~追悼、キャリー・フィッシャー~
晩節を汚す、、、ということばがある。
文字どおりの意味だが、去年の中ごろか、女優キャリー・フィッシャーが唐突に「レイア姫を演じていたころ、ハリソン・フォードと肉体関係にあった」と告白したというニュースに触れ、
キャリー、それは墓場まで持っていくべき内容じゃない? 相手も居ることだしさ・・・などと思った。
まぁその時点では、キャリー本人だって死期が訪れつつあったなんて想像もしていなかっただろうし、
秘密にすべきことを「明かさずにはいられない」ひとが居ることも知っている。
そもそもキャリーは『崖っぷちからのはがき』で、それまでのドラッグ漬けの日々や、同業の母親(デビー・レイノルズ)との関係を赤裸々に綴った半生記を著した過去がある、根っからの「明かさずにはいられない」ひとなのだろう。
それでも「う~~ん・・・」と思ってしまったのは、あのSFシリーズが宿す健全性ゆえ、、、だったのかもしれない。
勝気なレイアと男前のハンソロの恋は、あくまでも映画のなかだけで展開してほしかったなぁ、なんて。
そんなキャリー・フィッシャーが鬼籍に入った。
その翌日にママまで急死するという流れが、ことばは適切ではないかもしれないが、ひじょうにドラマチック。
筆者がキャリーで思い浮かべるのは、前述した「告白」のほかに、(1)レイア姫のオーディション と、(2)自覚なきセックスシンボル について。
そのあたりのことを、少し書いてみたい。
俳優の卵たちを審査する側には、ジョージ・ルーカスとブライアン・デ・パルマが居た。
『キャリー』(76)と『スター・ウォーズ』(77)のオーディションを、同時におこなっていたのである。
デ・パルマが気に入っていたのは、実際にキャリー・ホワイトを演じたシシー・スペイセクではなく、キャリー・フィッシャーのほうだったという。
根暗でテレキネシスの才能を持つ少女、という俳優としては演じがいのあるキャラクターであったが、キャリーはヌードシーンに難色を示す。
(『キャリー』はシャワーシーンから始まり、しかもそれは、初潮を表現するものであった)
いっぽうシシーはキャリー・ホワイト役を熱望、髪にワセリンを塗りまくり、古びた制服を着用し「キャリー・ホワイトとして」オーディション会場に登場、ほとんど力技で役を勝ち取る。
つまり、キャリー・ホワイトをキャリー・フィッシャーが、レイア姫をシシー・スペイセクが演じる可能性も充分にあったということ。
私見だが、両者ともキャリー・ホワイト役としては「しっくりくる」。
(リメイク版がピンとこなかったのは、クロエ・モレッツが垢抜け過ぎていたから、、、にちがいない)
けれどもシシー・スペイセクがレイア姫というのは、なんだかちょっと・・・と思うのだ。
よい女優だけれども、勝気で野暮ったく、それでいてチャーミングな姫を演じるには、彼女の顔は「やや深刻に」過ぎないか。
ちなみに。
有名な話だが、このオーディション会場は未来のスターで「ごった返して」いたといわれていて、
ルーク・スカイウォーカーを演じたマーク・ハミルがキャリー・ホワイトが憧れる同級生に、
その同級生を実際に演じたウィリアム・カットが、スカイウォーカーに選ばれる展開も「充分にあり得た」というが・・・
これはこれで、ちょっと観てみたかったなぁ、とは思う。
レイア姫を演じ、一気にスターとなったキャリー・フィッシャー。
しかし彼女は自身が持つエロス性には無自覚で、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(83)でビキニ姿を披露した数年後、
インタビュアーから「セックスシンボルになったことについて」の質問を受け、絶句したという。
「そんなつもりはなかった」というより、「そんな風に捉えられるとは思っていなかった」らしい。
10代の映画好きが、レイア姫のビキニ姿を思い浮かべながらマスターベーションに耽る―「かつて男子」だったものであれば容易に想像がつくことだが、この感覚を理解出来なかったキャリーは、恥ずかしくて外出も出来なくなったそうだ。
個人的な評価をいえば、『ジェダイの復讐』のハイライトはレイア姫のビキニであり、あれを超えるシーンはこの映画にはない。
女優に対する好き嫌いを超えて、ヌードやビキニやミニスカート姿というものは、それだけで映画の価値・女優の価値を引き上げるものだと思っている。
あれから30年以上が過ぎ・・・。
『フォースの覚醒』(2015)で年老いたレイアとハンソロが再会するシーンがスクリーンに映し出されると、劇場は不思議な感慨に包まれた。
もちろん失望じゃない、かといって歓喜ともちがう、ハンソロ=ハリソン・フォードはずっと俳優をやっているから理解していたが、レイアも自分たちと同じように歳を取ったんだな、という当たり前に過ぎる感動。
このなかには、きっと、いや絶対にビキニ姿を「おかず」にしていた「かつての男子」も居るはずで、映画体験というものは、そういう繊細な? 部分をも刺すことがあるから素晴らしいのだよな!! と、真面目なひとからは怒られるような感想を抱いたのであった。
だから。
本人は不本意かもしれないが、敢えていおう。
キャリーさん。
筆者にとっても、ある時期、あなたはセックスシンボルでありました。いろいろありがとうございます。
キャリー・フィッシャー、16年12月27日死去。
享年60歳、合掌。
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明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「あ行」女優篇(1)』
晩節を汚す、、、ということばがある。
文字どおりの意味だが、去年の中ごろか、女優キャリー・フィッシャーが唐突に「レイア姫を演じていたころ、ハリソン・フォードと肉体関係にあった」と告白したというニュースに触れ、
キャリー、それは墓場まで持っていくべき内容じゃない? 相手も居ることだしさ・・・などと思った。
まぁその時点では、キャリー本人だって死期が訪れつつあったなんて想像もしていなかっただろうし、
秘密にすべきことを「明かさずにはいられない」ひとが居ることも知っている。
そもそもキャリーは『崖っぷちからのはがき』で、それまでのドラッグ漬けの日々や、同業の母親(デビー・レイノルズ)との関係を赤裸々に綴った半生記を著した過去がある、根っからの「明かさずにはいられない」ひとなのだろう。
それでも「う~~ん・・・」と思ってしまったのは、あのSFシリーズが宿す健全性ゆえ、、、だったのかもしれない。
勝気なレイアと男前のハンソロの恋は、あくまでも映画のなかだけで展開してほしかったなぁ、なんて。
そんなキャリー・フィッシャーが鬼籍に入った。
その翌日にママまで急死するという流れが、ことばは適切ではないかもしれないが、ひじょうにドラマチック。
筆者がキャリーで思い浮かべるのは、前述した「告白」のほかに、(1)レイア姫のオーディション と、(2)自覚なきセックスシンボル について。
そのあたりのことを、少し書いてみたい。
俳優の卵たちを審査する側には、ジョージ・ルーカスとブライアン・デ・パルマが居た。
『キャリー』(76)と『スター・ウォーズ』(77)のオーディションを、同時におこなっていたのである。
デ・パルマが気に入っていたのは、実際にキャリー・ホワイトを演じたシシー・スペイセクではなく、キャリー・フィッシャーのほうだったという。
根暗でテレキネシスの才能を持つ少女、という俳優としては演じがいのあるキャラクターであったが、キャリーはヌードシーンに難色を示す。
(『キャリー』はシャワーシーンから始まり、しかもそれは、初潮を表現するものであった)
いっぽうシシーはキャリー・ホワイト役を熱望、髪にワセリンを塗りまくり、古びた制服を着用し「キャリー・ホワイトとして」オーディション会場に登場、ほとんど力技で役を勝ち取る。
つまり、キャリー・ホワイトをキャリー・フィッシャーが、レイア姫をシシー・スペイセクが演じる可能性も充分にあったということ。
私見だが、両者ともキャリー・ホワイト役としては「しっくりくる」。
(リメイク版がピンとこなかったのは、クロエ・モレッツが垢抜け過ぎていたから、、、にちがいない)
けれどもシシー・スペイセクがレイア姫というのは、なんだかちょっと・・・と思うのだ。
よい女優だけれども、勝気で野暮ったく、それでいてチャーミングな姫を演じるには、彼女の顔は「やや深刻に」過ぎないか。
ちなみに。
有名な話だが、このオーディション会場は未来のスターで「ごった返して」いたといわれていて、
ルーク・スカイウォーカーを演じたマーク・ハミルがキャリー・ホワイトが憧れる同級生に、
その同級生を実際に演じたウィリアム・カットが、スカイウォーカーに選ばれる展開も「充分にあり得た」というが・・・
これはこれで、ちょっと観てみたかったなぁ、とは思う。
レイア姫を演じ、一気にスターとなったキャリー・フィッシャー。
しかし彼女は自身が持つエロス性には無自覚で、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(83)でビキニ姿を披露した数年後、
インタビュアーから「セックスシンボルになったことについて」の質問を受け、絶句したという。
「そんなつもりはなかった」というより、「そんな風に捉えられるとは思っていなかった」らしい。
10代の映画好きが、レイア姫のビキニ姿を思い浮かべながらマスターベーションに耽る―「かつて男子」だったものであれば容易に想像がつくことだが、この感覚を理解出来なかったキャリーは、恥ずかしくて外出も出来なくなったそうだ。
個人的な評価をいえば、『ジェダイの復讐』のハイライトはレイア姫のビキニであり、あれを超えるシーンはこの映画にはない。
女優に対する好き嫌いを超えて、ヌードやビキニやミニスカート姿というものは、それだけで映画の価値・女優の価値を引き上げるものだと思っている。
あれから30年以上が過ぎ・・・。
『フォースの覚醒』(2015)で年老いたレイアとハンソロが再会するシーンがスクリーンに映し出されると、劇場は不思議な感慨に包まれた。
もちろん失望じゃない、かといって歓喜ともちがう、ハンソロ=ハリソン・フォードはずっと俳優をやっているから理解していたが、レイアも自分たちと同じように歳を取ったんだな、という当たり前に過ぎる感動。
このなかには、きっと、いや絶対にビキニ姿を「おかず」にしていた「かつての男子」も居るはずで、映画体験というものは、そういう繊細な? 部分をも刺すことがあるから素晴らしいのだよな!! と、真面目なひとからは怒られるような感想を抱いたのであった。
だから。
本人は不本意かもしれないが、敢えていおう。
キャリーさん。
筆者にとっても、ある時期、あなたはセックスシンボルでありました。いろいろありがとうございます。
キャリー・フィッシャー、16年12月27日死去。
享年60歳、合掌。
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明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「あ行」女優篇(1)』