第14部「今村昌平の物語」~第1章~
「―何を好んで、ウジ虫ばかり描くんだ?」(巨匠・小津安二郎、後輩イマヘイに向かって毒を吐く)
「決定。おれは死ぬまでウジ虫を描いてやる」(それを受けたイマヘイによる、「本気の」誓い)
…………………………………………
『東京物語』(53)には暗い感動を覚え、サイレント『生まれてはみたけれど』(32)における喜劇の巧さに新鮮な驚きを覚えた。
ローアングルのカメラはすごいと思うし、静かに日常を描き続ける一貫性も尊敬に値する。
だから小津安二郎を悪くいうつもりはない。
ないが、筆者は小津映画の「いい観客ではなさそうだ」―とだけは、いっておきたい。
共感出来ないのである、
周囲を見回してみても、小津映画のキャラクターにちかい人物が存在しないから。
年配の「元」映画小僧たちは、口をそろえて「俺も昔はそうだった」という。
歳を取ってくると、小津や山田洋次のよさが分かってくるものだよ、、、と。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
筆者自身がうじ虫のようなヤツだからか、叩けば埃が出るような、いや、叩く前から埃や垢でいっぱい、それらを抱えて歩くようなキャラクターにこそ共感してしまう。
そんなわけで、イマヘイこと今村昌平の映画が大好きだ。
しかしながら。
小津は自身の一貫性について、「おれは豆腐屋だ。がんもどきや油揚げは作るが、西洋料理は作らないよ」といっているのに、どうしてイマヘイの一貫性を批判したのか。
うじ虫への偏愛だって、立派な豆腐屋の「資格」のはずなのに。
一貫性は評価出来る、しかし、そのテーマがうじ虫に偏り過ぎているところが好かなかった、、、というより、理解出来なかったのだろう。
そういう映画を待っている映画小僧が居ることも、信じられなかったのかもしれない。
うじ虫でないキャラクターをメインとするのは『黒い雨』(89)くらいで、ほかの監督作すべてが「うじ虫のオールスター映画」だったのだから。
…………………………………………
随分と前の話―。
『カンゾー先生』(98)だったと思うが、その宣伝でイマヘイがTBSの『王様のブランチ』に出演したときのこと。
試写で観たというタレント・さとう珠緒が(褒めことばのつもりで)「日本映画のクセにスピード感があって、、、」と発言したのだが、それを受けたイマヘイの表情が忘れられない。
怒って帰る監督も居そうだが、イマヘイは苦笑し「面白い子だな」というような表情を見せたのだ。
小娘にいわれるのは納得出来ないが、そういう扱いは慣れているんだよ。
俺は先輩に、うじ虫扱いされたのだから―自身を「前向きに」卑下するかのようなその姿に、アッパレ! をあげたくなったものである。
豚とセックスをする左とん平、
AV女優も顔負けの潮を吹いてみせる清水美砂、
首を吊ったはずの春川ますみは、自分の体重で縄が切れ自死失敗、
左幸子は売春組織を立ち上げ、
突っ張った長門裕之と吉村実子は、横須賀で豚を「開放」する。
サイテーで滑稽で、だけど、、、いや、だからこそ、いじらしく憎めない。
イマヘイ映画のキャラクターたちは、極端かもしれないが、友人知人や隣人、そして自分自身に似ている。
わざわざ映画館でそういうものを観たくない―そう思ったひとたちは一生、イマヘイ映画に触れないかもしれない。
だからこそイマヘイは、自作を「重喜劇」と呼んだ。
うじ虫ばかりが出てくる重喜劇だが、覚悟のあるひとはどうぞ―そんな風に観客を挑発し続けて、映画を撮っていたのである。
…………………………………………
赤貧に耐えに耐え、映画にしがみついた―これが、個人的なイマヘイの印象である。
映画に出会わなかったら、どうなっていたか分からない。そう思える映画監督は多いが、イマヘイもそんなひとり、、、というより、その代表格といってよさそうだ。
スコセッシしかり、リンチしかり、イマヘイしかり・・・筆者が敬愛する映画監督はほとんどがそんな「特殊な」ひとだが、
そのくらい好きなのに、どうしてイマヘイが立ち上げた日本映画学校(現・日本映画大学)を選ばず、にっかつに入学したのか。
イマヘイか、にっかつか―両者を天秤にかけ、「より」影響を受けたほうを選んだ結果、後者の学生になったのだった。
しかし現在でも、前者を選ぶべきだったかもしれない、、、などと思うときがある。
この学校からウッチャンナンチャンや三池崇史、阿部和重が登場したからではない、イマヘイの授業を受けたかったからである。
そんなわけで今回の評伝は、いつも以上に愛憎が入り乱れるかもしれない。
まずは、
「扱いづらいほど反骨精神に溢れていた」若きイマヘイのエピソードを列挙してみよう。
…………………………………………
※脚本家・助監督として参加。
川島雄三の突飛な発想はスタッフの猛反対により実現されなかったが、師匠の夢を実現するべく、自作でその発想を「いただく」イマヘイだった。
それがどんな発想だったかは、次回で。
つづく。
次回は、8月上旬を予定。
…………………………………………
本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『噛むおとこ』
「―何を好んで、ウジ虫ばかり描くんだ?」(巨匠・小津安二郎、後輩イマヘイに向かって毒を吐く)
「決定。おれは死ぬまでウジ虫を描いてやる」(それを受けたイマヘイによる、「本気の」誓い)
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『東京物語』(53)には暗い感動を覚え、サイレント『生まれてはみたけれど』(32)における喜劇の巧さに新鮮な驚きを覚えた。
ローアングルのカメラはすごいと思うし、静かに日常を描き続ける一貫性も尊敬に値する。
だから小津安二郎を悪くいうつもりはない。
ないが、筆者は小津映画の「いい観客ではなさそうだ」―とだけは、いっておきたい。
共感出来ないのである、
周囲を見回してみても、小津映画のキャラクターにちかい人物が存在しないから。
年配の「元」映画小僧たちは、口をそろえて「俺も昔はそうだった」という。
歳を取ってくると、小津や山田洋次のよさが分かってくるものだよ、、、と。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
筆者自身がうじ虫のようなヤツだからか、叩けば埃が出るような、いや、叩く前から埃や垢でいっぱい、それらを抱えて歩くようなキャラクターにこそ共感してしまう。
そんなわけで、イマヘイこと今村昌平の映画が大好きだ。
しかしながら。
小津は自身の一貫性について、「おれは豆腐屋だ。がんもどきや油揚げは作るが、西洋料理は作らないよ」といっているのに、どうしてイマヘイの一貫性を批判したのか。
うじ虫への偏愛だって、立派な豆腐屋の「資格」のはずなのに。
一貫性は評価出来る、しかし、そのテーマがうじ虫に偏り過ぎているところが好かなかった、、、というより、理解出来なかったのだろう。
そういう映画を待っている映画小僧が居ることも、信じられなかったのかもしれない。
うじ虫でないキャラクターをメインとするのは『黒い雨』(89)くらいで、ほかの監督作すべてが「うじ虫のオールスター映画」だったのだから。
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随分と前の話―。
『カンゾー先生』(98)だったと思うが、その宣伝でイマヘイがTBSの『王様のブランチ』に出演したときのこと。
試写で観たというタレント・さとう珠緒が(褒めことばのつもりで)「日本映画のクセにスピード感があって、、、」と発言したのだが、それを受けたイマヘイの表情が忘れられない。
怒って帰る監督も居そうだが、イマヘイは苦笑し「面白い子だな」というような表情を見せたのだ。
小娘にいわれるのは納得出来ないが、そういう扱いは慣れているんだよ。
俺は先輩に、うじ虫扱いされたのだから―自身を「前向きに」卑下するかのようなその姿に、アッパレ! をあげたくなったものである。
豚とセックスをする左とん平、
AV女優も顔負けの潮を吹いてみせる清水美砂、
首を吊ったはずの春川ますみは、自分の体重で縄が切れ自死失敗、
左幸子は売春組織を立ち上げ、
突っ張った長門裕之と吉村実子は、横須賀で豚を「開放」する。
サイテーで滑稽で、だけど、、、いや、だからこそ、いじらしく憎めない。
イマヘイ映画のキャラクターたちは、極端かもしれないが、友人知人や隣人、そして自分自身に似ている。
わざわざ映画館でそういうものを観たくない―そう思ったひとたちは一生、イマヘイ映画に触れないかもしれない。
だからこそイマヘイは、自作を「重喜劇」と呼んだ。
うじ虫ばかりが出てくる重喜劇だが、覚悟のあるひとはどうぞ―そんな風に観客を挑発し続けて、映画を撮っていたのである。
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赤貧に耐えに耐え、映画にしがみついた―これが、個人的なイマヘイの印象である。
映画に出会わなかったら、どうなっていたか分からない。そう思える映画監督は多いが、イマヘイもそんなひとり、、、というより、その代表格といってよさそうだ。
スコセッシしかり、リンチしかり、イマヘイしかり・・・筆者が敬愛する映画監督はほとんどがそんな「特殊な」ひとだが、
そのくらい好きなのに、どうしてイマヘイが立ち上げた日本映画学校(現・日本映画大学)を選ばず、にっかつに入学したのか。
イマヘイか、にっかつか―両者を天秤にかけ、「より」影響を受けたほうを選んだ結果、後者の学生になったのだった。
しかし現在でも、前者を選ぶべきだったかもしれない、、、などと思うときがある。
この学校からウッチャンナンチャンや三池崇史、阿部和重が登場したからではない、イマヘイの授業を受けたかったからである。
そんなわけで今回の評伝は、いつも以上に愛憎が入り乱れるかもしれない。
まずは、
「扱いづらいほど反骨精神に溢れていた」若きイマヘイのエピソードを列挙してみよう。
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※脚本家・助監督として参加。
川島雄三の突飛な発想はスタッフの猛反対により実現されなかったが、師匠の夢を実現するべく、自作でその発想を「いただく」イマヘイだった。
それがどんな発想だったかは、次回で。
つづく。
次回は、8月上旬を予定。
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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『噛むおとこ』