Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

にっぽん男優列伝(261)中村雅俊

2015-01-21 00:10:00 | コラム
51年2月1日生まれ、63歳。
宮城出身。

公式サイト

長身でさ~、
若いときも現在も格好いいままで、
そこそこ頭もよくって、
歌も楽器も出来て、
奥さん(五十嵐淳子)までキレイときたもんだ。

・・・と、中村雅俊(なかむら・まさとし)さんのことを十数年も羨ましがっている友人が居るのですけれど、まぁそれも分かります。

ただ、いってしまえば。
自身と比べるほうがどうかしているっていうか。

でもね。
彼の羨ましがりは中途半端なものではなく、
たとえばカラオケで、自分の番が回ってくると、その日が2度目3度目であっても、彼は『恋人も濡れる街角』しか歌わないんです。

このくらい徹底していれば、いいのかもしれません許してあげても笑

実際、よい曲ですし。
だから彼が何度歌おうとも、やっぱり聞き入ってしまうのですよ。
歌唱力があるのではなく、単に曲がいいから、、、なのだと思います。


※テーマ曲の印象が強過ぎるので、『蒲田行進曲』(82)の主題歌であったことは忘れられがち




<経歴>

俳優・歌手であり、エム・ジェイ・エンタープライズの代表取締役社長でもある・・・って、非の打ちどころがないですね。

慶應義塾大学卒業。
大学卒業後に文学座に入団、通常、ここで何年間かは下積み時代を送るわけですが、雅俊さんはツキもありました。
入団したその年に、テレビドラマ『われら青春!』(74・日本テレビ)の主役に抜擢され、瞬く間に人気者に。

高視聴率を維持したほか、雅俊さん自身が歌う挿入歌『ふれあい』も大ヒットを記録した・・・って、知ったかぶりましたが、このドラマは自分が生まれた74年に放送されたもの。
再放送で観た気もしますが、はっきりとは覚えていませんねぇ。

翌年の75年、『俺たちの勲章』(日本テレビ)で五十嵐淳子と共演、これが縁でふたりは結婚します。


ここからは、映画のキャリアのみで。

映画俳優デビュー作は、74年の『ふれあい』。
『われら青春!』の挿入歌と同名ですし、ちょっとゴッチャになってしまう―というより、映画のほうの『ふれあい』をすぐに浮かべるひとは滅多に居ないと思います。

そう、スクリーンでも映えるひとのような気がしますが、テレビドラマと比べると、映画のキャリアは弱い。

『想い出のかたすみに』(75)、やはりテレビドラマを想起させる『俺たちの時』(76)、
イメージと結びつきづらい『坊っちゃん』(77)で「坊っちゃん」を「それでも」熱演、
『悪魔が来りて笛を吹く』(79)、
『次郎長青春篇 つっぱり清水港』(82)、『この愛の物語』(87)。

ねぇ、なんかピンとこないでしょう。

たぶん最も知られた映画作品が、92年から制作された3部作、『夜逃げ屋本舗』(92~95)なのではないでしょうか。

ライトコメディを嬉々として演じる雅俊さんは、たしかに新鮮でしたねぇ。


『ビートキッズ』(2005)、
制作会社のトラブルにより完成そのものも危ぶまれたものの、なんとか陽の目を見ることが出来た『ふうけもん』(2009)、
『60歳のラブレター』(2009)、『武士の家計簿』(2010)、
近衛文麿を演じた『終戦のエンペラー』(2012)、そして最新作は『謎解きはディナーのあとで‎』(2013)。

前世紀に比べると、映画にかぎっていえば現在のほうが好調ですね。


3.11以後―。
福島出身として、積極的にチャリティなどをおこなう。

それは、現在でもつづけているようです。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『にっぽん男優列伝(262)名古屋章』

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「文字」の威力、映画篇

2015-01-20 00:10:00 | コラム
映画は映像で「ひとがたり」を表現するものであって、「あんまりことばに頼っちゃいけない」というひとが居る。

ことばを紡ぐ職業に就いているものの、概ね納得。

要は、安易にことばで説明するなってこと。
悲惨な境遇にあるキャラクターに「あぁ悲惨だ」なんていう台詞を与えちゃいけない、表情で表現しろよと。

安易なことばで説明したくないから、多くの映画作家が悩む。
悩んだ末に、ハッとするシーンが生まれるというわけだろう。


いっぽうで、ことばを文字にして表現する手法―テロップ―がある。

テレビの世界では「笑いを強調するために」、映画の世界では「(状況などを)簡潔に説明するために」多用されるが、このテロップひとつでもインパクトを残すことは充分に可能で。

以下の10作品は、自分をハッとさせた「技ありのテロップ術」である。


(1)『JFK』(91)

「この映画を、真実を探究する若者に捧げる―」

世界で屈指の「おしつけがましい」監督、オリバー・ストーンだが、あぁなるほど、このことをいいたくて、180分の大作を仕上げたのだなぁと呆れながらも感動した。

(2)『レイジング・ブル』(80)

「―そこでパリサイ人たちは盲人であったひとを、もう一度呼んでいった。
神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは私たちには分かっている。
すると彼はいった。
あのかたが罪人であるかどうか私は知りません。ただひとつの事だけ知っています。私は盲であったが、いまは見えるということです」

『新約聖書』の『ヨハネによる福音書』から引用、最初はどういう意味か分からなかったが、30回以上観た現在の自分には「見える」。

※デ・ニーロの独演シーンからテロップまで。

哀しいじゃないか。
でもこのラストは、けっして悲観的ではない。

40年しか生きていないが、人生ってこういうものなんだな、、、と、思う。




(3)『ツイン・ピークス劇場版』(92)

川を流れるテレサ・バンクスの死体に、わざわざ「テレサ・バンクス」という説明テロップが入る。

大爆笑!!

(4)『砂の器』(74)

「旅の形はどのように変わっても、親と子の宿命だけは永遠のものである」

物語だけで充分伝わるのでクドい、、、ともいえるが、いやいや、10年かけて映画にした橋本忍にとっては、これは必要なテロップだったのだと思う。

(5)『フィールド・オブ・ドリームス』(89)

「すべての親へ―」

この短いことばに、グッときたひとは多いことだろう。

(6)『アメリカン・グラフティ』(73)

青春を謳歌していた彼らがどうなったのか―それを伝えるエンド・テロップには、「ベトナム」という文字がある。

・・・・・。

(7)『街の灯』(31)

これは特例。
無声映画における「字幕としての」テロップだから。

もちろん、ラストの「あなたね…」のことを指している。

(8)『フェイク』(97)

「ジョーは現在もマフィアに50万ドルの懸賞金をかけられ、隠遁生活を送っている」

実録物の王道テロップとして、本作を代表としておこう。

(9)『カノン』(99)

「注意! 感受性を傷つけるおそれがあります」

娘の首を撃つシーンの前に登場。

どこまでも尖ったヤツだぜ、ギャスパー・ノエというひとは。

(10)『許されざる者』(92)

「人生の師、ドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げる」

もう、なんもいえないよ。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(106)

2015-01-19 00:10:00 | コラム
ぼーいずら「ぶ」→「ぶ」れーどらんなー(ブレードランナー)

SF映画というジャンルで票を取った場合、
1位はどう考えても『2001年宇宙の旅』(68)で、これは不動というか、100年後もそうなんじゃないか・・・と思わせるほどにインパクトのある名作。

次いで『スターウォーズ』シリーズ(77~)、『猿の惑星』(68)、『エイリアン』シリーズ(79~)などがランクインするだろう。
そして、5位あたりにつけそうなのが『ブレードランナー』(82…以下、略して『ブレラン』)である。

『スターウォーズ』と『ブレラン』の両方に出演しているハリソン・フォード、
しかしハリソンは、『ブレラン』のことを好いていないといわれている。

なんで?

彼が演じたデッカードより、ルトガー・ハウアーがクールに演じたロイ・バッティ(トップ画像)のほうが印象に残るから、、、だそうで。

なるほどねぇ。


観る度に発見がある、じつに味わい深い映画。

しかし。
スマッシュヒットはしたものの、公開時にそれほど絶賛されたわけでもない。
公開を終えて以降に、深く静かに評価が上がっていき、80年代末ごろにはSF映画の傑作と評されるようになっていく。

原作は、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。
すぐに読み終えることが出来る短編である。

ディックの作品のなかでは、それほど完成度の高い作品とは思えないし、(映画化されるまでは)有名なわけでもなかった。

『トータル・リコール』(90)の原作、『追憶売ります』のほうが、
『マイノリティ・リポート』 (2002)の原作、『少数報告』のほうが、
有名だろうし、単純に物語として面白い。

だから『電気羊~』は『2001年』同様、「映画ありき」で論じられることの多い、極めて珍しい小説だといえる。


2019年―というと、いまから4年後の世界を舞台にしている。
宇宙開拓が進み、その前線で働かされているのが、人造人間のレプリカントたち。
開発当初は「感情」を持たなかった彼らはしかし、しだいに「感情」を持ち始め反乱を起こすようになっていく。
そのような謀反を起こしたレプリカントたちを処刑するのが、ブレードランナーと呼ばれる捜査官である。

ハリソンが演じるのは、ブレードランナーのデッカード。
ハウアーが演じるのは、謀反を起こしたリーダーのバッティ。(つまり、レプリカント)

たしかにデッカードは、主人公なのに影が薄い。
バッティだけでなく、謎の美女レイチェル(彼女もレプリカント:ショーン・ヤング)や、跳んだり跳ねたりする元気娘プリス(やっぱりレプリカント:ダリル・ハンナ)にも負ける存在感のなさ。

いや、ないわけではないが、レプリカントキャラのインパクトが強過ぎるのである。


自分が19歳のころ、『ブレラン』はリバイバル上映された。

いや、それは正確ではないな。
監督リドリー・スコットは92年にディレクターズ・カットを発表、だから新作として公開されたと。

さらに2007年、今度は「ファイナル・カット」とされるバージョンが発表される。

細かくいえば、3バージョンどころの話ではない。
ナレーションをカットしたり、ユニコーンのイメージショットを挿入したり、再編集を「やたら」繰り返し、どれがどれだけ分からないくらいになっちゃった。

これから初めて『ブレラン』を観るアンチャンネーチャンには、オリジナル版に触れることを薦めたい。

ディレクターズ・カットというのは結局、第一に監督のもの。第二に、コアな映画ファンのためのものなんだよ。

その後のキャリアが成功した監督だけに与えられる特権というか、「ほんとうはこうしたかったのに、当時は無理だったから夢を叶えたもの」に過ぎない。


たとえば自分は、『アマデウス』(84)が好き過ぎて、30回以上観ている。

リズムまでマスターしている。
これが完璧な形だ!! と確信している。

そうして、そのバージョンでオスカーまで独占している。

それが2000年代になって、唐突にディレクターズ・カットが発表された。

そりゃもちろん、あの傑作映像をスクリーンで拝めるのはうれしい。
結局、5回ほど高島屋のタイムズスクエアまで行って観たよ。

感動した。
したけれども、どうもリズムが(自分に)あわない。

すごい映画であることに変わりはないが、完璧な形は、やっぱりオリジナルだったんだなぁと痛感した。


だからまず、オリジナル版を観て、このダークなSFの世界に深い興味を抱いたひとだけ、ディレクターズ・カットやファイナル・カットに触れればいいと思う。


※そして、ヴァンゲリスのテーマ曲にしびれよう!!





次回のしりとりは・・・
ぶれーどらん「なー」→「なー」す。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(105)

2015-01-18 00:10:00 | コラム
らん「ぼー」→「ぼー」いずらぶ(ボーイズラブ)

坊主にアゴヒゲ、しかも「そこそこのガタイ」だと、ゲイ? なんて勘違いされることもしばしばだ。

その度に真面目に否定するのも疲れるし面白くないので、

「基本は異性愛者だけど、若いときのデヴィッド・ボウイとかだったら許せるから、3%くらい同性愛者なのかもね」

などと答えるようにしている。

・・・が、相手からは期待したようなリアクションを得られない。

ちょっと戸惑っているみたいなんだよね。
3%だよ3%、消費税より少ないのに引くわけ? この時代で? 東京って「それ」に関して理解があるところなんじゃないの?

・・・・・。

まぁいいや。

話を戻して・・・
気持ちは分からないが、そういうひとたちが居ることは理解しているし、排除もしないし、どうぞ好きにやってくださいと思うわけ。


同性愛―その男版のことだけを指してBL、ボーイズラブというようになったのは、そんなに昔のことではない。

たぶん90年代からであり、これはコミケ(コミック・マーケット)の隆盛とも関わってくるのだろう、
主に漫画やライトノベルの世界で使用されることばだから、男たちの同性愛を描いた映画のことを「BL映画」、、、とは、あまりいわないような気がする。

気がするが、この際だ、いつかそう呼ばれるようになるかもしれないから、本稿ではBL映画といってしまおうではないか。

映画史的に最も重要とされるBL映画は、おそらくビスコンティの『ベニスに死す』(71)だろう。

でも格調高過ぎて、感情移入はしづらい。
それより、フリードキンの才気が爆発した『真夜中のパーティ』(70)のほうが好き。

ゲイたちのグループによる「痴話喧嘩」を描いた傑作である。

専門学校時代―。
これを強く薦めてきたK先生は、当時からゲイ疑惑があったけれど、ほんとうにそうなんだろうな、、、と思う。

・・・って、ちょっと待て。
完全に定義づけされているわけではないものの、BLの登場人物とは、基本が美男のはずである。(そして、若い!)
『ベニスに死す』の少年は美しいが、主人公は美しいとはいえない。(そして、ジジイだ!)

ということは、『真夜中のパーティ』も含め、これはBL映画とはいえない。

レオくんがランボウを熱演した『太陽と月に背いて』(95)を女子が「嫌いがち」なのは、レオくんは美しいが、相手役が美しいとはいえなかったから―というじゃないか。
だからこれも、BL映画ではない。

なかなか難しいね。

訂正してみよう、
映画史的に最も重要とされるBL映画は、『モーリス』(87)なのではないだろうか。

定番中の定番だが、みんな美しかったもの。しょうがないよ。




『モーリス』を筆頭とする真のBL映画5傑は、だから以下のようになるのだろう。

※すまん! 条件が厳し過ぎて、10傑選べないや!!

『アナザー・カントリー』(81)
『マイ・プライベート・アイダホ』(91)
『ブエノスアイレス』(97)
『御法度』(99)

そして自分が最も好きなBL映画は、やっぱり『ブエノスアイレス』で決まり!!

レスリー・チャンばかり褒められるけれど、トニー・レオンも素晴らしかったと思う。





あすのしりとりは・・・
ぼーいずら「ぶ」→「ぶ」れーどらんなー。

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火! あそび

2015-01-17 00:10:00 | コラム
去年末、自分にしては珍しく社会的事件の取材に関わっていた。

多摩市で建設中の家ばかりを狙った放火事件が発生、以前の住処から近かったことから、自分に白羽の矢が立ったのである。

まだひとが住んでいないから死者も出ない―そういう意味では罪は軽くなるのかもしれないが、夢のマイホームを夢の途中で燃やされてしまった当事者はたまったものではない、
逮捕されたのは20代のガキで、自身のストレスがドウタラコウタラと供述したとかしないとか?

自慰でもして、さっさと寝やがれ。

10年くらい前になるのかなぁ、「くまえり」と名乗る女子放火魔も居たよね。
自分で火をつけて、その画像をブログに載せていた子。
「近所で火事だ~」なんつって。

やっぱり自慰でもして、さっさと寝ていてください。
あぁくまえりは、まだ塀のなかだったかな?(たぶん懲役10年だったかと)


とはいえ。
火/炎に対する抗い難い魅力というか魔力というものは、認めざるを得ないところがある。

もちろん「ひとんち」に火をつけることはないが、ガキのころ、ほとんどの子は「火あそび」が好きだったでしょう。

自分もそうで、家の手伝いで最も好きなのは「ドラム缶のなかでゴミを燃やす」ことだった。
4人家族とはいっても、1日でそれほどのゴミは出ない。
出ないにも関わらず、毎日毎日燃やそうとする。
炎が弱めだと、石油とか入れて強くしたりしてね。


でもやっぱり、「火あそび」は危険である。
「火がつく」「燃える」など、ことばとしてはポジティブな意味合いのものも多いが、
「火のないところに煙は立たぬ」なんていうことわざもあるし。


火に触れたくなったら、とりあえずは映画を観よう。
ブタ箱に入るより、劇場の座席のほうがいいでしょう?


『アラビアのロレンス』(62)…トップ画像

小さな小さなマッチの火だが、ロレンスのキャラクター性を表現していて大好きなシーン。

『カジノ』(95)

冒頭、ピンクのスーツを着たデ・ニーロの乗った車が爆発、炎とともに、デ・ニーロが派手に吹っ飛ぶ。




『ダイハード』(88)

起爆剤が爆破するシーンで、ほんの一瞬、遠景で捉えたショットが出てくる。

高校生の自分でも思ったね、監督マクティアンってセンスいいなぁ!! と。

『乱』(85)

細かい話は覚えていないが、城が燃えるシーンは、ひたすら美しかった。

たしかに美しいんだよなぁ、なにかが燃えるって。

『キャリー』(76)

みんな殺せ!
みんな燃やせ!

架空のキャラに自分の怨念を託すのも、悪くないと思うんだ。

『バックドラフト』(91)

放火事件を背景に、消防士兄弟の物語を描いて見応え充分。

『あつもの』(99)

アートは容易く、エロスに敗北する。
菊の全焼? シーンに戦慄した。

『バタリアン』(85)

爆弾で強引に解決。
この力技、逆に清々しい。

『炎の少女チャーリー』(84)

スティーブン・キング原作の映画化作品のなかでも、1位2位を争うほどの失敗作か。

でも目に楽しい創りで、失敗作でも愛嬌があって憎めない。

『害虫』(2002)

火あそびのつもりが、ほんとうに家を燃やしてしまう。
男は笑い、女は泣いた。




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