黒澤に最も起用された女優は香川京子だが・・・
黒澤映画で印象に残る女優といえば、
『羅生門』(50)の京マチ子、
『蜘蛛巣城』(57)の山田五十鈴、
『酔いどれ天使』(48)の久我美子、
『わが青春に悔なし』(46)の原節子の順で、
次に、『悪い奴ほどよく眠る』(60)の香川京子がくる。
山田五十鈴は黒澤映画の三本、『蜘蛛巣城』、そして『どん底』(57)と『用心棒』(61)に出演したが、
最初の出演映画『蜘蛛巣城』は黒澤からのオファーではなく、「どうしても演じたい」という山田の強い意志からの起用であった。
シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた『蜘蛛巣城』は、うちの父親が選出する黒澤映画のベストワンだという。
「能」の表現を取り入れたという演出スタイルは確かに雰囲気抜群だが、
はっきりいえば、黒澤映画のなかで最も台詞が聞き取りづらく、細かいやりとりを理解するにはシナリオを読む必要がある。
どうよ、予告編だけでも聞き取りづらい。
ただ沢山の弓矢が飛んでくる伝説のクライマックス、その直前の「動く森」、そして山田五十鈴(主人公・三船敏郎の妻役)の「ギョロ目」演技が鮮烈で、黒澤映画のなかで最も異様な映画として記憶されるのではないか。
おそらくこの作品が、自分にとっての「初」山田五十鈴だった。
その直後に『どん底』と『用心棒』に触れたため、山田五十鈴といえば、とにかく怖いオバサンであると、そんな認識を抱いたのである。
『用心棒』はまだ愛嬌があるが、『蜘蛛巣城』と『どん底』では「ひたすら」怖いキャラクターだった。(三船に「食ってかかる」女性など、山田が演じたキャラクターくらいである)
映画史をキチンと学び始めるのはこのあと、高校2年時くらいからで、
そこで初めて溝口健二による『浪華悲歌』(36)と『祇園の姉妹』(36)、成瀬巳喜男の『流れる』(56)、市川崑の『ぼんち』(60)などに触れて、なんて芸達者なのだろうと驚いた。
いかにも遅過ぎる?
自覚していることだから、勘弁してほしい。
2012年7月9日、永眠。
単なる偶然ではあるが、きのう取り上げたボーグナインと同じ享年95歳である。
詳しい経歴は大きく割かれた訃報やウィキペディアに譲るが、
晩年の日常が淀川長治に似ているのが面白いと思った。
「安全であり、かつ手もかからない」という理由から、京都の自宅を引き払い、帝国ホテルの一室で生活を送る。
確かに衣食住も足り、安全といえば安全。
とはいえ「その覚悟」はなかなか真似の出来ることではなく、
なんというか「死にそうになったら、よろしく」というのは、映画に魂まで売った「神」淀さんのようで、ある極みに達していたかのよう。
数あるフィルモグラフィのなかでは、黒澤映画は弱いほうに入るのかもしれない。
実際、訃報でも黒澤映画への記述はほとんどない。
しかしやっぱり、自分のなかで山田五十鈴といえば、黒澤映画の怖いオバサン。
だから今宵は、聞きづらいのを覚悟して、改めて『蜘蛛巣城』のおどろおどろしい世界に浸ってみようと思う。
あの眼力演技は夢に出てくること必至だが、むし暑い日が続いているからそれもいいだろう。
合掌。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『酔いどれ小僧、再び。』
黒澤映画で印象に残る女優といえば、
『羅生門』(50)の京マチ子、
『蜘蛛巣城』(57)の山田五十鈴、
『酔いどれ天使』(48)の久我美子、
『わが青春に悔なし』(46)の原節子の順で、
次に、『悪い奴ほどよく眠る』(60)の香川京子がくる。
山田五十鈴は黒澤映画の三本、『蜘蛛巣城』、そして『どん底』(57)と『用心棒』(61)に出演したが、
最初の出演映画『蜘蛛巣城』は黒澤からのオファーではなく、「どうしても演じたい」という山田の強い意志からの起用であった。
シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた『蜘蛛巣城』は、うちの父親が選出する黒澤映画のベストワンだという。
「能」の表現を取り入れたという演出スタイルは確かに雰囲気抜群だが、
はっきりいえば、黒澤映画のなかで最も台詞が聞き取りづらく、細かいやりとりを理解するにはシナリオを読む必要がある。
どうよ、予告編だけでも聞き取りづらい。
ただ沢山の弓矢が飛んでくる伝説のクライマックス、その直前の「動く森」、そして山田五十鈴(主人公・三船敏郎の妻役)の「ギョロ目」演技が鮮烈で、黒澤映画のなかで最も異様な映画として記憶されるのではないか。
おそらくこの作品が、自分にとっての「初」山田五十鈴だった。
その直後に『どん底』と『用心棒』に触れたため、山田五十鈴といえば、とにかく怖いオバサンであると、そんな認識を抱いたのである。
『用心棒』はまだ愛嬌があるが、『蜘蛛巣城』と『どん底』では「ひたすら」怖いキャラクターだった。(三船に「食ってかかる」女性など、山田が演じたキャラクターくらいである)
映画史をキチンと学び始めるのはこのあと、高校2年時くらいからで、
そこで初めて溝口健二による『浪華悲歌』(36)と『祇園の姉妹』(36)、成瀬巳喜男の『流れる』(56)、市川崑の『ぼんち』(60)などに触れて、なんて芸達者なのだろうと驚いた。
いかにも遅過ぎる?
自覚していることだから、勘弁してほしい。
2012年7月9日、永眠。
単なる偶然ではあるが、きのう取り上げたボーグナインと同じ享年95歳である。
詳しい経歴は大きく割かれた訃報やウィキペディアに譲るが、
晩年の日常が淀川長治に似ているのが面白いと思った。
「安全であり、かつ手もかからない」という理由から、京都の自宅を引き払い、帝国ホテルの一室で生活を送る。
確かに衣食住も足り、安全といえば安全。
とはいえ「その覚悟」はなかなか真似の出来ることではなく、
なんというか「死にそうになったら、よろしく」というのは、映画に魂まで売った「神」淀さんのようで、ある極みに達していたかのよう。
数あるフィルモグラフィのなかでは、黒澤映画は弱いほうに入るのかもしれない。
実際、訃報でも黒澤映画への記述はほとんどない。
しかしやっぱり、自分のなかで山田五十鈴といえば、黒澤映画の怖いオバサン。
だから今宵は、聞きづらいのを覚悟して、改めて『蜘蛛巣城』のおどろおどろしい世界に浸ってみようと思う。
あの眼力演技は夢に出てくること必至だが、むし暑い日が続いているからそれもいいだろう。
合掌。
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『酔いどれ小僧、再び。』