「パチンコ」を題材にした劇場公開映画って、意外と少ない。
主人公がパチンコをするシーンくらいは描かれることはあるけれども、
題材が「そのもの、ずばり」となると観客を限定してしまうので、そのような「特化型」の作品は、映画ではなくオリジナルビデオとして発表されることが多いのだった。
劇場公開映画でひとつ挙げるとするならば、主演の富田靖子よりも(いまとなっては)共演の福山雅治のほうを注目してしまうであろう、『ほんの5g』(88)だろうか。
5gとは、パチンコ玉ひとつの質量を指している。
職人の一色伸幸が脚本を担当しているので、パチンコを知らないひとでも楽しめるコメディに仕上がっていた・・・と思うが、じつはよく覚えていない笑
視点をギャンブルにまで広げれば、作品は一気に増える・・・が、その決定版は、やはりスコセッシの『カジノ』(95…トップ画像)でしょう。
この分野が経済として成り立つまでの歴史を描くマクロ的視点と、イカサマ師を取り締まるからくりなどのミクロ的視点の両方を取り入れた大作であり、これ一本でカジノとはどういうものかを「ある程度」は理解出来る創りになっている。
さて、自分が「生まれて初めて」パチンコ屋に入ったお話。
2週間のあいだに、2度行っている―というと「ハマった」感が出るけれど、それは「たまたま」なのであった―。
(1)上京して4ヶ月が経った、ある日の日曜日。
同じ学校に通う俳優科の先輩が居て、このひとが笑ってしまうくらいモテていた。
俳優目指すくらいだから、高身長でイケメン。
自分とは似ても似つかないが、このひとと同じことをしていれば、少しくらいはモテるんじゃないか、、、と「思ってしまって」ね、行動を共にすることが多くなっていった。
金魚のフンのようについていったら、そこがパチンコ屋だったというわけ。
「きょうは、1000円くらいだったら出してやるよ」
奢ってもらった自分、しかし「当たり」がくることはなく、「惜しい」流れにもならず、10分も経たぬうちに1000円が消えていった。
なーーーーーーんも、面白くなかった。
もう少しやってみよう、とも思えず、そのあとは先輩が打つところをずっと眺めていた。
結論。
同じことをやっても、モテるわけではない。
(2)その10日後、初めての帰省。
家族4人で久し振りの外食、たしか焼肉だったと思うが、その帰りに父親が「たまにはパチンコでもしていくか」と。
父親も自分と同様、ギャンブル音痴である。
やりたくなったのは「気まぐれ」のような気もするが、久し振りに家族が揃ったのと、あとは酒も関係していたのでしょう。
しかし4人は漏れなく音痴であるからして、たしか500円ずつで遊んだと記憶するが、みんな15分も要さずに「持ち金ゼロ」になった。
顔を見合わせ「なにが面白いのだろうね」と笑い、そのまま店をあとにしたのである。
かわいいといえばかわいいエピソードであるし、
「向いていない」ということを肌感覚で知ったことに意味があった、、、ような気がする笑
おわり。
※新しいクーパーのニックネームは、「ミスター・ジャックポット」です=『ツイン・ピークス』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『Silence』
主人公がパチンコをするシーンくらいは描かれることはあるけれども、
題材が「そのもの、ずばり」となると観客を限定してしまうので、そのような「特化型」の作品は、映画ではなくオリジナルビデオとして発表されることが多いのだった。
劇場公開映画でひとつ挙げるとするならば、主演の富田靖子よりも(いまとなっては)共演の福山雅治のほうを注目してしまうであろう、『ほんの5g』(88)だろうか。
5gとは、パチンコ玉ひとつの質量を指している。
職人の一色伸幸が脚本を担当しているので、パチンコを知らないひとでも楽しめるコメディに仕上がっていた・・・と思うが、じつはよく覚えていない笑
視点をギャンブルにまで広げれば、作品は一気に増える・・・が、その決定版は、やはりスコセッシの『カジノ』(95…トップ画像)でしょう。
この分野が経済として成り立つまでの歴史を描くマクロ的視点と、イカサマ師を取り締まるからくりなどのミクロ的視点の両方を取り入れた大作であり、これ一本でカジノとはどういうものかを「ある程度」は理解出来る創りになっている。
さて、自分が「生まれて初めて」パチンコ屋に入ったお話。
2週間のあいだに、2度行っている―というと「ハマった」感が出るけれど、それは「たまたま」なのであった―。
(1)上京して4ヶ月が経った、ある日の日曜日。
同じ学校に通う俳優科の先輩が居て、このひとが笑ってしまうくらいモテていた。
俳優目指すくらいだから、高身長でイケメン。
自分とは似ても似つかないが、このひとと同じことをしていれば、少しくらいはモテるんじゃないか、、、と「思ってしまって」ね、行動を共にすることが多くなっていった。
金魚のフンのようについていったら、そこがパチンコ屋だったというわけ。
「きょうは、1000円くらいだったら出してやるよ」
奢ってもらった自分、しかし「当たり」がくることはなく、「惜しい」流れにもならず、10分も経たぬうちに1000円が消えていった。
なーーーーーーんも、面白くなかった。
もう少しやってみよう、とも思えず、そのあとは先輩が打つところをずっと眺めていた。
結論。
同じことをやっても、モテるわけではない。
(2)その10日後、初めての帰省。
家族4人で久し振りの外食、たしか焼肉だったと思うが、その帰りに父親が「たまにはパチンコでもしていくか」と。
父親も自分と同様、ギャンブル音痴である。
やりたくなったのは「気まぐれ」のような気もするが、久し振りに家族が揃ったのと、あとは酒も関係していたのでしょう。
しかし4人は漏れなく音痴であるからして、たしか500円ずつで遊んだと記憶するが、みんな15分も要さずに「持ち金ゼロ」になった。
顔を見合わせ「なにが面白いのだろうね」と笑い、そのまま店をあとにしたのである。
かわいいといえばかわいいエピソードであるし、
「向いていない」ということを肌感覚で知ったことに意味があった、、、ような気がする笑
おわり。
※新しいクーパーのニックネームは、「ミスター・ジャックポット」です=『ツイン・ピークス』
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明日のコラムは・・・
『Silence』