「記念撮影-遠い日の風音・私の母と-」2011年峯田敏郎展図録より
尊敬している方はたくさんいますが、実は尊敬している先生(学校という場での)は、数人です。その数少ない一人が峯田敏郎先生。峯田先生は、秋田大学在学中にお世話になりました。現代日本を代表する彫刻家でもあります。
卒業後はしばらく年賀状をお出ししたり、銀座でやってらっしゃる個展を訪ねたり、上野の国展を観に行くくらいはしていましたが、ここのところは随分とご無沙汰をしていました。私は教え子だったと言えるほどでもなく、その辺は微妙なのですが、私が直でお世話になっていた先生は別にいて、峯田先生は私の友人の直の先生でした。でもそのお人柄と卓越した芸術家としての魅力に、勝手に何かにつけ、友人にくっついて先生のお話を伺いに行っていたのです。ホント、そういう図々しいところは、他の場面でも結構あります。引っ込み思案なんですが、ここっていうところは頑張るんです。
そして、その図々しさがまた出てきて。最近、先生にぜひともお願いしたいことができ、勝手ながらお手紙を差し上げました。するともうその日に投函してくださったなというくらいのすぐに、お返事をくださり、お願いに対しては快諾! その上、この作品集を同封してくださいました。涙が出そうになるほど有難いことでした。そして作品集がすばらしくって!! あらためて、すごい! と思いました。
「芝居は終わった」(作品集より)
作品集には、新聞などに寄稿した文章も載っていました。これがまた感動もの。その中のものをご紹介したいと思います。
「私は芸術家になるわけではありませんので、ほどほどにお願いします。専門家のような実技の勉強より、子どもの気持ちを理解でき、楽しく美術を指導できる幅広い知識を身に付けた、立派な教師になりたいのです」「そう、それならまず本格的にやりなさい。たとえ作品が立派にできなくとも、一つのことをとことん追求する、その姿勢を身につけなさい。美術教育は実践する具体的な行為の中にあり、抽象的な理論の中にはないのだから」
かつて先生と学生との間に交わされた会話です。まさに峯田先生は一つのことをとことん追求されていることで、教育者としての姿を示されている方でした。そういう先生の姿に感動はしていたけれど、実践できなかったという悔いはあります。が、まだ人生は終わっていないと、思うわけです。
他にも、宮沢賢治の詩を引用していた文章があり、私は今年賢治と再会したともいえたので、感無量でした。
その詩がこちら
…みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを嚙んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
http://www.kokugakai.com/cyoukokubu/ryakureki/minetatoshirou.html
で、先生の作品の写真が数枚見られます。