作であると評価? しているのだが。
87年―。
ベトナム戦争を描いた『友よ、風に抱かれて』を発表。
原題は『Gardens of Stone』で、これはアーリントン墓地を指している。
軍人の死を多角的に捉えようとする野心は買うが、『プラトーン』(86)から始まる「第二次ベトナム戦争映画ブーム」のなかにあっては地味に過ぎて、評価もなにも、観ているひとのほうが少ないというアリサマだった。
(1)『カンバセーション…盗聴…』は、ふたつの『ゴッドファーザー』のあいだに撮られている。
(2)『ペギー・スーの結婚』は、『ワン・フロム・ザ・ハート』(82…トップ画像)と『コットンクラブ』(84)という二大大作がともに大コケしたあとに「ひっそり」と撮られた傷心の作品である―という、少し意地悪な捉えかたも出来る。
ただ失敗はしたものの、『ワン・フロム・ザ・ハート』でやってのけた「すべての背景をセットで表現してしまう」豪快さは、もっと評価されていいと思う。
そうでなければ、可憐なナスターシャ・キンスキーが浮かばれない。
(3)『友よ、風に抱かれて』は、ディズニーランドのために制作されたMJ主演の『キャプテンEO』(86)と、伝記映画の大作『タッカー』(88)のあいだに撮られている。
後者はコッポラ念願の企画だが、前者の制作は大資本によるプレッシャーが強く、ひどく体調を壊したようである。
…………………………………………
じつをいうと、コッポラ産の大作は『ゴッドファーザー』シリーズを除いて、すべてが「当たっていない」。
この「当たり」は主に興行面を指しているが、批評面においても芳しくなかった。
そう、『地獄の黙示録』(79)でさえ、映画史的な評価はともかくとして、作品そのものに対する批判的な意見は多かった。
この映画が「産み落とされる」少し前に、「第一次ベトナム戦争映画ブーム」が起こっている。
ニューシネマの影響をダイレクトに受けたものが多く、『タクシードライバー』もそのひとつであり、そしてこのブームの決定打となったのがチミノの『ディア・ハンター』(78)だった。
『地獄の黙示録』もこの文脈のなかで語られることが多いが、個人を描くこれらの映画とは趣を異にするというか、出来上がった作品は(個人はもちろん)ベトナムを描いてさえいなかった。
確かにベトナム戦争を背景にしてはいる。
だが反戦映画ではないし、もちろん戦意高揚映画でもない、なんというか、気味の悪い、得体の知れない米国という国家そのものを丸ごと捉えた作品のように思える。
その実、この映画を観たからって米国がどんな国なのかよく分からない。
分からないが、これが米国なんだろうな、、、そう思わせる力がある。訂正、力が「漲っている」。
ヘリ。
ワルキューレ。
ナパーム弾。
プレイメイトたち。
そして、ドアーズの『ジ・エンド』。
これは、なんなのか。
米国だ。これが米国なんだ。
…………………………………………
しかしコッポラは、最初からアメリカを丸ごと捉えようという「でか過ぎる」野心を抱いていたわけではなかった。
すごく乱暴な表現をすれば、「結果的にそうなっちゃった」のである。
『地獄の黙示録』の撮影トラブルを挙げたら切りがない・・・が、代表的なものをいくつか。
(1)仙人のような暮らしをしているはずのカーツ大佐、それを演じるマーロン・ブランドが異常な肥満体型をしてやってきた。
(2)報道カメラマン役のデニス・ホッパーが「完全に麻薬中毒」で、台詞をほとんど覚えられない。
(3)物語の進行役、ウィラード大尉を演じる予定だったハーベイ・カイテルが撮影開始10日あまりで降板し、代打としてマーティン・シーンが起用される。
が、そんなマーティンは撮影途中に心臓麻痺を起こし制作が中断される。
(4)台風により、セットが全壊する。
(5)とうとうコッポラまで倒れてしまう。
面白い。
じつに、面白い。
ほとんどギャグの世界じゃないか。
こんなことがほんとうに起こり、17週間の撮影予定が3倍以上の時間を費やすことになったのである。
ここまでくると完成したことが奇跡のようにも思えるが、このあたりのことは文章で読むよりドキュメンタリーの『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(91)を観たほうが「より」楽しめる。
次回、この映画の「ふつうでなさ」について、制作面ではないところから論じてみよう。
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つづく。
次回は、14年1月上旬を予定。
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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『ストーKING』