すんごい映画を観た。
現時点における本年度のベストワン映画は、ぶっちぎりで『ヒミズ』なのだが、
勢いだけでいえば、『ヒミズ』を猛追するほどのエネルギーに溢れた快作・怪作である。
タイトルを『ベルフラワー』(=トップ画像、文末リンクの予告編)というこの映画に足りないものといえば、完成度くらいか。
総合芸術の世界だから、理想をいえばキレイな五角形を形作る「あらゆる要素に優れた」作品が傑作ということになるのだが、
その「荒削り感」は映画小僧にとって新鮮な驚きであり、本年に触れたどの映画よりも「うれしい収穫」となった。
分かり易くいえば『ヒミズ』やカウリスマキの『ル・アーヴルの靴みがき』、そしてスコセッシの『ヒューゴ』は前年から期待していた作品であり、前評判というものも頗る高かった。
『ベルフラワー』は、去年の時点ではタイトルさえ知らなかった、、、ということ。
新しい才能の発見―そう、タランティーノの出現に似た衝撃。
リンチやスコセッシを発見した映画小僧たちの歓喜って、こういうものだったんだろうな・・・そんな想像もしたくなるほど、喜びでいっぱいなのである。
制作費を自分でかき集めたところは、カサベテスのよう。
(なんと、カメラまで自作なのである!)
恥ずかしげもなく映画愛を爆発させているところは、タランティーノのよう。
(キャラクター設定まで映画愛に貫かれているという点では、タラ以上か)
そして、思うとおりにならない日常への憤怒が物語の原動力になるところは、『タクシードライバー』(76)のよう。
しかし彼らの映画と血縁関係にありながら、それらとはちがう肌触りがある。
クールさとは無縁の、滑稽さに溢れているのだ。
エヴァン・グローデルという映画監督、覚えておいて損はない。
賭けてもいい、これから数年のあいだに怪物のような映画を放つであろう。
さて。
デビュー時から完璧にちかい作品を放っていたのは、キューブリックとヒッチコック、ルイ・マル、黒澤くらいかもしれない。
そこできょうは、偉大なる映画監督たちの「荒削りだが表現への情熱に溢れた」驚きの初期作品を五つほど挙げてみよう。
ここまでの文章で言及した、スコセッシやリンチ、タランティーノは敢えて外しておく。
(1)『ヒポクラテスたち』(80)
大森一樹の、現時点における最高傑作。
「職人になる以前」の監督作を最高作と位置づけることは、本人にとって不名誉かもしれないが・・・
医大生だった自らの青春時代を活き活きと捉え、いま観ても新鮮な感動に包まれる。
(2)『π』(97)
『ブラック・スワン』(2010)でも恐怖・幻想描写が冴えていた変人、ダーレン・アロノフスキーのデビュー作。
ざらついたモノクロームは学生映画風ではあるものの、時代とマッチしたか、全世界でスマッシュヒットを記録した。
そういえば渋谷の路上も、「π」の文字で埋めつくされたっけ。
(3)『いますぐ抱きしめたい』(88)
ウォン・カーワァイのデビュー作。
まだ撮影監督クリストファー・ドイルに出会っていない時期だが、カーワァイこだわりの映像美に触れて快感。
(4)『シャロウ・グレイブ』(94)
ロンドン五輪、開会式の演出まで手がけるほど大物になったダニー・ボイルの出世作。
彼の売り「疾走感」が、既にこの時点で完成されている!!
(5)『ブラッド・シンプル』(84)
母国・米国よりも日本やヨーロッパに支持された、初期のコーエン兄弟作品。
カンヌでパルムドールを取っても騒がれなかった彼らが、現在では米国の病理をえぐる俊英としてハリウッドを代表する存在に。
「発見したのは、ウチらだぜ!」という意識があるからか、なんとなく誇らしい。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『まーくんが、好きなんだ。』
現時点における本年度のベストワン映画は、ぶっちぎりで『ヒミズ』なのだが、
勢いだけでいえば、『ヒミズ』を猛追するほどのエネルギーに溢れた快作・怪作である。
タイトルを『ベルフラワー』(=トップ画像、文末リンクの予告編)というこの映画に足りないものといえば、完成度くらいか。
総合芸術の世界だから、理想をいえばキレイな五角形を形作る「あらゆる要素に優れた」作品が傑作ということになるのだが、
その「荒削り感」は映画小僧にとって新鮮な驚きであり、本年に触れたどの映画よりも「うれしい収穫」となった。
分かり易くいえば『ヒミズ』やカウリスマキの『ル・アーヴルの靴みがき』、そしてスコセッシの『ヒューゴ』は前年から期待していた作品であり、前評判というものも頗る高かった。
『ベルフラワー』は、去年の時点ではタイトルさえ知らなかった、、、ということ。
新しい才能の発見―そう、タランティーノの出現に似た衝撃。
リンチやスコセッシを発見した映画小僧たちの歓喜って、こういうものだったんだろうな・・・そんな想像もしたくなるほど、喜びでいっぱいなのである。
制作費を自分でかき集めたところは、カサベテスのよう。
(なんと、カメラまで自作なのである!)
恥ずかしげもなく映画愛を爆発させているところは、タランティーノのよう。
(キャラクター設定まで映画愛に貫かれているという点では、タラ以上か)
そして、思うとおりにならない日常への憤怒が物語の原動力になるところは、『タクシードライバー』(76)のよう。
しかし彼らの映画と血縁関係にありながら、それらとはちがう肌触りがある。
クールさとは無縁の、滑稽さに溢れているのだ。
エヴァン・グローデルという映画監督、覚えておいて損はない。
賭けてもいい、これから数年のあいだに怪物のような映画を放つであろう。
さて。
デビュー時から完璧にちかい作品を放っていたのは、キューブリックとヒッチコック、ルイ・マル、黒澤くらいかもしれない。
そこできょうは、偉大なる映画監督たちの「荒削りだが表現への情熱に溢れた」驚きの初期作品を五つほど挙げてみよう。
ここまでの文章で言及した、スコセッシやリンチ、タランティーノは敢えて外しておく。
(1)『ヒポクラテスたち』(80)
大森一樹の、現時点における最高傑作。
「職人になる以前」の監督作を最高作と位置づけることは、本人にとって不名誉かもしれないが・・・
医大生だった自らの青春時代を活き活きと捉え、いま観ても新鮮な感動に包まれる。
(2)『π』(97)
『ブラック・スワン』(2010)でも恐怖・幻想描写が冴えていた変人、ダーレン・アロノフスキーのデビュー作。
ざらついたモノクロームは学生映画風ではあるものの、時代とマッチしたか、全世界でスマッシュヒットを記録した。
そういえば渋谷の路上も、「π」の文字で埋めつくされたっけ。
(3)『いますぐ抱きしめたい』(88)
ウォン・カーワァイのデビュー作。
まだ撮影監督クリストファー・ドイルに出会っていない時期だが、カーワァイこだわりの映像美に触れて快感。
(4)『シャロウ・グレイブ』(94)
ロンドン五輪、開会式の演出まで手がけるほど大物になったダニー・ボイルの出世作。
彼の売り「疾走感」が、既にこの時点で完成されている!!
(5)『ブラッド・シンプル』(84)
母国・米国よりも日本やヨーロッパに支持された、初期のコーエン兄弟作品。
カンヌでパルムドールを取っても騒がれなかった彼らが、現在では米国の病理をえぐる俊英としてハリウッドを代表する存在に。
「発見したのは、ウチらだぜ!」という意識があるからか、なんとなく誇らしい。
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明日のコラムは・・・
『まーくんが、好きなんだ。』