Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

火をつけろ

2012-07-08 05:39:05 | コラム
興奮してきた。

ドキドキが止まらない。
ワクワクが躍動する。

怨念が爆発し飛び火し、あらゆる人間を巻き込んだらいいと思っている。

ひとが死んでいる、しかも弱者と位置づけられる子が自ら命を絶っているというのに、
いやだからこそ、もっとムチャクチャになればいいと願っている。

大津のいじめ問題のこと。

市長が泣いている会見もよく分からんが、
ここまで「おおっぴらに」いじめが展開されていて、知らぬ存ぜぬなどあるわけない。

現代はネットを駆使する表に出てこないいじめが主流だが、このケースはどうやらそうでもないようだ。


和解や赦しなんて、なくてもいいんじゃないか。
加害者の少年たちが、どん底の一生を送ればいいと思う。


パンツをずり下げられ、
金を盗られ、
万引きを強要され、
自死の練習をさせられる。


下校時間を知らせるチャイムが鳴るまで、トイレの個室に閉じこもらなければならない―そんな姿を想像してみろってんだ。
絵は想像出来るかもしれんが、でもね、そんな、ひとりになれる瞬間にしか生きた心地がしなかった彼の気持ちまでは分からんだろう、よく学校に行き続けたと思う。


(1)79年9月9日―。
少年(当時12歳)がマンションの中庭で、大の字になって死んでいるのが見つかった。

その3ヶ月前・・・彼は遺書を残して自死を図ったが死にきれず、全身汗だくになって帰宅している。
遺書には「毎日いじめられるので、学校に行くのが嫌になりました。生きているのも、嫌になりました。僕は自殺します」と書かれていた。

身長142センチ―彼は「チビ」と馬鹿にされ、「壁」というあだ名をつけられた。

「お前は壁なんだから、壁を向いていればいい」

まずかったのは、その自死未遂が同級生にばれてしまったこと。

自死未遂後のあだ名は、「自殺野郎」。
父親の過去の職業が「バキュームカーの運転手」であったことも発覚し、「汚い」「臭い」と罵られ続けた。

『完全自殺マニュアル』を著した鶴見済は、こう主張する。

「いじめられるヤツはなにをしてもいじめられる。(中略)そもそもなんの共通目的もなく、ただ人間関係だけがあるクラスという奇妙な集団の中ですることと言えば、恋愛ゴッゴかいじめくらいしかない。
父親は中1の息子に、「あと2年半だからがまんしろ」となぐさめたそうだが、中学を卒業すれば幸せになれるなどとは誰も保証してくれないし、高校に進学しても事態が変わるとはかぎらない」

非情だが、確かにそうだと思う。
「いかにもいじめられそうな奴」というのは、確かに存在するのだ。
それは風貌によるものか、あるいは言動によるものか、場合によっては「たまたま」ということも、あるかもしれない。

(2)94年11月27日―。
少年(当時13歳)が自宅裏の柿の木で、首を吊って死んだ。

(同級生に)顔を水中に突っ込まれ、殴られ、蹴られ、そして・・・100万円以上も脅し取られていた。
自死したその日も、4万円を恐喝されている。

彼が遺した遺書は(誤解を恐れずにいうが)鮮烈だった。
少し長くなるが、その抜粋を載せておこう。

「いつも4人の人(名前が出せなくてスミマせん。)にお金をとられていました。そして、今日、もっていくお金がどうしてもみつからなかったし、これから生きていても・・・。だから・・・。また、みんなといっしょに幸せにくらしたいです。しくしく。
(中略)
あ、そーいえば、何で奴らのいいなりになったか? それは川での出来事がきっかけ。川につれていかれて、何をするかと思ったら、いきなり、顔をドボン。とても苦しいので、手をギュッとひねった。助けをあげたら、また、ドボン。こんなことが4回ぐらいあった。特にひどかったのは○○川。深いところは水深5~6mぐらいありそう。
(中略)
ここで(A)につれていかれて、おぼれさせられて、矢印の方向へ泳いで逃げたら、足をつかまれてまた、ドボン。しかも足がつかないから、とても恐怖をかんじた。それ以来、残念でしたが、いいなりになりました。あと、ちょっとひどいこととしては、授業中、てをあげるなとかテストきかん中もあそんだとかそこらへんです。
(中略)
テレビで自殺した人のやつを見ると、なんで、あんなちょっとしかとられていないんだろうっていつも思います」

どうだろう。
彼の名誉とプライバシーのためには、こう発言することに躊躇いを感じるのだが・・・

「しくしく」「ドボン」という表現に触れて、「あぁ、いじめられるタイプだ」と思った。

(3)「家の人、そして友達え(原文のまま)
突然姿を消して申し訳ありません。(原因について)くわしいことについては○○とか××(原文では実名)とかに聞けばわかると思う。
俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
ただ俺が死んだからって、他のヤツが犠牲になったんじゃ意味ないじゃないか。だからもう君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ」

85年2月1日―。
少年(当時13歳)がショッピングセンター地下1階の手洗い所個室内で、首を吊って死んだ。

彼は、同級生と4人の教師の共謀により「葬式ごっこ」という屈辱を受ける。

黒板の前に置かれた彼の机の上には、飴玉や夏みかんが供えられた。
花や線香まで用意されいていたという徹底ぶりで、遺影(!)の横には、「追悼色紙」が立て掛けられていたのだ。

大津にちかいのは、このケースだろう。

(4)03年9月18日―。
16歳の少女が飛び降り自死を図る。
何とか一命を取り留めたが・・・両脚のかかと骨折と肺損傷により、全治6ヶ月の重傷。

彼女を追いつめた同級生達は、自分の携帯電話の料金を払わせるため「ボコボコにされたくなければエンコーして、金を作れ」と、売春を強要したのである。


鬼畜じゃあないか。

そして鬼畜の数だけ、怨念は生まれるはず。

怨念は、なかなか消えるものではない。
自らクラス会の幹事に名乗りを上げ、毒入りビールを用意していた「元いじめられっ子」だって存在していたではないか。

やりきれない。
さすがの自分? でも、やりきれない。

自分は、いじめを苦に自死を選ぶものに「闘え!」とはいえない。
そういう叱咤は近しい者こそかけるべきだし、また、様々な理由から「闘うことが出来ない」者だって多いはずである。


自分がいえることは、君にとっての『キャリー』を探そう―ということくらいで、
あとは、君の怨念によって周囲がムチャクチャになればいい―そう願うことくらいしか出来ない。

命をひきかえにしたんだ、火くらいつけないとね、報われないじゃないか。


大津の問題が、どんどん飛び火すればいいと、本気で思っている。





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コメント (2)
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