鬼畜系のエロ本用にコラムを執筆していたときのこと。
BGMとしてスカパー! の映画あるいは音楽チャンネルをつけているのだが、その日はスコセッシの『ディパーテッド』(2006…トップ画像は撮影風景)が流れていた。
劇場公開時に7回、DVD発売時に購入して10回以上観た作品である。
しかし好きなのか? と問われると、これが頷けない。
スコセッシ「だから」という理由で支持はするが、誤解を恐れずにいえば・・・
歴代オスカー受賞作品と比しても見劣りがしてしまうし、スコセッシのキャリアにおいても決して成功作とはいえない。
オリジナルの傑作『インファナル・アフェア』(2002)に遠く及ばないことは、スコセッシ信者だって認めざるを得ないだろう。
本家には、ケリー・チャンが出ているし。(ここは関係ないか)
ともかく、
これでオスカーを取ってもなぁ・・・と、オスカー授賞式の生中継を観たものだった。
そういえば芥川・直木賞も発表されたが、
今期の受賞作もだいぶ早い時期に読んでいて、どちらも納得の受賞だと思ったが、前回・前々回に比べて「この盛り上がりのなさ」はどうしたことだろう。
田中ちゃんのように「もらっといてやる」とスピーチせねばならんのか、
西村ちゃんのように「とりあえず風俗に、、、」とジョークでもかまさなければならんのか、
あるいは綿矢ちゃんのように、美少女でなければならんのか。
文章で喰うひとなのに・・・とも思うが、
そういった無関係というか無駄というか余分な「雑音」までを含めて勝負する時代、、、なのかもしれない。
話を戻して。
スコセッシがオスカー受賞をした晩は、どえらい数のメールを受信した。
タイトルのほとんどが「おめでとう」だったと記憶するが、
そのメールひとつひとつに「まさかねぇ」と返す自分、何人かから「素直じゃないね、喜べばいいのに」という再返信が届く。
確かにそうなのだけれども、愛を抱いたばっかりに、複雑なこころの動きがあるわけで。
そんなわけで今宵は、
映画賞の「なぜ、これが?」という受賞の結果を五つほど挙げてみたい。
(1)日本アカデミー賞、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007)
同年の話題作『それでもボクはやってない』は「かすり」もせず、日テレが制作した『東京タワー』がほとんどの賞を独占。
日本アカデミー賞が日テレ放送というのもあって、「出来レース?」説が流れる。
オカン役で出演した樹木希林まで「この結果はおかしい」と発し、けっこう問題となった。
そういうものとは無関係でメガホンを持ったはずの松岡錠司監督が、いちばん可哀想。
(2)アカデミー賞、『ブレイブハート』(95)
メル・ギブソンの監督作。
堂々とした演出などには感心したが、大作「感」というもの取り除いて冷静に見つめてみると「それほど・・・」な出来であることに気づく。
同年のノミニーには『イル・ポスティーノ』があり、自分は断然こちらを支持する。
(3)カンヌ映画祭、『うなぎ』(97)
この年はふたつのパルムドール(最高賞)が生まれ、もうひとつがキアロスタミの『桜桃の味』だった。
『桜桃の味』の渋みには「やられた」クチだが、『うなぎ』でよかったのは柄本明くらい。
イマヘイには、もっとパルムドールに相応しい傑作が沢山あるのに・・・。
(4)ゴールデンラズベリー賞、特別大賞に輝いたシルベスター・スタローン
20世紀最低主演男優賞、なんだそうだ。
まぁ確かに演技が上手とはいえないが、もっとひどいひと、「沢山」居ると思うのだけれどもな。
(5)雑誌『ロードショー』読者選出の年間映画賞、『パールハーバー』(2001)
若手の二大俳優への支持から、こんな結果に。
ただひとり、イラストレーターの宮崎祐治が「そんな映画の観かたじゃダメだ」と誌上で読者を批判、アッパレ! といった記憶がある。
実際、この結果を受けて『ロードショー』を買わなくなったのだった。
雑誌に対してではなく、その読者に違和感を抱いてのことである。
作品そのものの評価だけで決定出来そうで出来ないのが、賞というもの。
スコセッシは功労賞の意味合いが強く、
スピルバーグは売れっ子であることが妬まれて「なかなか」手に出来なかったし、
もちろん、時代や政治も絡んでくる。
そういうことを理解してうえで楽しめばいいのだけれども、
好きであればあるほど、いろいろいいたくなってしまうものなのだ。
※えらく分かり易いスコセッシのキャリア解説。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『おそろかには食わぬぞ』
BGMとしてスカパー! の映画あるいは音楽チャンネルをつけているのだが、その日はスコセッシの『ディパーテッド』(2006…トップ画像は撮影風景)が流れていた。
劇場公開時に7回、DVD発売時に購入して10回以上観た作品である。
しかし好きなのか? と問われると、これが頷けない。
スコセッシ「だから」という理由で支持はするが、誤解を恐れずにいえば・・・
歴代オスカー受賞作品と比しても見劣りがしてしまうし、スコセッシのキャリアにおいても決して成功作とはいえない。
オリジナルの傑作『インファナル・アフェア』(2002)に遠く及ばないことは、スコセッシ信者だって認めざるを得ないだろう。
本家には、ケリー・チャンが出ているし。(ここは関係ないか)
ともかく、
これでオスカーを取ってもなぁ・・・と、オスカー授賞式の生中継を観たものだった。
そういえば芥川・直木賞も発表されたが、
今期の受賞作もだいぶ早い時期に読んでいて、どちらも納得の受賞だと思ったが、前回・前々回に比べて「この盛り上がりのなさ」はどうしたことだろう。
田中ちゃんのように「もらっといてやる」とスピーチせねばならんのか、
西村ちゃんのように「とりあえず風俗に、、、」とジョークでもかまさなければならんのか、
あるいは綿矢ちゃんのように、美少女でなければならんのか。
文章で喰うひとなのに・・・とも思うが、
そういった無関係というか無駄というか余分な「雑音」までを含めて勝負する時代、、、なのかもしれない。
話を戻して。
スコセッシがオスカー受賞をした晩は、どえらい数のメールを受信した。
タイトルのほとんどが「おめでとう」だったと記憶するが、
そのメールひとつひとつに「まさかねぇ」と返す自分、何人かから「素直じゃないね、喜べばいいのに」という再返信が届く。
確かにそうなのだけれども、愛を抱いたばっかりに、複雑なこころの動きがあるわけで。
そんなわけで今宵は、
映画賞の「なぜ、これが?」という受賞の結果を五つほど挙げてみたい。
(1)日本アカデミー賞、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007)
同年の話題作『それでもボクはやってない』は「かすり」もせず、日テレが制作した『東京タワー』がほとんどの賞を独占。
日本アカデミー賞が日テレ放送というのもあって、「出来レース?」説が流れる。
オカン役で出演した樹木希林まで「この結果はおかしい」と発し、けっこう問題となった。
そういうものとは無関係でメガホンを持ったはずの松岡錠司監督が、いちばん可哀想。
(2)アカデミー賞、『ブレイブハート』(95)
メル・ギブソンの監督作。
堂々とした演出などには感心したが、大作「感」というもの取り除いて冷静に見つめてみると「それほど・・・」な出来であることに気づく。
同年のノミニーには『イル・ポスティーノ』があり、自分は断然こちらを支持する。
(3)カンヌ映画祭、『うなぎ』(97)
この年はふたつのパルムドール(最高賞)が生まれ、もうひとつがキアロスタミの『桜桃の味』だった。
『桜桃の味』の渋みには「やられた」クチだが、『うなぎ』でよかったのは柄本明くらい。
イマヘイには、もっとパルムドールに相応しい傑作が沢山あるのに・・・。
(4)ゴールデンラズベリー賞、特別大賞に輝いたシルベスター・スタローン
20世紀最低主演男優賞、なんだそうだ。
まぁ確かに演技が上手とはいえないが、もっとひどいひと、「沢山」居ると思うのだけれどもな。
(5)雑誌『ロードショー』読者選出の年間映画賞、『パールハーバー』(2001)
若手の二大俳優への支持から、こんな結果に。
ただひとり、イラストレーターの宮崎祐治が「そんな映画の観かたじゃダメだ」と誌上で読者を批判、アッパレ! といった記憶がある。
実際、この結果を受けて『ロードショー』を買わなくなったのだった。
雑誌に対してではなく、その読者に違和感を抱いてのことである。
作品そのものの評価だけで決定出来そうで出来ないのが、賞というもの。
スコセッシは功労賞の意味合いが強く、
スピルバーグは売れっ子であることが妬まれて「なかなか」手に出来なかったし、
もちろん、時代や政治も絡んでくる。
そういうことを理解してうえで楽しめばいいのだけれども、
好きであればあるほど、いろいろいいたくなってしまうものなのだ。
※えらく分かり易いスコセッシのキャリア解説。
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明日のコラムは・・・
『おそろかには食わぬぞ』