fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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「DAWN」第26号(第24回児童文学ファンタジー大賞発表号)

2018年12月09日 | 日記
  児童文学ファンタジー大賞は、今年も大賞なしでした。
  佳作は、二度目のご受賞。本田昌子さん。おめでとうございます。出版されて本になるのが楽しみです。(きっと出版されることでしょう)
  奨励賞は、森川聖子さん。 おめでとうございます。こちらも、出版されるといいな。読みたいです。

  毎年送っていただいているこの冊子は、選考委員の先生達の評が載っています。これがもう、厳しくて、かつ優れたファンタジー論として読めます。

  記録のため、心に響いた部分を抜粋させていただきます。

  登場する大人たちは、みな地に着いた暮らしを送っていることを伺わせ、作品に暖かさと落ち着きを与えています。(松本なおこ →「つきのはなさく」)
  主人公の唯子は常に受け身で、深く悩んだり不思議さにおののいたりする様子は伝わって来ず、主人公としての役割を果たしていません。(松本なおこ →「はるか」)

  高村薫は鼎談「平成という時代」(毎日新聞2018・9・1)で、「文学の世界でも以前はこんな表現をしたら編集者に即はねられたという文章が平気でまかり通って、文学賞の候補作として出てくるようになりました」と述べている。(中略)
  雑な日本語表現に満ちた候補作を読まされるとイライラが募る。文学表現が持ってしかるべき「プラスアルファ」が失われたと高村は嘆く。日本語に立ち向かう書き手の姿勢の問題かと思う。大げさに聞こえるかもしれないが、私の文章は切れば血が出るという感覚が必要なのだ。(中澤千摩夫)

 知を楽しみ、知にたゆたうことをこの物語は教えてくれる。 (中澤千摩夫 →「つきのはなさく」)

 大雑把に述べれば、古代の日本における自然信仰では、八百万の神々は天地を自由に彷徨していた。時々、神々の顕現を願った人々が、磐座や大木を信仰し、そこに神々が時々訪れる、という感覚。歴史が進み、中国や朝鮮半島の影響を受け、また時の大王(天皇の称号は天武朝から)や豪族の権力誇示と自らを守護(怨霊鎮護)するために大規模な「神社」が建てられてきた。これは神々が神社に閉じ込められたことを意味する。神々の機嫌をとるために「神楽」が始まったことは事実。自由を奪われた神々の世界と現代の子どもたちの世界には共通項がある。そのようなファンタジーを読んでみたかった。 (工藤左千夫)

   

 こういう厳しい選評にさらされた一つの作品が、『しゅるしゅるぱん』(福音館書店)でした。

 そして、私の原点でもあります。毎年この時期、「DAWN」を読んで、気持ちを引き締めています。でも、あまりとらわれると、カチカチになって自由に書けなくなってしまいそう。
 行きつもどりつ、頑張りたいと思います。

 
 

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