Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

カウパー激情・劇場(1)

2012-04-20 04:10:18 | コラム
身も蓋もないタイトルを冠した、新連載の第三弾。

やや更新が遅くなったのは、「ももいろクローバーZ」横浜アリーナ公演にいく準備? のためである。

あぁそうさ、完全に好きになっちまっただよ。
同日、米国では格闘家・青木真也が命がけで強敵アルバレスと闘うというのに、自分は週末アイドルに声援を送るという、、、それでいいんか!? と少しは思うが、いいや彼女らの身体能力の高さはほとんどアスリートなのである、こっちはスポーツ観戦の感覚で行くわけでね・・・と、これはまぁイイワケか。


さてカウパーとは正確には「尿道球腺液」のことだが、俗語で「先走り汁」ともいわれる、いわゆるアッチ系? のことばだ。

射精より少し前に分泌される、無臭無色な微量の液体―しかし同性間では「先走り汁」でいいかもしれないが、ことばの響きが既に下品であることからカウパーという男子も多い。

どんな連載なのかというと、まぁ同性しか喰いついてこない確率大ではあるが、
性的な、あまりに性的なウレシハズカシ物語を「ことばも内容も下品の極みなのに、読後感はなぜか爽快!」という文章スタイルで紡いでいく―と。
ただこれはあくまでも「目標」なので、爽快にならない回もあるだろうし、「閉じる」ボタンをクリックしたくなるような回だってあるかもしれない。

その際はモニターに向かって、「キチガイっ!!」と罵ってくれればいい。


第一回目のテーマは、映画館と性である。
映画と性ではなく、映画「館」と性なのがミソ。

挙げるエピソードは、みっつ。

(1)長い映画館通いで「たったいちどだけ」上映中に射精にまで至ったことがある
(2)映画館で初めて勃起したこと
(3)新宿の映画館で、複数の痴漢現る

ソフトなものから・・・とも考えたが、最初はインパクトが大事である。
(1)の、サイテーな話から始めてみる。

最初に、この映画の監督である杉田成道と主演の斉藤由貴、それから事件? の現場となった前橋レッドに謝罪しておきたい。

お馬さんの映画『優駿 ORACION』(88)で、イってしまったのである。

いや誤解しないでほしい、馬じゃないからね。
馬ではなく、由貴の足首が映るショットがあり、なんとなく股間をモゾモゾさせていたら、あっという間に果てた、、、という流れ。

もちろんズボンを下げていないし、パンツも脱いでいない。
しかし「出ちゃった」という事実がある以上、日本のピーヴィー・ハーマンになる可能性があったわけだ。
満席じゃなく、ガラガラでよかった、、、ということか。

それで映画小僧を名乗れんのか!? と自問自答することもあったが、映画はエロスと暴力なのである、そういうこともあるさと開き直るようになった。
といっても、それ一回きりであることは強調しておく。

はっきり書くが、作品がつまらなかったんだよ。由貴しか見せ場がないというか・・・って、裁判では負ける弁解だわな。

(2)いまでも鮮明に覚えているが、
高樹沙耶と石田えりという二大女優のハダカが同時に拝める『チ・ン・ピ・ラ』(84)が、自分の分身をそうさせた。(文末の予告編動画を参照)

ねーちゃんと観に行ったので(気づかれてはまずいという)焦りと恥ずかしさはあったが、これに関しては当然? 罪の意識はない。
罪深いのは、素晴らしい肢体を披露する沙耶・えりのほうでしょうよ。

そればかりが印象に残り、話の内容はすっかり忘れてしまった。

つまらなかったのか? とも思うが、あぁ脚本は金子正次か、もういちど観直す必要があるかもしれない。
再度「チンピクる」かも試してみたいし。

(3)これは被害者でも加害者でもなく、単に目撃者になった、、、という話。

場所は、コマ劇周辺の劇場「オデヲン座」。
作品は、大林宣彦の『あした』(95)だった。

平日の昼間―単身で入る。入りは3割程度。
予告集が終わり本編がスタートしてすぐに「きゃっ」という女子の小さな悲鳴があがり、彼女はすぐに退場していった。

なんだなんだ? と、周囲を気にして作品に集中出来ない観客たち。
そう、この時点ではまだ上映はストップしていなかった。

その10分後―こんどは自分の位置から三列前に座る女子が悲鳴をあげ「痴漢です!」と叫ぶ。

えっ。

さっきの悲鳴も痴漢だとすると・・・
自分の前方に移動してきたひとは居ない、ということは、痴漢がふたりも居たということ!?

ここで上映は中断、劇場に明かりが戻ると係員の「トラブルです、しばらくお待ちください」というアナウンスが入った。

立ったりすると、疑われるんじゃないか―という不安もあって、男たちは立ち上がろうとしない。(これは憶測だが、たぶん当たっている。自分も、そうだったから)

だから怖がっている女子だけが、ぞろぞろと退場を始めた。

疑心暗鬼の、男たち―ちょっとしたドラマになりそうだが、意外なことにあっさりと犯人が判明。

被害者ふたりが「それぞれの加害者」をきっちりと指差し、御用になったのであった。

すぐに上映は再開されたが、そんなことが起こったあとである、だからやっぱり、この映画そのものについては覚えていない。


あっ、そういえば主演の高橋かおりが、ヌードになっていたっけ。

そこだけかいっ!

結局、自分はそういうヤツ? なのである。
映画『カノン』(98=トップ画像)の主人公のオッサンは「俺はちんちん、人生もちんちん」と自嘲気味にいい放ったが、そこに打たれ号泣するという自分らしい? 連載にしていきたい。





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ユーレイよりパンツが見たい

2012-04-19 13:11:58 | コラム
「―正直に、いっていい?」
「ん?」

「ほんの少し気配を感じたような気がした、、、けれど、たぶん、“かつて居た”ということだと思う」
「なにが?」
「そうやって毎日、仏壇に線香をあげているんでしょう」
「まあね」
「その効果で、出ていっちゃったんだよ」

ここまで話して、やっとのことで合点がいった。
自宅に招待したN子は「見えるひと」だったんだ、すっかり忘れていた。

N子は2年前に知り合った同年代の女子で、ここがかつてワケアリと呼ばれる物件であったことを伝えていなかった。
引っ越した当初は「敢えてネタ」にすることも多かったが、
家賃軽減期間を既に終了しており、
また、実害? みたいなことが一切なかったことから、住んでいる自分自身もワケアリ部屋であったことを忘れていたのだった。

「―どういうひとが居たか、なんとなく見えたりするもの?」
「顔とか服装は、分かんない。でも、あたしより年上の女性ということは分かる」
「へぇ。どう? イヤな霊かな?」
「・・・そうではないと思うよ。少なくとも、まっき~にとっては。なんの現象も、なかったでしょう」
「うん、そうだけど、なんで分かった?」
「なんとなく」
「かつて居たってことはだよ、なにかの理由があって出ていったわけだ」
「そう」
「オナニーのし過ぎかな」
「(笑う)なんで?」
「いや、コイツは何回やるんだと頭抱えて、阿呆の伝染を避けるために出ていったとか」
「ありえるかも」
「(笑う)」


しかしシックス・センスのあるひとはたいへんだ。
N子はしょっちゅう見るひとで、そのために車の運転を控えるくらい。見ると身体が固まってしまうので、危険なのだそうだ。

ちょっとは見てみたい気もするが、N子の苦労を思うと、見えないほうが幸福なのだろうなと。


入居時、お祓いだけはしてもらった。
あとは自家製仏壇に手を合わせ、線香をあげる程度。
それで、退散してしまうものなのだね。

高齢者が多いというのも要因のひとつか、この団地、しょっちゅう救急車が止まる。
孤独死もあるだろうし、自死もあるだろうし、心中もあるのだろう。

2Kの間取りだから、夫婦プラス子がひとり、、、というケースが最も多いはず。
次いで夫婦、4~5人家族、最も少ないのが自分のような単身者である。

地顔がヘラヘラしているとはいえ、
坊主な髭野郎、
ときどき、いや訂正、ほぼ毎日AVの音声が部屋から漏れ聞こえてくるようなチューネンなわけで、出来るかぎり関わらないほうがいい、、、とされても不思議ではない。
しかも最上階の5階に住むということは、ポックリ逝っても気づかれない可能性は充分に高い。

だから―というわけではないが、来春の自治会役員を務めることになった。

先週のことである。
自転車駐車場で新車のメンテナンスをしていると、同じ棟に住む「おしゃべり好き」の主婦に声をかけられた。

「あなた、ほんとうに自転車が好きなのねぇ」
「えぇ、好きというのもありますけれど、自分、免許ないんでね。足といえば、これになるんですよ。大事に使わないと、いざというときに困りますから」
「上まで自転車持っていくようにしたでしょう?」
「もう盗られるの、勘弁してほしいですもの」
「自転車がある日は、在宅っていうこと?」
「そうともかぎらないですね。これ、特殊なタイヤで雨に弱いんです。だから晴天時しか、これには乗りません」
「家に居るときのほうが、多い?」
「・・・まぁ、そうかもしれないですね。ふつうとはいえない仕事、ですから」
「あなた、役員やってみる気はない?」
「あっ、前から疑問に思ってたんですよ。棟でぐるぐる回していくわけですよね」
「そう」
「自分、もう5年くらい住んでいるのにいちどもやったことないし、既に○さんとかは2度目だなぁって」
「そう!」
「ひょっとしたら単身者だし、アンちゃんといえるぎりぎりの年齢かもしれないし、気を使ってもらっていたのかなって」
「そう!!」

「(苦笑)やっぱり、そうでしたか。やりますよ」
「ほんとう? 助かるわ~」


すっとぼけても大丈夫っぽいが、かつて家賃も特例、さらに自治会ルールでも特例―というのでは、トラブルの種になりかねないし、ポックリ逝ったときに気にかけてもらえないかもしれない、、、って、逝く可能性や不安が「そんなに」高いのかって?

否。

とりあえず健康そのものだし、
ベタな返しだが、「逝く」ではなく「イク」なら毎日のことである。

まぁしかし呑み過ぎであり、
煙草を吸っている以上、癌になる可能性だって高く、
偏食傾向にあり、
病的な射精回数を誇? る・・・
それでなくともなにが起こるか分からない世の中だ、

とりあえず仏壇に手を合わせ線香をあげ、
「かーちゃん、こんなキチガイに育ってごめんなさい。誰も気づいてくれないかもしれないので、なにかあったら助けてください」
と、祈っておいた。


※トップ画像は、『シャイニング』(80)の双子。

こちらの動画は、日本のホラー映画『女優霊』(96)の予告編。
これ、ほんとうに怖かった。





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佳織とフランティック

2012-04-18 00:10:00 | コラム
「キチガイには、いわれたくない」と、在校生にも同級生にも卒業生にも突っ込まれそうだが、
自分の卒業した高校が年々レベルが低くなっている、、、という(噂ではなく)事実を耳にすると、
どうした群馬のガキたちよ、馬鹿になるのだったら徹底的に馬鹿になってほしいし、そうなりたくないのであればレベルを上げんか! と思う。

自分が在学していたころは、偏差値でいうと確か50真ん中から後半くらいだった。
現在は、40真ん中をうろうろしているのだとか。
みっつ上のねーちゃんも同校出身で、そのときは60前後・・・ってことは、あぁそうか、自分のときから下り坂だったのね、そりゃあ仕方ないわな、、、などと思い直したり。

自分の場合、「ちゃんとした」志望理由がなかったような気がする。
ただ単に、優秀なねーちゃんと比較されるのがイヤだからと、同じところを狙った。

しかし無理して入ったはいいが、共学なのに男女別々のクラスだし、いじめも経験するしでろくなことがなかった。
青春なんて灰だらけ、基本的に学園生活などクソなのだ―という(前日登場の)スティーブン・キングの思想に「ばっちり」「かっちり」「きっちり」「ずばっと」はまった時期であり、そんなときにトラビスやキャリーに出会ったわけだ。
だから同じように考える現役ティーンエイジャーのために、自分はひたすら76年の名画たち―『タクシードライバー』と『キャリー』―を強く薦めているのだった。


自分の高校時代に話を戻す。
みっつ離れたねーちゃんは、ある事情により、自分が1年生の2学期を迎えるころ、職員室でおこなわれた「たったひとりの卒業式」の主人公になった。

米国のテキサス州(サンアントニオ)に留学していたから、卒業が遅れたのである。

畑に囲まれたド田舎で留学というのは、かなり目立つ。
教師も鼻高々で、とくに生物の教師などは授業中、
「おい牧野、お前のねーちゃんに帰国した印象を聞いたら、なんということばが返ってきたと思う? “日本は小さい”だってさ。わはは!」
などと話しかけてきて、得意の愛想笑いを返しておいたが、内心は「ねーちゃん、ねーちゃんてうるさいんだよ、放っておいてくれ!」と思ったものだった。
比較されないよう同じ高校に進んだのに、かえってドツボ、、、みたいな。

といっても、姉弟で仲が悪いとかギスギスした関係にあったとか、そういうのではない。
親も放任主義であったが、周りがアアダコウダいってきた―というだけの話。


そんなねーちゃんは、もちろん英語が得意である。

自分?

母国語だけで精一杯、というのが本音。
ただ映画と格闘技に精通していると自称しているわけで、その業界だけで通じる単語にかぎっては詳しい、、、はず。

つまり英語と(柔術用語の多い)ポルトガル語を、少々。
ついでにいえば、指定を喰らう映画をこよなく愛していることから、英語のスラングを多少。


大好きな映画館のひとつ、渋谷シネマライズでフランス映画の『カノン』(98)が公開された初日―監督のギャスパー・ノエが舞台挨拶にきてくれた。

期待に違わぬ・・・いいや、期待以上の出来で、自分の生涯のベストテンにランクインする「大」傑作である。
その感激をギャスパーに伝えたくて「出待ち」していると、彼は「取り巻きゼロ」の状態で劇場から出てきてくれた。

握手を求めながら口から出たことばは、「エクセレント! マスターピース!!」という、ふたつの英単語だった。

だから、フランスのひとだって!!

しかしギャスパーは笑顔で「さんきゅ、さんきゅ♪」と返してくれたのである。

ラストシーンで号泣し、このことばで再び落涙した自分・・・

あれから10年以上が経過したというのに、自分は未だフランス語を勉強していない。あのとき、ほんのちょっとだけ「覚えようかな」と思ったはずなのに。

しかし今春の決意は、前回よりは固い。
だってフランス語の教育番組に、自分のミューズのひとり「かおりん」村治佳織が登場するのだから。

ごめん、ギャスパー。
しかしあなたなら、スキンヘッドのクレイジーな映画監督よりも、女人ギタリストに魅かれてしまう映画小僧の気持ちを理解してくれることだろう。

かおりんで、フランティック―フランスにちなんだことばのように思えるが、
『フランティック』(FRANTIC)とは88年に公開された米映画であり、「半狂乱」という意味。

そりゃあ半狂乱にもなるよ、佳織とフランス語で愛を交わせたら、、、ってなもんである?


というわけで。
崩しに崩した日本語を極めようとする過程にあるのに、フランス語を学び始めちゃっている自分なのだった。


※誤解を受け易い監督だが、ギャスパー・ノエは表現について真摯に哲学するひとである。
このオープニング、自分の考える「最、先、端。」の映像だと思う。
素晴らしい、とくに後半が。
たぶん、キューブリックの生まれ変わりだ。





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ミザりる

2012-04-17 00:15:00 | コラム
とある三面記事を読んで、「ミザりってるなぁ! 日本では割と珍しいかもしれない」などと思った。

自分が積極的に使用する造語系? のことばは、みっつ。

オリジナルから一語減らしただけなのにスピード感のある「モノスゴ」(=ものすごい)、
性的高揚をチャーミングに表現してみせた「チンピク」(=まぁ勃起度)、

このふたつは漫画家・小林よしのりが生みの親で「さすが!」と思える言語感覚だが、

みっつめの、どう考えても浸透しそうにない「ミザりる」―という造語は、自分作である。

スティーブン・キングの原作を映画化した、『ミザリー』(90)からヒントを得た。
というか、そのまんまだけれども。

作家が創りだすキャラクターを愛して愛して愛し抜き、
最終的には作家よりも「彼(彼女)のことを理解している」と思い込む受け手の「偏執的な行為・心理状態」を指す。

作家を監禁し、自分の思い通りにミザリーというキャラクターを動かそうとするキャシー・ベイツ(トップ画像)、怖かったものなぁ。

ある意味で。
「あくまでも」ある意味では、そこまで愛してもらえるのだから、創り手としては喜ばしいというか誇らしいというか。

ガンダムのシャアとか寅さん、『スタンド・バイ・ミー』(86)のクリスあたりも「愛され過ぎのキャラクター」といえるだろう。


その三面記事の主人公は、32歳のアンちゃん。
ライトノベル『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の作者・伏見つかさ氏への脅迫容疑で逮捕されたのである。

作中で自分の気に入りのキャラクターが「ないがしろにされている」ことに腹を立て、伏見氏の身体を切断した合成写真などとともに、狂ったメールを大量に送ったらしい。


うーん、クレイジー。
というのでは、少し軽過ぎる気がする。

しかし単に「狂っている」とするのも、愛ゆえの暴走という背景を捉えていない。

だからこういう場合は「ミザりっている」と表現したほうが、その世界観? が想像し易いのではないか。

ま、流行らないだろうけれど。


じつは自分が飽きることなく記す『タクシードライバー』(76)にも、「ミザりった」受け手が居る。
しかもひとりではなかったことが、映画史・事件史を俯瞰してみることではっきりする。

(比較的)軽い症状を患った青年Aは、
「トラビスは自分自身だ。どうして俺のことが分かったんだい?」
という問いを投げかけるためだけに、直接スコセッシに会いにきたそうだ。

うれしいが、ちょっと怖い、、、かもしれない。

と思うのは、トラビスを地でいく青年が、その数ヵ月後に社会を騒がせたからである。

少女娼婦アイリスを演じたジョディ・フォスターに恋をしたジョンという男が、彼女の気を引くという動機から、主人公と同じ行為(要人暗殺)を企てた「レーガン大統領暗殺未遂」事件。

この事件の特異性は、要人暗殺なのに「政治的要素」が皆無であったこと。


うーん。
素敵に狂った「ミザりる」状態である。

そんな自分だって、前者の孤独な青年と後者のキチガイ青年の「ちょうど真ん中あたり」に存在する、病的なタクドラ信者なのだった。


迷惑な話かもしれないが、ちょっとばかり羨ましいとも感じるものだって居るのではないか。

・・・ねぇ、作家の卵さんたち?


<特別? 付録>

~映画ではなく、キングの小説で好きな作品ベスト5~

(1)『シャイニング』
(2)『IT』
(3)『クリスティーン』
(4)『刑務所の中のリタ・ヘイワース』
(5)『キャリー』


※キングが珍しく饒舌に喋っている。
あぁ今野雄二さん合掌。
このころの木村優子、妙に色っぽくて好きだった。





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シネマしりとり「薀蓄篇」(2)

2012-04-16 00:15:00 | コラム
ボディダブ「ル」→「ル」ーカス・フィルム。

ルーカス・フィルム(Lucasfilm)とは、映画監督ジョージ・ルーカスが立ち上げた制作会社のこと。
『スターウォーズ』シリーズ(77~2005)や『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~2008)などを制作している。


盟友スピルバーグを永遠の映画少年と評するならば、ルーカスは神経質な技術屋さん、、、といったところか。
ただこれは80年代のイメージであり、当時はジョークも通じない感じだったが、現在はそんなこともなさそうである。

技術屋というのは・・・
ジェームズ・キャメロンが「これほど」目立つ以前は、映画とテクノロジーといったら「このひと」というイメージが、ルーカスにはあったから。
だからこそ、パナソニックのCMなどに出演していたのだろう。

実際、ルーカスにまつわる「技術系? キーワード」は多く、
劇場設備のチェックなどをおこなうTHX(=社名は、ルーカスの監督デビュー作『THX-1138』より)、
音響制作をおこなうスカイウォーカー・サウンド、
スタジオILM(=Industrial Light & Magic)・・・
などなど多岐に渡るが、個別にしりとりで取り上げるかもしれないので、このへんの解説は割愛しておこう。

象徴的だなぁと思ったのが、10年くらい前に映画雑誌で読んだ記事。
コッポラとスコセッシを自宅に招いたルーカスが、巨匠ふたりに「デジタル技術」の素晴らしさを説き、その活用を勧めていた、、、というのである。

やっぱり技術屋さんなんだよね―と思わせる内容だが、映画監督としての才能はどうなのか。

『スター・ウォーズ』シリーズを除いてしまうと、監督作はわずか2本。
デビュー作と、『アメリカン・グラフィティ』(73)だけなのである。

しかし凡庸でないことは、この青春群像劇に触れただけで分かる。
こういう映画を撮れるのであれば、もっともっと監督作を観てみたい、、、と思わせるだけの魅力を持っているのであった。


・・・と、ここまでの文章では、ウィキペディアとたいして変わらない印象を受けるだろう。

というわけで、ここから自分らしさ全開で。

かなり前に、ルーカス一家を捉えた集合写真が雑誌に載ったことがある。

それを友人に見せ、敬意を表しつつ馬鹿にした自分が居る。

曰く「成功者は、歩くのが嫌いらしい」。

家族全員が、まるまると太っていたからである。

そのなかにアマンダという少女が居たことは、ぼんやりと覚えている。
そして去年、成長した彼女と話す機会を与えられた。

アマンダ・ルーカスという本名で、女子総合格闘家として日本にやってきたからである。

日本の格闘家・北岡悟は彼女を「メタボなんじゃないか」と評していたが、だとしても「動けるメタボ」である。
重いのに速い―を武器に、なかなかの好成績を残しているのだから。

じつは養子という間柄なのだが、実際の親子以上の絆がある―と娘も父もいう。
とくに父は愛娘の日本での活躍を誇らしく思っているようで、たびたび応援メッセージのビデオを送ってくれる。
しかもファンサービスを忘れず「フォースとともにあらんことを」と、恥ずかしそうにいうのである。

この映像を観たときから、あぁジョークが通じるようになったんだな・・・と思うようになった。

アマンダのセコンドとして来日する日、、、は、意外とそう遠くないのかもしれない。

・・・って、ルーカスそのものへの言及ばかりになっちゃった。






次回のしりとりは、ルーカス・フィル「ム」→「む」らきよしろう、とつづく。

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