fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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冬の皺

2012年11月14日 | 日記

          秋田市新屋浜

 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無残 を見むか   中条ふみこ    

 中条ふみこは、乳ガンを患い、夫と別れ、壮絶な生涯を送った人です。渡辺淳一が「冬の花火」という小説を書いています。私はまったく平凡な人間ですが、大野朱香さんの訃報を聞いたこともあり、命あることのありがたさを噛みしめています。


一太郎

2012年11月13日 | 日記

 先日友人のMさん(Mさん1,Mさん2,Mさん3といますが)とメールのやりとりをしていて、お互いが「一太郎」のユーザーであることが、判明しました。「おお、同士よ!」。

 原稿は、一太郎でB5の画面を出し、縦書きの20字×20行の設定をしないと、書けません。ワードだと、縦書きの画面を上下にスクロールすることになるので、書きにくいのです。慣れなのでしょうけど。ですから、原稿をメールの添付で送るときは、一太郎で書いたものを、いったんワード形式で保存しなおしてから、送ります。でもうちのパソコンは古いので、原稿を送っていただく場合、新しいバージョンのワードだと、こっちでファイルを開くことができない、なんてことにもなります。先日の合評会は、メールでの送付だったので、数人の方に「すみませんが、別形式で保存しなおして、再送してください」とお願いしなくてはいけませんでした。つい数日前にも別件で、2通ありました。

 また他のときは、ワードで保存しなおしても、それがテキスト形式になっていてご迷惑をかけてしまったことも。 一太郎ファンは、まだまだいると思うのですけど。

         秋田市新屋浜


追悼・大野朱香さん

2012年11月12日 | 俳句

 「童子」の先輩、大野朱香さんの訃報が届きました。9月にお亡くなりになられて、お身内だけで葬儀も全て済まされた後の報告でした。朱香さんは、私が俳句を始めたころ、俳壇のアイドルのような存在の方でした。句集『嗚呼』、『はだか』、『反物』、『一雫』という4冊の句集を出されています。『嗚呼』の句は、鮮烈でした。

 さうじやないクロールはかうやるんだと   朱香 (『嗚呼』)

 こぎやすいブランコこぎにくいブランコ   朱香 (『嗚呼』)

 春燈をともせば嗚呼と二十人   朱香 (『嗚呼』)

        第2句集『はだか』

 これはもう裸といへる水着かな    朱香

 ここ数年は、お仕事の他、ご両親の介護でお忙しく、ほとんど句会にはいらっしゃらず、昨年は編集者としてお勤めの通信販売会社であるK社を定年を待たず退社されたという風の噂も聞いていました。でもご病気だったことは、全く知らず、突然の訃報が飛び込んできたのでした。

   第3句集『反物』 

 女湯に女ぎつしり豊の秋    朱香 (『反物』)

 詩人の宋左近さんが、栞文を書いてらっしゃいます。「俳句って、こういうのでもいいんだ」と思わせるような新らしさから、型をしっかりとふまえた、伝統的な深い世界の句まで詠み続けてくださいました。

 私は、『童子』2009年6月号誌上で、高杉空彦さんと『一雫』を読むという対談をさせていただいています。それを今さっき読み返しましたが、句集の一句一句が「一雫」であり、その一雫の中に広い世界が映し出されているような深いものを感じる。でもそれはほとばしるような激流ではない。句が多くて、どれも水準が高いから突出してはいないが、どの句でも抜き出して、句会に出せば、大人気になる。なんて、ことを言っています。

 園長は園児ひきつれ神の留守  朱香 (『一雫』)

 あこがれの俳人、大先輩が、またひとりあちらの世界へ行ってしまわれたと思うと、胸が苦しくなります。三上冬華さん、富山いづこさんと、童子の先輩がすでにあちらへ行っておられます。(しかもみなさん、まだお若いうちに、突然に) しばらく『一雫』をバッグに入れ、電車などで読みたいと思います。朱香さん、お疲れ様でした。安らかにお休みになってください。


錦秋湖

2012年11月11日 | 日記

            

 この錦秋湖の紅葉は、JRのポスターにも使われるほどのものです。真っ赤に色づいた山のポスター、ご覧になったことありませんか? 秋田から帰る途中、この錦秋湖SAに降り、紅葉を見ようと思ったのですが、

   こんな看板が……。

 それでも、この奥から、上の景色が見える展望台まで歩きました。柵が邪魔だし、もっといいビューポイントがあるはずだと思ったけれど、まわりには観光客の一人もおらず、もし熊に会ったら、どうする? と、ドキドキ。これ以上は無理でした。

  きれいですが、ドキドキ。

 無事に帰りつきました。


図書館の親子

2012年11月10日 | 日記

                  

 秋田県立図書館に、このごろ行きます。先日は、連休の二日目、日曜日でした。エントランスホールは9時から開いているので、図書館開館10時までは、そこにいました。すると9時半くらいから、図書館前に列が少しずつできはじめるのです。ここには、中高生が勉強できるスペースの他、ビジネス支援コーナーがあり、パソコンの接続もできます。20席ほどのそこを私も使いたかったので、10分前には、その列に並びました。すると、前にいたのは、お母さんと3人の子ども達。図書館で本を借りるためだけだったら、並ぶ必要はありません。そこで、観察タイム10分間。

 館内には、A4サイズ以上のバッグの持ち込み禁止です。なので、子ども達はそれぞれ、教科書や問題集らしきものを抱えています。一番上のお兄ちゃんは中学生でしょう。ホライズンという英語の教科書と理科の問題集? 次男は小学校高学年? 残念ながら本の確認はできませんでした。末っ子は女の子で、小学校3年生。ローマ字の練習ノートと、3年という文字が見えました。この子は、他にも何冊も持っていて、「使うのだけ持って、あとはロッカーに入れてきなさい」とお母さんに言われています。「何冊持ってきたの? どんだけ勉強するんだか。嬉しいね」と笑いながら皮肉を言われていました。 

 すごい。朝から親子で勉強しに来るんだ! と、ひたすら感心した次第です。けっしてカリカリした感じではありませんでした。「11時半までね。遊びにいきたい」とお母さん、言っていましたし。 こうして「学ぶ」ことを身につけて育つことは、いいなと思いました。      

 

 図書館近くの公立中学校です。びっくりするほど、立派! 兄二人はこの中学に通いました。(当時の建物は普通の学校)私は、引っ越したわけではなく、別の公立中学でした。


秋田・新屋浜

2012年11月09日 | 日記

  書いている本人がいるところとは別に話題があちこち行き来します。

   秋田市新屋浜

 秋田市の郊外です。風力発電の風車が立ち並び、少し遠方には火力発電所も見えます。海の向こうは、北に男鹿半島、

 南に鳥海山が望めます。

  

 1983年5月には、日本海中部地震があり、秋田の沿岸を津波が襲いました。104名の犠牲者がでました。2011年の東日本大震災の犠牲者数の100分の1にも満たない数(東日本大震災の犠牲者は15000人以上)ですし、当時私は秋田にいませんでした。でも、あのときのことは、生々しく記憶に残っています。北秋田郡合川南小学校の児童が男鹿半島に遠足に来ていて、津波にのまれてしまったのです。45名のうち13名が亡くなりました。来年は、30年になる年。当時の子たちは40か41才です。

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 先日馬頭観音のことで、枝の意味などどなたか教えてくださいとお願いしていましたところ、もともとの馬頭観音のことを教えていただきました。ありがとうございます。

 うちの近辺で見るのは、ほとんどが文字を刻まれている石だったので、でも「馬頭観音」で調べると、頭上に馬を載せた観音様の姿が出てきます。「人間の無智・煩悩を排除し、諸悪を排する菩薩」だったわけで、その姿と「馬」という文字があることから、やがて馬の保護神となり、農村では、家で労力として飼っていた馬の供養のために祀られるようになったという経緯があるようです。関東以北でとくに多いというのも出てきます。


宮城県沿岸部 鳥の海・山元町

2012年11月08日 | 日記

 7日に、岩手から東京へ移動したのですが、今回は仙台で常磐線に乗り換え、亘理まで行きました。ここから、角田在住作家の「どじょうさん」こと、堀米薫さん運転する車で、鳥の海という海岸と山元町へと行ってきました。山元町は、2011年3月11日の震災で、津波で大きな被害を受けました。中浜小学校は、避難所が少し離れた中学校になっていたのですが、校長先生が移動しては逆に危ないと判断し、屋上に子どもたちを避難させ、全員が助かったのです。寒さに震えながら一晩救助を待つという試練ののちも、家族を失ったり、その後転居をよぎなくされたりと様々な暮らしをしていることでしょう。

   まだ瓦礫が残っています。

 私が何度か行った大船渡や陸前高田から比べると、随分南になります。このたびの震災が、どれほど広範囲にわたっていたか、頭ではわかっていても、実際にこれほど離れたところに来てみると、恐ろしくなりました。 そして、岩手のリアス式海岸の地形と大きな仙台湾、広い仙台平野という地形の違いも、目の当たりにしました。鳥の海から山元町まで、延々と平野が続きます。津波で家や田畑がさらわれ、瓦礫が取り除かれた跡には、草が生え、それが一面の枯野原となっています。地図を改めて見ると、ほとんど福島との県境です。

  町があったところなのです。

   山元町中浜小学校

 避難場所に指定されていた中学校が比較的近くにあるのかと思っていたら、見える場所にはありません。中学校へ避難をしていたら、間に合わなかったと言われています。岩手の場合は、振り返ると山があり、(ああ、あそこにすぐ避難すれば)と思えるのですが、ここは全くそういう高台がありません。

  鳥の海 公園跡

  

遊具だったのでしょうが、倒れたまま。土台が、十字架のようです。

 これが、1年半以上過ぎた現在です。広い平野に堤防工事などのための(?)トラックが行き交い、復旧に努めている方の姿が見られます。「こういった人たちのおかげで、私は生かされている」と、どじょうさんが何度もおっしゃいます。農業を営み、ご実家が福島なこともあり、原発、放射能に対する強い怒りもひしひしと伝わってきます。

 お忙しい堀米さんには、お世話をおかけしました。でもあの広さは、テレビや写真だけではわかりません。

  その後、大河原から、今度は東北本線で仙台へもどります。ここで仙台在住作家佐々木ひとみさんと合流。3人で、いろいろとお話をしました。お忙しい中、お時間をさいてくださったお二人に、感謝します。

 堀米薫さんは、『やったるぜ! 牛太郎』、児童文芸家協会新人賞受賞作『チョコレートと青い空』の作者。近々、震災後の牛に関したノンフィクションの新刊が出ます。http://khori.asablo.jp/blog/佐々木ひとみさんは、椋鳩十賞『ぼくとあいつのラストラン』の作者。今月末には、こちらも新刊『ドラゴンのなみだ』が出ます。http://blogs.dion.ne.jp/roku/私なんかが一緒にいていいのだろうかという、ご活躍の二人です。新刊、楽しみにしております。

 東北方面に行かれることのある方。ぜひ、沿岸部まで足を伸ばして、現状をご覧ください。堀米さんも、佐々木さんも、「見てほしい」とおっしゃっていました。こういったブログへのアップも、辛いけれども大事なことという考えもいっしょです。こうして写真を並べて、書いた文章を読み返すと、実際を伝え切れていないと、歯がゆい思いもしています。

  (おまけ 堀米さんちの牛舎)

 現在150頭の牛がいます。時間がなく、牛さんとの対面は果たせず、ほのかなフレグランスのみを味わってきました。


秋憂いのきいちゃん

2012年11月06日 | 日記

   私も今、こんな顔しているかも。(こんなにかわいくないよって?)初心に帰ろうという気持ちで、永遠の一年生きいちゃんの再登場です。

  

  

 この写真は、結構前のもの。秋桜も、とっくに終わり。明日は立冬です。


馬頭観世音

2012年11月05日 | 日記

   あちこちにあります。

 前に何気なく枝が敷かれて、胡桃の実が置いてあります。これは、ここの横の畑の方がやったことだと思うのです。なぜなら、

  

 別のところでは、こういうのもあったからです。石は倒れていますが、前の枝は、ちゃんと意味があってやられていることですよね! いいなあ、こういうの。結界みたい。だいたいが彫られた文字はやっと読める程度。でもほとんど馬頭観世音です。かつて農作業の際に働いていた牛馬をいかに大事にしていたかが、わかります。

 上の枝の意味がわかる方、教えてください。

 


地吹雪避けフェンス

2012年11月04日 | 日記

             

 東北を走るとあちこちでこのフェンスを見ます。これは、地吹雪避けのフェンス。冬になるとシャッターを下ろすように、閉まります。両側が何もないので、降る雪だけでなく積もった雪が吹き上げられて、視界が遮られるのです。地吹雪の中を走ったこと、何度かありますが、全く前が見えないのですから、ホント恐いです。ほとんど止まっているに近いくらいの速度で進みました。

 今は景色いいですけど。


樺山遺跡

2012年11月03日 | 日記

 岩手県北上市です。4、5000年前の遺跡だそうです。(復元です)秋田県の大湯というところのストーンサークルが有名ですが(秋田県人には)、それより古いとのこと。

 ご存じの方も多いでしょうが、お墓の説と祭事のためのものという説とあります。どっちだろう。ここは、低い山の上です。ここに古代の人たちが住んでいたのだなあと思うと、感じるものがありました。写真はないのですが、説明を記した石碑があり、そこで説明を読んでいたら、古代の人の歌のようなものが聞こえたんです。いや、風がその石に当たって聞こえた音なのでしょうが、最初のとき、男の人の歌うような声に聞こえてね。でも、それからこの遺跡を見ていたら、ここを取り囲みながら、歌っている人の姿が見えたようでした。

 それにしても、一気に寒くなりました。体がついていきません。それなのに、きょうは秋田へ移動です。途中の紅葉が楽しみ。天気は、どうでしょうか。

 上杉憲顕→うえすぎのりあき、と教えていただきました。Mさん、ありがとうございました。


ジャック&ダンディ

2012年11月02日 | 日記

        

 散歩途中の浅川近くにいるミニホースです。どっちがジャックで、どっちがダンディだったか。黒いのがもう一頭の後ろ姿なのですが、わかりにくく、すみません。ここの隣はドッグランになっていて、家族連れでちょっと遊べるところという具合でしょうか。この反対側の河川敷は、春に木を伐られ、砂利を敷かれ、無惨な姿になったのですが、自然はたくましく、砂利の間からあっという間に草が生え、秋草の野原になっています。自然のままがいいというのは、ある種人間のおごりで、完全に放っておくと、樹海のようになって人が踏み入ることもできなくなります。ネズミやヘビなどが、巣を作ります。春に野焼き、山焼きをすることで、美しい自然が保たれているのだということもあると知りました。数年前に、句友と渡瀬湧水の葦焼きを見に行ったことがありますが、ここが、去年今年と放射能の問題で葦焼きができず、そのため特産の葦に虫がつき、葦簀の生産ができないというニュースもありましたっけ。

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 なんて、東京のことを書きつつ、岩手にいます。

 先日音波歯ブラシのことを書いたら、10年以上ソニッケアを使っている方から、「いいですよー」というメールをいただきました。い8000円くらいからあるそうです。


芋煮会

2012年11月01日 | 俳句

           

 岩手の家の隣町が、この二子というところで、里芋の産地です。ホクホクして粘りがあり、おいしいです。

 この芋を取り寄せ、彼岸花で有名な巾着田の川原で「童子」芋煮会がありました。  100人分の大鍋、ひとり3~4杯食べたかな。

 芋10キロ たっぷり食べたら、即句会

 はたから見たら、変な集団。とてもいい天気すぎて、みなさん紫外線から顔をガードしています。(右から2番目の紫のほっかぶりで段ボールをテーブルにしているのが、きのうの動画では、着物姿だった辻桃子主宰)。みなさん、うなっています。芋の皮を剥く、火を熾す、味噌を入れる入れないと言い合う、灰汁の掬い方がどうたらと言う、石が痛いの、みんな句材になります。今年も名句が誕生しました。

 かたはらに赤のまんまや竈据ゑ    あぶみ (←これが名句ではなく、他にね)

 忍び寄る山影。それでも句会は続く