Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

「知っているよ」、とはいえません。

2012-07-21 00:15:00 | コラム
べつに、ひとがいいとか主張したいわけではないけれど。。。

小学校4年のころか。
友人が「すっごい辛いガムがある。こんど、持ってきてあげる」という。

辛いものが好きというわけでもなかったが、とても楽しみにしていた。

数日後に友人が持ってきたのは、ペンギンで有名なクールミントガムだった。

自分で買ったことはなかったが、運転中のとーちゃんがよく口にしていたから知っている、もらったこともあるので味も知っている。

辛いとはちょっとちがう気もするが、友人は「ほら、食べてみて。すごいから」などと勧めてくる。

「ちょっと噛んだら、息をスーハーってしてみて」
「(スーハーしてみる)」
「ね、辛いでしょう」
「・・・うん、辛い」

なにがいいたいかというと、ここで「知っているよ」とはいえない人間である―ということ。
「へぇ、知らなかった」と無知を装うほうが、発信者は気持ちいいのではないか、、、と。

昔からそうであったし、現在もその傾向にある。
(唯一、映画に関してだけは「知っているよ」と返すかもしれない)


光市の母子殺害事件、その判決が下される前日のこと―。

朝刊の解説でも読んだのだろう、みっつ年上のAさんが「まっき~は、死刑が出ると思う?」と聞いてきた。

自分が答えようとしたところ、それを遮り「永山基準」について語り始めるAさん。
そうか、自分の考えを聞きたいのではなく、永山基準について解説したかったというわけね。

被害者は複数か否か―永山基準を簡単に解説すればそうなるが、
Aさんには、興味のあることや勉強してきたことをあまり話してこなかった、、、というのもあり、自分が少年犯罪などについて詳しいほうだということを知らない、

せっかく気持ちよく話しているのだから・・・と思って最初は「はい」とか「へぇ」とか返していたのだが、あまりにもしつこく饒舌に解説しようとしてくる。

ふだんは「知らなかった」を通す自分だが、ちょっと嫌気が差してきた。
ので、「彼の著した『無知の涙』、読みましたよ。永山を主人公とした映画『裸の十九歳』も観ました」と返すと、
Aさんは途端に表情を曇らせたのだった。

・・・あ、やっぱり黙って聞いておけばよかったかな。


フツーに生活していれば、こういうシチュエーションには何度も何度も出くわすはずである。

知識を張り合って? なんでも「知っている」というのもギスギスしてきそうだし、
知っていることばかりなのに「知らない」と返し続けるのも白々しくなってくる、

その中間、
「(軽く)知っている」
というのは、どうだろう。

アニー・リーボヴィッツという、大好きな写真家が居る。

レノンとヨーコのこの写真が最も有名だと思うが、

不確かな記憶のままだったのだろう、友人Bは「確かレノンの男根まで写っていて、日本ではちゃんと公開出来ないんじゃない?」という。

「知ってる? そういう写真」

「うん、なんとなく記憶に、、、」といっておけばよかったのかもしれないが、

「リーボヴィッツの作品ね、あれは男根、写ってないよ」と返したものだから、

Bは「なんだ、俺より詳しいのか」と、ちょっと不機嫌な表情を見せた。


なんか、難しいな。


ん?

そんなに繊細な人間なのに、
なぜ、ウンコ直後に形状や色、臭いについていちいち報告するのか?
なぜ、きのう「誰でヌいた」などと自慰を打ち明けるのか?

そっちのほうを、どうにかしろって?


まぁ、そうなのだけれども。


※トップ画像は、ヒッチコックの『知りすぎていた男』。
動画は、ヒッチコックによる「自作へのカメオ出演」の数々。





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明日のコラムは・・・

『愛と憎しみのbooing』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(8)

2012-07-20 00:15:00 | コラム
むらきよしろ「う」→「う」らじみーる・なぼこふ(ウラジミール・ナボコフ)

聞かれたわけでもないのに何度も主張していることのひとつに・・・

自分は、社会的に(たぶん)許される範囲内のロリコンである、、、というのがある。

つまりペドフィリア(=小児性愛、児童性愛)ではないよと。
小学生で疼くことはないが、中学生だったらOKみたいな。

挑発的なエロスより、
まだ、自身の性的魅力に気づいていない―そんな、無防備さからくるエロスのほうにグッとくる。

好きなAV女優は「みんなそんな感じ」だし、女子のファッションも「そんな感じ」なのが好き。

いつごろから?

ずっと前からそうだった、、、ような気がする。


ロリコンはロリータ・コンプレックスの略だが、このことばは「ハンバート・コンプレックス」のほうが適切なのかもしれない―という意見がある。
「エディプスコンプレックスがエディプス王に由来することば」であることに倣えば、
少女に特別な感情を抱くコンプレックスは、小説『ロリータ』の主人公ハンバートが抱えたもの。
だから、ハンバートに愛された少女の名前を冠するのはおかしい、、、というわけ。

確かにそうだが、もう根づいたことばであるし、ロリータという響きは(結果論のような気もするが)インパクト大だからね、もう修正は不可能だろう。

『ロリータ』の生みの親が、ウラジミール・ナボコフ。
ロシア出身の作家で、沢山の作品を残した―のだが、これ一作で語られることの多いひと。

実際、自分も『ロリータ』しか読んだことはない。

下宿先で知り合った少女にこころを奪われる大学教授の物語・・・ぜんぜん危険でもないしエロくもない、というのが率直な感想ではあるものの、
ロリータに「近づくために」母親である未亡人と結婚しようとしたり、
確かにちょっと常軌を逸しているのかもしれない、そういった内容が問題視され、度々発禁処分を受けた問題作として有名である。

やや逸れるかもしれないが、軽薄な80年代(でも、好きな時代だよ)では許された『およしになってねTEACHER』(おニャン子)が、エンコーやワイセツ教師の大量発生により現代ではNGっぽくなっているのにちかい―つまり、時代も関係しているのかと。

それでも都知事あたりはいうのかね、小説の『ロリータ』は許せても、それをコミックにしてみたらダメだと?


さて映画版の『ロリータ』は、61年と97年に制作されている。

前者はキューブリックが、後者はエイドリアン・ラインが映画化。
ともに成功作とはいい難いが、監督としては申し分がないというか、このふたり以外は創っちゃいけないのでは・・・と思えるほど、スキャンダラスということばが相応しい監督である。

甲乙をつけるとすれば、演出力に関係なく、ロリータ役の女優(ドミニク・スウェイン…トップ画像)で後者の勝ち。
キューブリック版は、ロリータに魅力がなさ過ぎた。


自分の友人にロリータ系の女子が居て、いまでも「頑張れば」同年代なのに20代前半に見える。
付き合う男は50代くらいばかりで、みなロリコンなのかと思うが、そんなジイサンと97年版の『ロリータ』を観たそうだ。

彼女曰く「ロリータはカラッポの人間として描かれていて失望したけれど、ハンバートを抱きしめたくなった」。

なるほど。
愛情を注ぐ男ばかりでなく、受けるほうの「少女」にも「その気」があるということなのか。


こうしたテーマを語るのは、常に「すれすれ」だ。
完全に「向こう側」にいってしまうと児童ポルノの問題と直結するし、
でも「向こう側にいきそうでいかない」ところに文化があったりもする。

「自分はロリータか否か」を判断するリトマス試験紙として、とりあえず映画『エコール』(2004)と、AV女優のつぼみをプッシュしておこう。


※でもポスターや予告編などは、さすがキューブリックという感じ。






次回のしりとりは、
うらじみーる・なぼこ「ふ」→「ぶ」るーたす

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シネマしりとり「薀蓄篇」(7)

2012-07-19 00:15:00 | コラム
かにばりず「む」→「む」らきよしろう(村木与四郎)

映画の内容ではなく、その技術を解説する―となった場合、自信がある順に挙げると・・・

(1)脚本
(2)演出
(3)撮影
(4)編集
(5)演技
(6)音響

その次に、やっと「美術」がくるかな。

つまり得意というわけではないが、専門学校時代には日本映画史に名を刻む名美術監督に教えを乞うていた。

低予算という縛りのなかでこそ輝く、木村威夫である。

鈴木清順のパートナーとして有名だが、木村先生による自分の採点は最も低い「C」、

「君は脚本ばかりに興味を注ぎ過ぎていて、リアリティというものがどう生まれるのか考えたことがないんだろう」
と評されたこともあるほどの落第生だった。

そんな自分でも、もちろん「あ、この映画の美術は凄いな」と思うことがあって、上位みっつを挙げるとするならば・・・

木村威夫が手がけた『ツィゴイネルワイゼン』(80)、
溝口健二の完璧主義が冴える『近松物語』(54)、
そして、ヒロインの部屋の造りに感心した『ゴーストワールド』(2001)となる。


黒澤信者ではあるものの、
脚本や演出、カメラばかりに興味がいく自分は、黒澤映画における美術について感心を持つことが「あまり」なかった、、、ような気がする。

それでも『赤ひげ』(65…トップ画像)や『どですかでん』(70)の美術は目を引き、
ただ美術監督がどうこうというより、画家も顔負けの絵コンテを描いていた黒澤が凄いだけなんじゃないか・・・などと思っていたものだった。

村木与四郎は、そんな黒澤組で美術を担当していたクリエイター。
そのキャリアの8割が黒澤印というのだから、そーとーな信頼関係で結ばれていたのだと思う。


リアリティというものがどう生まれるのか―木村先生のことばを理解出来たのは、学校を卒業してからのこと、、、だったかもしれない。

たとえば、何度も観返していたはずの傑作『アマデウス』(84)。
真の主人公サリエリが「神は自分を見放した」と感じ、部屋の十字架を外すシーンがある。

サリエリの自宅の壁に、くっきりと残る十字架の「痕」―この部分だけ壁の色がちがっているのだが、それだけでサリエリが敬虔な信者であることが「よく」分かる。

分かると書いたが、この何気ないショットに気づいたのは24歳くらいのことだった。

派手なセットや変わった小道具だけが映画美術じゃない、こういう細かいところに「こそ」リアリティが宿る、ということなんだろう。

『ダイ・ハード』(88)で非常階段に「巨乳のグラビアポスター」が貼ってあるのも、
『ターミネーター2』(91)で、T-1000がマネキンと対峙するのも、
美術監督の仕事というわけである。


自分のような美術「シロート」でもハッとする、村木与四郎の「どえらい」仕事。

54年、『七人の侍』の旗……まだ村木は監督「助手」だったけれど

57年、『蜘蛛巣城』の「おどろおどろしい」雰囲気創り……特撮シーンは、円谷英二が協力

57年、『どん底』の「おんぼろ」長屋

65年、『赤ひげ』の診療所

70年、『どですかでん』のすべて

85年、『乱』のすべて


たまには「そういう観かた」をしても、いいと思いません?






あすのしりとりは、
むらきよしろ「う」→「う」らじみーる・なぼこふ。

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愛の再生

2012-07-18 00:15:00 | コラム
「―はい、町田警察です」
「すんません、きょうの夕刻に連絡をもらったみたいなんですが、成瀬交番からですかね、自転車の盗難届けを出していたんですけれど―」
「見つかった、と」
「えぇ、そうです」
「成瀬ですか」
「たぶん、成瀬だと思います。留守番電話のメッセージが小さい声で、はっきりとは聞き取れなかったんですが」
「分かりました、地域課につなげますね」
「はい」

ここでは、保留音が聞こえた。

「はい地域課です、自転車の件ですよね?」
「はい」
「成瀬交番といっていましたか」
「確かそう聞こえました」
「分かりました、成瀬につなげますね」

そういったのに、なぜ最初から成瀬交番につなげないのか。

そしてこのときは、保留音が聞こえなかった。
だから、オマワリたちの声がそのまま耳に入ってくる。


<成瀬だって、成瀬だよ。ったく、なんでこっちに回すんだよ、面倒くせえなぁ>


あれ自分は、被害者のはずなのに。
まぁこの電話を成瀬につなげたからって、あんたのボーナスが増えるわけでもないからね、気持ちは分かるが、愚痴をいいたかったら、せめて保留音のボタンを押すようにしましょうね。

まぁいいや、オマワリの質の悪さは何度も対象者になっている職質で充分理解している、きょうはそれがテーマではない。


愛車―と呼べるほど乗りこなしていなかったが、購入して20日足らずでパクられた自転車が、バラバラ死体で戻ってきた。

最も高価なタイヤは前後輪とも外され、ペダルもない。
その現物は目にしていないから、成瀬オマワリの証言をもとにしているだけだけれど。

しかもこのオマワリ、ちょっと笑いながらどうしますかと聞いてきたのだ。

「―発見はされたのですけれどね、なんというかですね」
「えぇ」
「(笑い声)タイヤはありません、ペダルもないんだけど、、、」
「あぁ、やっぱり」
「どうしますか、(笑い声)引き取られます?」
「んー、その状態ではねぇ」


ん?
それなりに高価なものなんだろうって?
引き取らないのかって?

そこが問題なんだ。

たとえば。
パクられてから盗難保険を利用して手に入れた現在のチャリは、乗って6ヶ月が経過している。
これを「いまパクられ、半年後に発見されたとしたら」引き取りにいく。
タイヤやペダルがなくても、、、である。
6ヶ月間、ほぼ毎日「正常位」で愛し合っていたから。

個人的には後背位が好きなのだが、そういう技巧を駆使出来るのは交際1年後だろう。

強引にエロな話を持ち込むからテーマが見え難いが、つまり交際を始めた直後に寝盗られたチャリの場合、そもそもの愛情が薄く、イマサラ戻ってこられても・・・という気持ちを抱くのである。

だってメンテナンス(愛撫)もいちどだけだし、長距離(旅行)を試したのもいちどきり。

どうやって愛を育んだっていうんだ?

タイトルは愛の再生って冠したけれど、再生すべき愛が希薄に過ぎるのだ。


というわけで、「どうとでもしてください。なんなら、あげますよ」と元カノを赤の他人に譲ったのだった。
彼女、ひょっとしたら年上好きだったのかもしれないし。


しかし。
見つからないと思っていたんだ、正直な話。
高価なパーツだけ抜き取られ、あとは鉄くずとして海外に行ったのかと。

散々犯され、風俗に飛ばされる、、、みたいな。
石井隆の劇画の世界かと思うが、未だにそういう堕ちる女は存在するようだし。


「昔は盗人」だった自分がエラソーにいうわけにはいかないが、
いつか「バチかぶる」はずだから、悪さはしないでね。


※なんだか「ちょうどいい」曲があったので。
彼女たちのことは好きでも嫌いでもないが、発育途上にある脚は、まぁ魅力的ではある。




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初体験 リッジモント・ハイ(11)

2012-07-17 00:15:00 | コラム
人数のかぎられた呑み会などの場合、いつも迷うのが「誰を誘って、誰を誘わないのか」というメンバーの人選。

『はないちもんめ』の、歌詞のようである。

♪ あの子がほしい あの子じゃわからん 相談しましょ、そうしましょ ♪

これで遊んだ記憶はないが、イヤな曲だ。
学校の昼食で誰と食べるかに似ていて、必ず「あぶれる子」が出てくるものじゃないか。

モテ男過ぎると、その場の全体を奪われる。逆にダサ男過ぎても、相手が引いてしまう。
だから「ちょうどいい同性」が必要となり、なかなかに難儀なのだ。

4人は確定。
さぁ、もうひとりはどうする?

Sかな、いやアイツは不機嫌さを露骨に出すタイプだからペケ、
無口なKかとも思ったが、無口に過ぎるか、
ここは無難にEかもしれない・・・。

そうやって集められた5人のメンバーが調布駅改札前に集合し、「いくぜ!」と気合を入れた直後―同じ新聞店で奨学生をやっているМが「偶然」そこを通りがかった。

Mも自分らも明るく振る舞うが、正直、自分は「しまった、、、」と思った。


Mを外した理由は、なんとなく分かる。
服装や髪型などを、まったく気にしないタイプだったから。

ただ自分は、Mといちばん仲良くしていた・・・そんな関係性があったから、一次会が始まっても「しまった、、、」な気持ちを切り替えられないでいたのである。

友達想いのように捉えられるかもしれないが、そんなわけでもない。
いざエッチ、、、となれば、簡単に裏切る傾向にあるのだから。


テンションの低さを、アルコールで誤魔化す自分。
その効果もあってか、、、というか、その効果しかなかったろうが、二次会から急にハイテンションと化す。

前日に「バカ騒ぎこそ合コン―という感じで「ノリ」を強制されるのはたまらない」と記したが、
このときばかりはバカ騒ぎを強制してしまった、、、ような気がする。

でもそれがウケたようなので結果オーライ、カラオケボックスでMCを気取るバカチンなのだった。

自分が歌ったのは確かC-C-Bの二連発、
青春のバンドなのでいまでも好きだが、改めて聴くと(文末リンク)恥ずかしくなるくらいの歌唱力だよね。巧いゴム(=関口誠人)が、可哀想になるくらいに。

その勢いで三次会に突入、
女子ふたりは「終電があるから…」といい出したが、ほとんど強引にビリヤードに誘う。

合コン初体験のうえにビリヤードまで初体験、けれどもなぜか自信満々―おそらく酒の効果だろう。おそろしい―の自分、プロのマネゴトをしてみたら意外や意外、メンバーのなかで最も巧くこなしたのだった。(その経験があったからか・・・デートで初体験のダーツを自信満々で試してみたら、一発も的に当てられないということがあった)


結局、自分だけが楽しんだ?
ようにも思われるが、少なくとも男子連中は満足そうな表情をしていたので、まぁ成功だったといえるんじゃないか。

この世には、
性交しなければ成功とはいえない―みたいな大人の合コンもあるのかもしれないが、
まぁ自分は、そんな世界の住人ではないので、帰還して自慰をすればそれでいいのである。


ほんとうか?

少し、ほんの少し、嫉妬やヤケクソが混じってはいるが。





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