Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(112)

2015-01-26 00:10:00 | コラム
自宅にビデオデッキがやってきたのは、自分が中学1年のころ。

映画好きになったばかりの自分が、父親に「なんでもするから! 勉強もするから!! 家の手伝いもするから!!!」とねだり、随分と長い交渉の末に合意? を得ることが出来たんだ。

当時、まだ太っていないジョージ・ルーカスがパナソニックのイメージキャラクター? みたいな存在で、ビデオデッキなどのCMに出ていた。

これこれ!




ジョグがついているやつね。
しかし予算的にペケが出て、これよりふたつくらいランクが下のデッキを買ってもらった。

それでも上機嫌。
テレビの洋画劇場を録画し、それを繰り返し観た。

いちばん最初に録画したのは、サモ・ハン・キンポーの『燃えよデブゴン』(78)である。
(ひどい邦題だなぁ、、、と思ったが、原題だって『肥龍過江』なのだった。肥えた龍って!!)

サモ・ハンは好きでも嫌いでもないし、この映画自体だって「ぎりぎり及第点」くらいの出来。

いやいや、作品はこの際、なんでもよかったのだと思う。
時代がアベコベだが、自分が最も忌み嫌う『稲村ジェーン』(90)だって、このシチュエーションであれば録画して楽しんでいたはず。

そう、このころは録画そのものに興奮していたから、傑作だろうが駄作だろうが関係なかったのだ。

映画と名のつくものであればなんでも録画していたので、数ヶ月でビデオコレクションは50本を超えた。

それらを鑑賞する日々が、しばらくつづく。
繰り返しになるが、映画を観る喜び―というよりも、ビデオという機能に驚き、楽しんでいたというかね。

いつだったか、ある識者が「ビデオデッキの普及によって、映画の捉えかたそのものが変わった」といっていた。

「その昔、映画を観るときは、これは一期一会なんだ。これ1回きりなんだ。そんな意識で臨むから、ワンショットたりとも観逃さないようにした。しかし現在では、分からなかったところは、あとでビデオで確認すればいいや、、、と思うようになった。それ自体は悪いことじゃない。けれども、すべてのものがそうだとはいわないが、かくいう私だって、昔に比べたら映画への真剣度がちがう。こころのどこかに、一期一会でなくなったという意識が宿っているのかもしれない」(一字一句正確ではないが、こんな内容だった)

あぁ分かる分かる。
そんな、映画の捉えかたを変えてしまったビデオに初めて触れて、すごいなぁと感心していたわけ。


それから1年もしないうちに、館林にも大きなレンタルビデオショップが出来た。

すぐに会員に入り、その日に外国映画3本を借りる。
(隆盛期に入るちょっと前だから)まだ料金は高く、1本650円くらいしたと記憶する。

なぜ劇場で観た『コマンドー』(85)、『プロジェクトA』(83)、『ファースト・ミッション』(85)を借りたかというと、
もういちど観たかったというのは、たしかに理由のひとつとしてあった。
あったが、それよりも、観たいものが多過ぎて選べなかったという理由のほうが大きかった。

知識ばかりを詰めこみ、頭でっかちになっていたから。

まだ童貞のクセして? 「いつ」「なにを」観るかが大事だ―なんていっちゃって、そんなの関係なしに片っ端から観ていけばいいものを、「観る順番」にこだわっていたんだよね。

チャップリンや黒澤やビリー・ワイルダー、ヒッチコック、キューブリックを知ったばかり。
スコセッシには、まだ出会っていなかった。

この天才たちのキャリアの、どのあたりから攻めていけばいいのか・・・それに対する答えが見つけられなかったので、とりあえず安心して観ていられる作品を借りてきたと。

なかなかに面倒で、繊細なヤツだったのである。


おわり。




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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『デジタルな目覚め』

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初体験 リッジモント・ハイ(111)

2015-01-25 00:10:00 | コラム
15年ほど、レンタルビデオショップに足を踏み入れていない。

大袈裟じゃなくってね、いま確認してみたら、ほんとうにそうだった。

だから当然、財布に会員カードは入っていない。
5年くらい前まで持っていた気がするけれど、有効期限切れちゃっているし、作り直しても借りないと思うので、ハサミで2つに切って処分した。

気に入りで何度も繰り返し鑑賞したい映画ソフトは、基本的に買っちゃうし。
スカパー! 入っているので、観逃していた作品もそれほど増えないし。
AVはサンプルがダンボールいっぱいで送られてくるし、好きな女優つぼみの作品や、好きなジャンル「ぶっかけ」モノは、やっぱり買っちゃうので。

トップ画像は、15年くらい前の「わが書斎」。
ちょうどレンタルショップに行かなくなったころの写真であり、これ見たら分かるでしょう、ぜんぜん書斎っぽくはないが、ビデオこんだけ揃えてあれば、いちいち店には行かなくなるよね。

180分のビデオテープに3倍で録画、1本につき4本の映画が入っているとして、500本くらいビデオテープがあったはずなので・・・
外に出なくとも、2000本のラインナップが楽しめたというわけ。

でも再生するのはいつも、黒澤とスコセッシのみ、、、だったのだけれども。


映画のなかで描かれる、レンタルショップ。

最も有名な作品は、おそらく『僕らのミライへ逆回転』(2008)だろう。
PVの世界で有名なミシェル・ゴンドリーが、喜劇俳優ジャック・ブラックを起用して描いたコメディ。

映画狂の青年が、過去の名作をホームビデオで勝手にリメイクしていくという物語、だけれど映画のことに詳しくなくても(その馬鹿馬鹿しさだけで)充分に笑える良質な作品である。

『トゥルー・ロマンス』(93)の主人公、クラレンス(クリスチャン・スレーター)が働くショップは、コミックも扱っているし、セルビデオも置いてあるようなので、ポップカルチャーを扱う複合店みたいなものだろう。
現在の日本でいえば、「ヴィレッジヴァンガード」にちかいのかな。



『空気人形』(2009)でもレンタルショップを効果的に登場させていたが、
「ほんの少しだけ出てくる」でもいいのであれば、50本以上挙げられるかもしれない。

そして映画ではないが、『男女7人夏物語』(86、TBS)のなかで、さんまかしのぶのどちらかが、『サボテン・ブラザーズ』(86)をレンタルしようとするシーンがあって笑った。


そんなわけで今回の初体験シリーズは、「初めてのレンタルビデオ」でいってみよう。

自分が住む館林に大型レンタルショップが出来たのは、(たしか)中学1年のときのこと。

初めて借りた映画は3本、『コマンドー』(85)と『プロジェクトA』(83)、そして『ファースト・ミッション』(85)。

観たことない作品はひとつもない、どれも劇場で鑑賞済みの作品だったのである。


あまり冒険しないガキ、、、だったのだろうか―。

つづく。




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なぜ団地の階段は、あんなに狭いのか

2015-01-24 01:40:12 | コラム
先日の、とある夕刻のこと―。

取材から帰還、5階の自宅(団地)まで階段でチャリを運ぼうとすると、ちょうど階段を上り始めた新聞配達員の後ろ姿が見えた。

何階まで届けるのか知らんが、団地特有の狭い階段だからねぇ、このひとが下りてくるまで待つことに決める。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ん?

おかしいな、いっこうに下りてこない。

たぶん、いつも見るおじいちゃんだろう。
見た感じ、70歳くらい。

そりゃあ時間を要するわな、急かしたら死んじゃうかもしれん、煙草でも吸ってゆっくり待とうじゃないか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

それにしたって、遅過ぎやしないか?
最上階まで行ったとしても、自分が住む5階である。

もう5分くらい過ぎているし、ひょっとしたらほんとうに死んでいる?
自分、第一発見者になるの!?

いやいや、ちょっと待て。
父親が自分のところを訪れたときのことを思い出してみろ。

駅から自宅に案内する際、近道だからと「ちょっと険しい道」を通った。

男なんだから大丈夫でしょ? と。

しかし父親は、道中で2度も足を止めて休んだのである。

えっ。
うちのとーちゃんでも、こんな感じになるのかと軽くショックを受けた。

でも、そうだよな。
スコセッシと同年の70代なんだから当然のこと、そもそも40代の自分が「険しい」と感じるのだから、父親には堪えたろう。
ごめんなさい。

・・・とかなんとか、煙草吸いながら考えていたらば、ようやくおじいちゃんが下りてきた。

見た感じは70歳くらい―と書いたが、ほんとうのところは分からない。
自分がこの団地に住み始めた10年くらい前から見かけるひとだったが、当時から70代顔だったわけで、
だからひょっとすると老けている50代かもしれないし、童顔?? の90代かもしれない。

ともかくいえることは、ごくろうさまです! くらいだろう。

しかしこのひと、配達の様子はスローペース過ぎて(気の毒になり)見ていられないが、口は達者なひとである。

この日も自分を見るなり、挨拶なしでマシンガントークが始まる。

「―紙が売れなくなったねぇ。だけど配達がちっともラクにならないのは、どういうことかねぇ。部数減っているんだから、ラクになってもいいのに。でも夏の時期よりいいよ。冬は、動けば動くほど寒さが和らぐからね。夏はね、もうダメ。ゆっくり動いても、汗が滝のように流れてくる。ここもあと2階分くらい増えればね。きっとエレベーターつくんだけど」
「ですよね、ごくろうさまです」
「(聞いてない)イチローどこに移籍するんだろう」
「あぁ気になりますね、やっぱりマーリンズですかね」
「(聞いてない)逸ノ城はバケモノだね」
「そうですね、嫌いな食べ物はカレーだそうですよ」
「(聞いてない)俺は安倍晋三のことが大嫌いなの」
「自分もです。どうも信用出来ない」
「(聞いてない)まだ、あと3棟も残っているんだよ配達場所が」
「たいへんですね、ほんとう、ごくろうさまです」
「(聞いてない)さあて、行くか」


まったく会話が成り立っていないのだが、このひとがそれであと3棟を頑張って配達出来るのであれば、聞き役に徹しようじゃないの。

なにしろ、アンチャンなら数分で終わるところを、このひとは数十分を要して配っているのだから。

敬老、敬老の精神だよね。

がんばれおじいちゃん!!


※団地を舞台にした映画で最も優れているのは、おそらく『みなさん、さようなら』(2013)だろう。




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トシを取ったのか、それとも単なる呑み過ぎか

2015-01-23 00:10:00 | コラム
「―あんな危険な男を街に出すのか」
「昔の話だ。いまは夜中に2回も起きて小便に行く。我々と同じ、老いたんだよ」

―映画『ザ・ロック』(96)より。

小便のために起きるかもしれないが、老いたというのはハズレだった。
ショーン・コネリー爺のことである。

この映画では、ニコラス・ケイジより肉体派していたしねぇ。


さて自分も最近、睡眠中に便意をもよおして起きるようになった。

元々が不眠症気味なのだが、これじゃあさらに安眠が難しくなってくる。

40代だものなぁ、トシを取ったということか。
先日、10年くらい映画ファンという20代の子と話す機会があって、でも自分が口にする映画用語や人名をまったく理解出来ないわけですよ・・・って、それは年齢の問題ではなく、彼が勉強不足というだけのことか。

彼のことなんか、どうだっていいんだ。
昼夜逆転の生活ゆえ、寝るのはだいたいが日中。
4時間で「よく寝た!」といえる程度の睡眠時間だと思うが、そのあいだに2~3回は小便のために起きる。

オッサンではなく、オジイサンじゃないか!!

夜中より暖かとはいえ、この冬の時期に睡眠を中断して小便に行くのは堪える。
でも小便しないと、安心して眠れない。

で、しぶしぶ起きる。

の、繰り返し。

認めたくないが、トシか・・・いや、ちょっと待て。
単にビールの呑み過ぎじゃないかって。

ためしに晩酌を、ビールよりも少ない量で酔えるであろう焼酎に変えてみた。

予想通り、この日は1度も起きることなく起床時間を迎えることが出来た。

なんだ、やっぱりそうじゃん!
トシの所為じゃないじゃん!!
えがったえがった、まだオジイサンじゃなかったんだ!!!

と、くだらないことで喜び、きょうもまた、沢山のビールを呑み干すバカヤロウなのだった―。


※『ザ・ロック』より、いかにもマイケル・ベイらしい、なにも考えていないようなカーアクションの場面を。

いや、これは褒めことば。
ベイちゃんに知性やオタク性を求める観客なんて居ないんだから、このまま突っ走ってくれればいいのではないか・・・と。

とはいえ、この映画にはオタク心をくすぐる描写や台詞がいくつか出てくる。
ニコラス・ケイジがビートルズ・マニアだったり、ショーン・コネリーとエド・ハリスが偉人の名言をいい合ったり。

ハリス「自由の木は愛国者と圧政者の血を交互に吸って大きくなる、トーマス・ジェファーソン」

コネリー爺「愛国主義は邪悪なる者の好む美徳である、オスカー・ワイルド」

ここでハリスがコネリー爺を殴る。

するとコネリー爺は、「ワイルドは正しかった」と返す。

これらの知性・オタク性が光る台詞を創っているのは、ノンクレジットで参加したQTことクエンティン・タランティーノなんだよね。

あぁなるほど、だとすれば頷ける。


QTのノンクレジット脚本参加で有名なのは『クリムゾン・タイド』(95)のほうで、『ザ・ロック』は、あんまり知られていない。

以上、トリビアでした。




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にっぽん男優列伝(262)名古屋章

2015-01-22 00:10:00 | コラム
30年12月8日生まれ、2003年6月24日死去。享年72歳。
東京出身。

基本的に映画作品を取り上げる―この列伝のルールですが、自分の世代にとって名古屋章(なごや・あきら)さんといえば、やっぱり『スクール☆ウォーズ』(84~85、大映テレビ×TBS)になるのだと思います。

「・」ではなく「☆」にするところが時代ですよね。
いまじゃ、ゼッタイに「☆」にはしないと思います。

名古屋さん―苗字だけだと、なんだか妙ですね―は、第一も第二も学問、スポーツなんか知ったことではないというイヤミな校長先生を好演していました。

自分はこのドラマで初めて名古屋さんの存在を知ったものですから、ほんとうにイヤな野郎だとキャラクターではなく、名古屋さん本人を嫌ったものです。

ごめんなさい。

※マジックを引くヤンキー女子がかわいいんだ。
当時、軽くファンになったなぁ。




その後―映画少年となり、黒澤に出会います。

自分が黒澤の最高傑作と疑わない『天国と地獄』(63)で、名古屋さんが実直そうな刑事を演じているのを発見したときは、かなり驚きましたね。
『用心棒』(61)でジャイアント馬場のような巨人が出てきて、そのひとの名が「羅生門綱五郎」であることを知ったとき以上の驚きでした。

<経歴>

旧制中学を卒業後、NHK東京放送劇団養成所に入所。
のちにナレーションを多く担当することになりますが、最初から「声」で勝負するつもりだったのですね。

そういえば、『帰ってきたウルトラマン』(71~72、TBS)のナレーターって名古屋さんだったものなぁ。

おそらく、子どものころから「いい声だねぇ」と評されることが多かったのでしょう、
自分の友人にも3人ほど声優やナレーターが居ますが、彼ら彼女らは、みんな子どものころから特徴的な声を評価され、そのことに自覚的になっていたといっていましたもの。

50年代前半にラジオドラマに出演を果たし、声優としてのキャリアをスタートさせる。

映画俳優デビュー作は、55年の『ノンちゃん雲に乗る』。

どちらかというとメインは声優業と舞台のほうでしたが、数多くのテレビドラマで名脇役として活躍、
映画でも大作から小品までこなし、その器用さで多くの監督たちから大いなる信頼を得ていたようです。

『松川事件』(61)では山本薩夫、『放浪記』(62)では成瀬、『秋津温泉』(62)では吉田喜重、
そして黒澤に・・・と、役の大小はともかく、巨匠名匠に好んで起用されていたことが分かりますねぇ。

『男の紋章』(63)、『太陽は呼んでいる』(63)、『泣かせるぜ』(65)、『日本一の裏切り男』(68)、
『紙芝居昭和史 黄金バットがやって来る』(72)、『人間革命』(73)、『日本沈没』(73)、
『駅 STATION』(81)、『疑惑』(82)、『麻雀放浪記』(84)、『青春かけおち篇』(87)、『いとしのエリー』(87)、『快盗ルビイ』(88)、『釣りバカ日誌』(89)、『マルタイの女』(97)。

あれ、出ていたっけな? という作品もありますが、まぁ基本、主演することはなく、脇でアレヤコレヤをやって「ときどき」場をさらうひとですから。
それは、しつこいですけど、『スクール☆ウォーズ』を観れば分かるはずです。

2003年、3月。
脳腫瘍のために手術を受け、リハビリを始める―も、同年6月24日に肺炎のため鬼籍に入る。

享年72歳。

映画の遺作は、2001年の『世界の終わりという名の雑貨店』でした。

『仁義なき戦い』シリーズ(73~74)の金子信雄に代わるひとは居ない―と思っていましたが、名古屋さんなら、同じような味わいを出せたような気もします。


次回のにっぽん男優列伝は、夏八木勲さんから。

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『トシを取ったのか、それとも単なる呑み過ぎか』

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