長く一緒に俳句をやっている千草さんが、句集を出されました。
俳句をやる目的は、人それぞれで、どういうのがいいとは言えません。でも、この一冊を読むと、俳句はお金儲けのためのものではないし、有名になるためのものでもない。ほめてもらうためにやるわけでもない! というのが、はっきりわかります。
何か「結果」を求める人には、俳句は向きません。
この句集は、千草さんにとって「結果」ではなく、千草さんが、二十五年をかけて歩いた道筋です。
それを、辻桃子主宰は、「千草さんの句は、『ふだん』の句」であると序文で述べられています。
角曲がるふだんの角が枯野かな
清掃車鬼灯の鉢残し行く
初蝶やブローチのピン甘くなり
紙芝居一本読んで昼寝かな
泡立草地蔵に続く道ふさぎ
米櫃のからになりたる一葉忌
灼熱の江東区ガス科学館
下闇を抜けしところに隠れ井戸
電話まづ父が出てきてうららかに
出来秋や証明写真目をむいて
炎昼や母の箪笥を処分して
角曲がるたびに近づき秋の虹
湯の宿の少し皺よる夏みかん
初泣きの顔をさらしてバスの中
黒南風や長泣きの子はほつておき
そこだけは雲の明るき十三夜 千草
ああ、なんてあたたかい「ふだん」なんだろう。その「ふだん」には、母の箪笥を処分したり、泣き顔のままバスに乗ったりすることも含まれているのです。
千草さんが今世話人をされているパセリの会は、当時、小学生とか幼稚園の子どもを持つ同人のために作られた句会でした。その立ち上げから何年かは、私も参加していたのですよ。私はやがて、あっちにふらふら、こっちにふらふらとしていますが、千草さんは、腰を落ち着け、たんたんと句を作り続けていらしたのです。そして、こんなすばらしい句集が誕生。
ふだんの千草さんは、大きな声を出したり、目立った方ではありません。こんなすばらしい句を作る方だったのかと、句集を読んで驚く方もいらっしゃるかも。
ほめられるために俳句を作るのじゃあない。今生きている一瞬を刻むのが、俳句なのではないでしょうか。襟を正す思いでした。
千草さん、思えば長いおつきあいですね。俳句の座は一期一会という言葉も、今かみしめています。
千草さん、本当におめでとうございます。