Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

小便にもティッシュ

2012-07-05 02:00:00 | コラム
先日―居酒屋のトイレ個室で小便を済ませて席に戻ると、
友人が「まっき~らしくもない」と批判的にいう。

「なに、それ」
「ウンコを恥ずかしがるようなキャラじゃないじゃん?」
「そうだよ」
「でもさっき、小便してくるといって立ったのに、個室に入ってた」
「(苦笑)え、それだけでウンコしていると思ったの? いったろ、俺は小便でも座るの。可能な限りは」
「ちゃんとトイレットペーパーの、“カラカラ”っていう音まで聞こえたよ」
「うん、使うよ、小便でも」

きったねー男子だけの呑み会だったのだが、一同が「えっ」といった。

「ヘン、かね」
「うん」と、一同。

「なんで?」と問うと、
「いや逆に、なんで? と聞きたい」と返された。

「立ち小便の際、終わったら身体を振ってからムスコを仕舞うでしょう」
「うん」
「座っていてそれが出来ないから、拭くわけだ」
「どこを?」
「先っぽを」
「じゃあ立ってすればいい」
「座ったほうが気持ちよく小便出来る」
「エコじゃないよね、小便にもティッシュなんて」
「わずか数cmだよ」
「水も流さなきゃいけないし」
「うるさいなぁ、小便くらい好きにさせろよ」

「まぁでも安心した、ウンコじゃなくて」
「ウンコだったら、ウンコだっていうよ。ウンコだったら、席に戻って形状や色とか、臭いまで報告するでしょ、いつも。ほとんど液体だったとか、鳥のフンみたいだったとか」
「そうだよな、それでこそお前だ」

なんだそりゃ、な会話だが、これが男子会? における低脳なやりとりである。
仕事の愚痴をいい合うよりかは、遥かに健康的? じゃないか。


排泄と映画のチャンピオンといえば『ピンク・フラミンゴ』(72)になるのだろうが、
ラブシーンには負けるものの、ウンコ・おしっこは意外と多くの作品で取り上げられている。

たとえばトップ画像の『月光の囁き』(99)では、彼女の放尿音を彼氏が録音するシーンが描かれる。
ちゃんと付き合っているのに、靴下とかを盗んでハァハァいう、ちょっと特殊な男の子が主人公なのだった。

放尿する吉本多香美を奥田瑛二が覗く『皆月』(99)、放尿シーンが「ごく自然に」描かれる『リービング・ラスベガス』(95)などなど、これらを「あっち側の住人特有の趣味性」で片付けてしまうのは、ちょっと無粋に過ぎるような気がする。

喰う・呑む行為が描かれている以上、出す行為が描かれるのは自然ともいえるはずで。


そんな自分の目標は、自慰行為を日常描写のひとつとしてさりげなく描くこと。
滑稽さも悲愴さもなく、そこにあるのは単なる日常性。

そういうシーンがあるにも関わらず、R指定をすり抜ける? こと。
つまり演出意図が、わいせつにはないということだ。

それを無名ではなく、「ある程度」名が通った俳優が演じること。
だから「かけだし」ではない時代に放尿シーンを見せた吉本多香美やエリザベス・シュー、ニコール・キッドマンは、ほんとうにえらいと思う。

彼女たちなら、自慰シーンだって快諾してくれるかもしれない、、、って、自分の描く自慰は、基本は男なんだよね。
名の通った男優さんで、自慰シーンを快諾してくれるひと、どのくらい居るのだろうか。


・・・・・くだらない?
確かにそのとおりだが、このことについて、けっこう真剣に考えているのだ。





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コメント (2)
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