
◎2015年4月26日(日)
餅ヶ瀬林道脇駐車地(6:55)……今倉沢(7:10)……唐風呂林道越え(7:35)……今倉沢復帰(8:50)……廃倉庫?(8:56)……・雨降沢の頭鞍部(9:58)……雨降沢の頭(10:03)……巣神山(11:06)……唐風呂林道(11:25)……大山祇神碑(12:17)……餅ヶ瀬林道(12:26)……駐車地(12:31)
ブログのタイトルを「今倉沢を辿って小法師岳」にしたかったが、雨降沢の頭(1526m標高点)まで行って、あと15分も登れば小法師岳(標高1593m)だというのに、は特別な理由もなくカットした。今回は今倉沢を遡行してみることに意義があって…なんて格好つけるようなものではない。ただ、神経疲れで、行くのが面倒になっただけのこと。行っていない以上は、タイトルにも入れられない。実は、今になって悔やんだりしているのである。
一昨年の11月に今倉沢の右岸尾根から小法師岳に登った際、その帰り、餅ヶ瀬のオッサンから「今倉沢の脇には道があって、雨降沢の頭まで続いている」という食指が動かされるような耳寄りな情報を聞き、いずれは歩いてみないといけないなあと思っていたが、地形図を見る限りは青い水線も途中で消え、上部がやたらとごちゃごちゃしていて、一筋縄で歩けそうもなく、おかしなところにはまり込んだら、出るに出られなくなるのではと危惧し、だれかの記録を待ったりしていたが、沢歩きの方にはまったく興味の向かない沢なのだろう、いつまで経っても、今倉沢を遡行した記録は出てこない。とうとう、しびれを切らして、自分で歩いてみることにした次第である。
日曜日のハードな歩きはあまり気が進まない。昨日は所用があり、今日もまたその引き続きの予定でいたが、今日の用事はなくなった。慌ただしく出発したが、途中でダメになったら、最近の雪田爺さん氏の記事で知った「畑の沢大滝」見物にでも切り替えることにしよう。
ところで、「雨降沢の頭」の「雨降沢」だが、当初、今倉沢の分流かと思っていたが、自分で歩いてみて、どうも反対北側・庚申川の丸石沢と笹ミキ沢の間にある、南から庚申川に落ち込む沢、これが雨降沢ではないだろうか。これなら納得もする。調べると、やはり、ひろた氏の記事の遡行図に名称だけは出ていて、これが雨降沢であった。ちなみに、この雨降沢、だれか遡行したことのある沢屋さんはいるのだろうか。
(道端の廃屋。こんなのが数軒あった)

(今倉沢の看板。右に今倉沢)

(堰堤を巻く。鹿フェンスが部分的に続いている)

いつものように、前置きが長過ぎた。さっさと歩き出そう。すぐに今倉沢の看板があった。そのまま下りずに迂回する。確か、先に堰堤がある。前をオッチャンが散歩していた。山の中だから、散歩ではなく見回りかも知れない。瞬時に、養魚場のオッチャンではないかと思った。
私有地だとまずいと思い、「通らせてください」と声をかけた。ジロリとにらまれ、「ここ、禁漁だよ」と言われた。長靴を履いているからそう思われたようだ。山歩きであることを伝えたら、険しい顔を和らげ、いろんなことを話してきた。震災以来、とにかく放射能がひどくてたまらない。イワナのみならず、畑の野菜、山菜、薪、土…、あらゆるものを保健所だかに持ち込んで調べてもらっているが、いまだに10,000から20,000ベクレルに達したままで、原発周辺の福島の騒ぎどころではないと嘆いていらっしゃった。悲惨な話だ。これでは、空気も水もダメだろうし、ハンターも、この辺で獲ったシカは食えないのではないのか。それどころか、周辺の沢の水は餅ヶ瀬川にそそぎ込み、やがては渡良瀬川に流れ込む。そして利根川に入って水道水か。
興味深いところだが、長々となりそうだから、途中で、「ところで、今倉沢沿いに道があって、雨降沢の頭まで行けるという話を聞いたのですが」と切りかえると、「ああ、あるよ。途中から右に行かないとダメだ」と言われた。その「右」がどの辺なのかは微妙なところだが、道があるなら分岐もわかるだろう。背後からオッチャンの視線を感じながら堰堤を乗り越え、沢に下りる。オッチャンは、まだまだ話したかったのではないだろうか。今日は深呼吸を避けるようにしよう。
(今倉沢。陰気な感じの沢の印象。左岸側に道というよりも踏み跡がある)

沢沿いに、道らしいものがあることは、前回の下見で確認しているが、やはり不明瞭だった。頻繁に歩く地元の方ならいざ知らずだろうが。左岸から右岸に渡り、また左岸に戻るといった案配で、これでは効率も悪く、沢の中を歩くことにした。どうせ、この先で、一旦、唐風呂林道をまたぐことになる。
陰気な荒れた沢だ。細いながらも倒木がある。そして、大石がごろごろしている。水量は多くはなく、長靴でも往生するような深みはあっさりと回避できるし、幅も狭い。ただ、石がコケ付きで滑る。今日の長靴は普通のアウトドア用のもので、ピンは付いていない。
(石積みの堰堤。上に林道のガードレール)

(林道)

唐風呂林道のガードレールが見えてきた。石積みの堰堤を乗り越えて、林道に出た。沢はこの下を通っている。この先、左岸、右岸側どちらにもテープが垂れていた。ここは左岸の踏み跡に入ってみた。少なくともここまで、明瞭な「道」はなかった。この先にあるのだろうか。この時点では道の存在も期待しているし、それ無しでは辿り着けないだろうと思っている。
(こんなのは小滝とも言わないだろう)

(まぁ、沢はこの程度のものだ)

(炭焼きの跡)

踏み跡はずっと続いている。炭焼き跡もいくつか目に入った。見た目はのどかな谷間の風景だが、ドリンクのビンが捨ててあったり、薬きょうが落ちていたりする。なぜかセットでの投棄になっている。ハンターだ。ビンは古く、ラベルも剥がれてオロCなのかリボDなのかもわからない。この先も、ハンターや釣り人が放り出したらしきゴミをずい分と目にする。なぜか洋服のコナカの袋まで落ちていた。ハイカーの投棄でないことは確実だ。なぜなら、ハイカーはこんなところは登らないし、沢歩きにしてもしかりだろう。
(右岸側の踏み跡)

(今度は左岸に移動)

ところどころに石積みを見る。踏み跡が消えたり、崩れて不明瞭になったりで、結局のところ、ここもまた沢通しで歩くことになりそうだ。基調は左岸伝いのようだが、明瞭な道があれば、そちらに上がって辿ってみても長くは続かない。もはや、アテにしない方がいい。一昨年のオッサンも、さっきのオッチャンも、最近はここを歩くことはなく、昔はそうだったといった程度のことではないだろうか。むしろ、問題なく歩ける沢だから、取りあえずはこのまま沢を歩いた方がいいだろう。
上流に行くにつれ、沢が二つ、三つと分岐する。ここまで、右岸尾根を眺めながら、それに沿って歩いていたので問題はなかったが、悩むところも出てくる。地図には事前にマーカーを記していたが、水流線はすでに消えている場所になっているし、机上プランがそのまま現実にあてはまるわけでもない。分岐では、できるだけ水流の多いだろう本流を選ぶことにする。結局は右岸尾根の下の歩きになる。ただ、自分のいる位置が見当もつかず、仕方なく、時々はGPSを出しては地図と照合して、位置を確認した。
(ここからだったら、右岸尾根にはたやすく登れそうだ)

左の右岸尾根の高さが低くなってくる。上にはピンクのツツジもチラホラ見えている。沢はずっと殺風景で、色の付いているものは何もない。尾根の先の小ピークは1157m標高点だろうか。急斜面でもなく、5分もあれば尾根に出られそうだ。今倉沢を放棄するならここだろうが、今のところ、その気にはならない。とにかく、今日はこのまま今倉沢を遡上する。一応の今日のこだわりだ。
やがて、今度は右の左岸尾根の様子が気になってきた。次第になだらかな尾根が接するようになってきていた。悪天時に逃げこんだり、沢を放棄するならこちらだろう。巣神山と雨降沢の頭を結ぶ尾根に出られそうだ。
(赤矢印は工事関係のペイントだろう)

(「山火事注意」の標識。発行元は前橋営林局。ここから本流を高巻きになり離れていった)

左岸側に「山火事注意」の赤い標識が見えた。こういうところには踏み跡があるものだ。標識に近づくと、やはり、踏み跡が北東方面に続いていた。今朝のオッチャンが言っていた「途中から右」とはこれだろうか。辿ってみることにした。今倉沢からどんどん離れ、踏み跡は消え、ヤセた沢に出た。その沢を上がってみると、もうすぐそこに尾根がある。気持ち良さげな歩きを楽しめそうな尾根だ。このまま行ってしまおうかと誘惑にかられた。
(こんなところに出てしまい)

(割れたビンが散乱していた)

(本流に戻る)

(そして本流。随分と上がってしまっていた)

平らなところでちょっと休む。一服つける。ここは作業小屋でもあったのか、おびただしいくらいのビンが散乱していた。何十年も前のものだろう。
気を取り直して、今倉沢に戻ることにした。北西方向に歩けば、今倉沢に出るだろう。シカが食べ尽くしてくれているおかげで、ササは低く、快適とまではいかないが、苦労せずに今倉沢に下りられた。ここで知ったこと。雨降沢の頭に出るには、右に行ってはダメなのである。
(名付けて「今倉沢大滝」笑)

なおも遡上する。この沢唯一と思われる7m程の小滝を見た。さながら今倉沢大滝か。左から巻く。
もう踏み跡は完全に消えた。というか、シカ道なのか踏み跡なのか判断のつかないものがところどころに目に入る程度になった。ササが次第に深くなり、また沢に戻る。その沢もまた幅が狭くなって、一旦消えて、再び復活した。
(次第に静かになって、というよりも、元々静かな沢なのである)

(こんなのが視界に入り込んだ)

(中を覗く)

ヤブの中に石垣が現れ、その先を見ると、廃屋があった。秘密の隠れ家を見つけたような気分になった。これは山仕事の倉庫にでも使っていたのであろうか。トタン張りの周囲だけがかろうじて残り、屋根は落ち、中は屋根を支えた鉄筋が暴れていた。これでは雨よけにもなるまい。周囲にはビンやドラム缶が散乱している。もしくは飯場跡だろうか。思うに、「沢沿いの道」というのは、ここに至るための作業道であったのではないだろうか。しかし、こんなところでこんなもの。荒れ果ててはいてもほっとする。
(沢はしつこく続き、また分岐する)

沢がまた三分する。右沢に水がなく、左は尾根に沿っている。尾根とはいっても、すでに標高は1400m近くなっているから、今倉沢右岸尾根はすでに離れ去り、別の小尾根が近づいている。尾根の先を地図で確認すると、この小尾根は、ピークの東寄りに乗り上げているようだ。ここは真ん中の沢を選択する。
ダラダラ登りになっている意識が出てくる。今日は暑い。風はない。身体は汗でべったりだ。こんなところにもゴミがある。
沢の分岐はまだ続く。水は少ないながらもだらだらと続いている。はるか先に空が切れているのが見えてきた。ようやく終盤になってきたか。ここまで来れば、自分の位置も地図だけでつかめるようになった。事前マーカーどおりに歩いているようだ。
(ようやく沢が消えかかる)

(見下ろす)

(こんなのが卒倒していた)

(ササヤブの中のシカ道)

やがて沢は溝になり、水は消え、ぬかるみになった。ヤブに逃げると、シカ道が現れた。これを辿る。ササのヤブはうるさく、枯れたスズタケも混じる。ようやく、ぽっかりと見えている鞍部が近づいてきた。そして、予定していたスポットにどんぴしゃで到着した。ここまで右に曲がることはなく、沢伝いに直進、直進で登ってきた。今倉沢は沢靴も不要なおとなしい沢だった。
(小法師岳と雨降沢の頭との鞍部に着いた)

(方面)

残雪がところどころにある。しばらく休憩。さて、予定ではここから先ずはなのだが、行くのが億劫になった。雪があったとて、歩行にじゃまになるわけでもないから、やめる理由にもならない。一応、山名板の有無を確認しておきたかった。足尾のRRさん情報によれば、の山名板が消えているらしい。一昨年の11月に来た際には都合5枚もあった。だからどうなのだということではない。に関しては、おこがましくて板の製作にしゃしゃり出るつもりはない。ただ、行くのが億劫なだけのこと。結局、いずれ餅ヶ瀬林道の先の崩壊地寄りから登ってみたいと思ってもいるし、その時に通るだろうから今回はいいかで済ませた。
(雨降沢の頭に向かう)

(雨降沢の頭)

(折れた標識。いずれ半分欠けるなぁ)

雨降沢の頭に向かう。すぐそこだ。ササヤブが濃くなったような気がする。踏み跡も定かでなくなっている。雨降沢の頭に到着。ここには以前、手書きの「雨降沢の頭」のプレートがあった。今はなくなっているし、「←小法師岳へ 原向駅へ→」は真ん中で折れていた。しばらく休憩し、パンを食べる。
(小法師岳。行けばよかったかなぁ)

(巣神山へ)

(こちら側を通って)

(ここが好きなんですよ)

(ひっそりと)

巣神山に向けて下る。ここは、ヤブの間に上からは見えない踏み跡が続いているが、歩きづらく、ヤブの少ない右の林に逃げて歩く。1425mへの登り返しはつらかったが、着くと、ようやくツツジを見ることができた。だが、ツツジの名所と呼ぶには程遠く、チラホラ程度である。袈裟丸は来週あたり賑やかだろうな。
ここから巣神山までの道のりをダラダラと記してもしょうがないだろう。陽春の中の歩きを楽しんだが、えらく長く感じて巣神山に着いた。
(巣神山山頂。あったのは、テープの破片がいくつかだけ)

巣神山の山名板は消えていた。最近は昨年の1月に来ていたが、その時は3枚あった。1枚も残さずにとは何とも徹底している。巣神山に関しては、風で飛ばされるということはないだろう。腹立たしいのか、もしくは山名板集めが趣味なのか。にぎやかなテープ、消えていく山名板、他の山塊の事情は知らないが、足尾の山に関してはおかしな現象が起きていることは確かだ。何もないこと、何かあることにそれぞれ憤まんやるかたない思いをするハイカーがいるのだろう。
さて、巣神山からは唐風呂林道に下る。迷わず、畑の沢大滝を見物するつもりでいる。
(ここは初めて歩く。わずかな時間だが、ここは雰囲気がいい)

いつもなら尾根を東にしばらく歩き、危ういロープ場の先で林道に下り立つが、途中から、右手に見える小尾根を下ってみた。すんなりと林道に下りられた。これが一番楽なルートかもしれない。これまで、ここを通ったことはなかった。
(林道の落石。こんなのが3か所)

林道の落石が目立った。立ち塞いでいる大きなものもある。雪田爺さん氏の記事では、他県ナンバーの車が上がって行ったと記されていたが、その時は、こんな落石もあったのだろうか。
地図を見ながら歩いた。この辺が本流だろうと思ったあたりで、沢の音が聞こえてきた。ちょっと先に行くと、かなり下に滝らしいものが見えた。あれが「畑の沢の大滝」だろう。しかし、ここを下るとなると、かなり無理なものがある。急斜面で、立木は少ない。さらに下は谷底といった感じになっている。つまり危険ということ。今日はロープもストックも持参していない。周辺をうろうろしたが、踏み跡のようなものは目につかなかった。断念。いずれ、下から歩いてみることにしよう。しかし、雪田爺さん氏、こんなところをよく下れたものだ。下るはいいが、林道まで引き返すのもまた大変そうだった。
(999m標高点。工事の際、駐車場にも使われていたのだろう)

(二子山。あそこにもご機嫌伺いに行かないと)

このまま林道歩きというわけにもいかず、左に曲がって999m標高点に出てみた。地図では、ここから南に下って餅ヶ瀬に出られそうな小尾根がある。これだろうと覗き込む。なだらかな尾根が見えた。さてどうするか。下ってみてもいいが、先がどうなっているのかわからない。この期に及んで危なっかしいことをしない方がいいんじゃないかと林道に戻る。
今倉沢右岸尾根末端にさしかかる。確か瀑泉さんは、自分とは違って、突端をこちらに回り込んでから取り付いたようだったけど…。安全にたやすく登れそうなところはなかった。自分の取り付いたところとさして変わりはないのではないのか。
(大山祇神碑を後ろから)

(墓だと思うが)

(他人様の庭の花を眺め)

(駐車地に着いた)

途中から山道に入り、大山祇神碑の前に出る。その先は踏み跡を辿る。林の中だ。踏み跡は消えた。墓らしき苔むした石碑が一基。ここは集落の墓地だったのだろうか。
民家の脇を通って餅ヶ瀬林道に出た。ここから駐車地までは数分の距離だ。上から下に来るにつれ、気温もどんどん上がり、今日は珍しく着替えを持ってこなかったことが悔やまれた。車内は暑く、エアコンをつけっ放しでしばらく休んだ。身体がベトベトで不快。
122号線に出ると、憲法九条の看板を掲げる角の家がなくなっていることに気付いた。更地になっていた。あの家の裏には、トンネル脇の石碑群の延長で、石碑でもあるのではと思っていたが、これまでは覗きに行くこともできなかった。今度、ついでの時にでも見てこよう。
足尾トンネルにさしかかる。入口手前、あれっ、ウワサで聞いたことのある車があった。トンネルを出てから、Uターンしてナンバーだけでも確認しておこうかと思ったが、そこまでの好奇心はやめておこう。あんなところに車を置くとは…。しかもウワサで聞く車だ。色はグレー系。後で知った。やはり瀑泉さんであった。あの場所からして二子山か。まさか、ついでに下の楽園でワラビ採りまではしなかったろう。「二子山あたりの山菜も放射能で食えないよ」と今朝のオッチャンは話していたが。
※本記事にいただいた雪田爺さん氏のコメントが気になり、岡田氏の『足尾山塊の沢』を改めて読んでみると、確かに雨降沢のことが記されていた。ついでに餅ヶ瀬川コーナーを見てみると、今倉沢のことが記されていた。32年前に岡田氏はこの沢を歩かれていたようだ。
遡行図を見ると、「廃屋」が記され、その手前に6m滝がある(本ブログでは7m小滝としてある)。そして、その手前に8m滝があった。おそらく、自分が右に入り込んで、結局、巻いた形になった部分にある滝だったろう。せめて、この滝を見ておいた方がよかったかもしれない。
岡田氏はこの沢を謙虚にも「2級」とされているが、よほど水量の多い時に歩かれたのではないだろうか。1級どころか初級クラスにも至らないのではないだろうか。
余談だが、その頃の昭和58年には、唐風呂林道も開通していなかったようだ。
餅ヶ瀬林道脇駐車地(6:55)……今倉沢(7:10)……唐風呂林道越え(7:35)……今倉沢復帰(8:50)……廃倉庫?(8:56)……・雨降沢の頭鞍部(9:58)……雨降沢の頭(10:03)……巣神山(11:06)……唐風呂林道(11:25)……大山祇神碑(12:17)……餅ヶ瀬林道(12:26)……駐車地(12:31)
ブログのタイトルを「今倉沢を辿って小法師岳」にしたかったが、雨降沢の頭(1526m標高点)まで行って、あと15分も登れば小法師岳(標高1593m)だというのに、は特別な理由もなくカットした。今回は今倉沢を遡行してみることに意義があって…なんて格好つけるようなものではない。ただ、神経疲れで、行くのが面倒になっただけのこと。行っていない以上は、タイトルにも入れられない。実は、今になって悔やんだりしているのである。
一昨年の11月に今倉沢の右岸尾根から小法師岳に登った際、その帰り、餅ヶ瀬のオッサンから「今倉沢の脇には道があって、雨降沢の頭まで続いている」という食指が動かされるような耳寄りな情報を聞き、いずれは歩いてみないといけないなあと思っていたが、地形図を見る限りは青い水線も途中で消え、上部がやたらとごちゃごちゃしていて、一筋縄で歩けそうもなく、おかしなところにはまり込んだら、出るに出られなくなるのではと危惧し、だれかの記録を待ったりしていたが、沢歩きの方にはまったく興味の向かない沢なのだろう、いつまで経っても、今倉沢を遡行した記録は出てこない。とうとう、しびれを切らして、自分で歩いてみることにした次第である。
日曜日のハードな歩きはあまり気が進まない。昨日は所用があり、今日もまたその引き続きの予定でいたが、今日の用事はなくなった。慌ただしく出発したが、途中でダメになったら、最近の雪田爺さん氏の記事で知った「畑の沢大滝」見物にでも切り替えることにしよう。
ところで、「雨降沢の頭」の「雨降沢」だが、当初、今倉沢の分流かと思っていたが、自分で歩いてみて、どうも反対北側・庚申川の丸石沢と笹ミキ沢の間にある、南から庚申川に落ち込む沢、これが雨降沢ではないだろうか。これなら納得もする。調べると、やはり、ひろた氏の記事の遡行図に名称だけは出ていて、これが雨降沢であった。ちなみに、この雨降沢、だれか遡行したことのある沢屋さんはいるのだろうか。
(道端の廃屋。こんなのが数軒あった)

(今倉沢の看板。右に今倉沢)

(堰堤を巻く。鹿フェンスが部分的に続いている)

いつものように、前置きが長過ぎた。さっさと歩き出そう。すぐに今倉沢の看板があった。そのまま下りずに迂回する。確か、先に堰堤がある。前をオッチャンが散歩していた。山の中だから、散歩ではなく見回りかも知れない。瞬時に、養魚場のオッチャンではないかと思った。
私有地だとまずいと思い、「通らせてください」と声をかけた。ジロリとにらまれ、「ここ、禁漁だよ」と言われた。長靴を履いているからそう思われたようだ。山歩きであることを伝えたら、険しい顔を和らげ、いろんなことを話してきた。震災以来、とにかく放射能がひどくてたまらない。イワナのみならず、畑の野菜、山菜、薪、土…、あらゆるものを保健所だかに持ち込んで調べてもらっているが、いまだに10,000から20,000ベクレルに達したままで、原発周辺の福島の騒ぎどころではないと嘆いていらっしゃった。悲惨な話だ。これでは、空気も水もダメだろうし、ハンターも、この辺で獲ったシカは食えないのではないのか。それどころか、周辺の沢の水は餅ヶ瀬川にそそぎ込み、やがては渡良瀬川に流れ込む。そして利根川に入って水道水か。
興味深いところだが、長々となりそうだから、途中で、「ところで、今倉沢沿いに道があって、雨降沢の頭まで行けるという話を聞いたのですが」と切りかえると、「ああ、あるよ。途中から右に行かないとダメだ」と言われた。その「右」がどの辺なのかは微妙なところだが、道があるなら分岐もわかるだろう。背後からオッチャンの視線を感じながら堰堤を乗り越え、沢に下りる。オッチャンは、まだまだ話したかったのではないだろうか。今日は深呼吸を避けるようにしよう。
(今倉沢。陰気な感じの沢の印象。左岸側に道というよりも踏み跡がある)

沢沿いに、道らしいものがあることは、前回の下見で確認しているが、やはり不明瞭だった。頻繁に歩く地元の方ならいざ知らずだろうが。左岸から右岸に渡り、また左岸に戻るといった案配で、これでは効率も悪く、沢の中を歩くことにした。どうせ、この先で、一旦、唐風呂林道をまたぐことになる。
陰気な荒れた沢だ。細いながらも倒木がある。そして、大石がごろごろしている。水量は多くはなく、長靴でも往生するような深みはあっさりと回避できるし、幅も狭い。ただ、石がコケ付きで滑る。今日の長靴は普通のアウトドア用のもので、ピンは付いていない。
(石積みの堰堤。上に林道のガードレール)

(林道)

唐風呂林道のガードレールが見えてきた。石積みの堰堤を乗り越えて、林道に出た。沢はこの下を通っている。この先、左岸、右岸側どちらにもテープが垂れていた。ここは左岸の踏み跡に入ってみた。少なくともここまで、明瞭な「道」はなかった。この先にあるのだろうか。この時点では道の存在も期待しているし、それ無しでは辿り着けないだろうと思っている。
(こんなのは小滝とも言わないだろう)

(まぁ、沢はこの程度のものだ)

(炭焼きの跡)

踏み跡はずっと続いている。炭焼き跡もいくつか目に入った。見た目はのどかな谷間の風景だが、ドリンクのビンが捨ててあったり、薬きょうが落ちていたりする。なぜかセットでの投棄になっている。ハンターだ。ビンは古く、ラベルも剥がれてオロCなのかリボDなのかもわからない。この先も、ハンターや釣り人が放り出したらしきゴミをずい分と目にする。なぜか洋服のコナカの袋まで落ちていた。ハイカーの投棄でないことは確実だ。なぜなら、ハイカーはこんなところは登らないし、沢歩きにしてもしかりだろう。
(右岸側の踏み跡)

(今度は左岸に移動)

ところどころに石積みを見る。踏み跡が消えたり、崩れて不明瞭になったりで、結局のところ、ここもまた沢通しで歩くことになりそうだ。基調は左岸伝いのようだが、明瞭な道があれば、そちらに上がって辿ってみても長くは続かない。もはや、アテにしない方がいい。一昨年のオッサンも、さっきのオッチャンも、最近はここを歩くことはなく、昔はそうだったといった程度のことではないだろうか。むしろ、問題なく歩ける沢だから、取りあえずはこのまま沢を歩いた方がいいだろう。
上流に行くにつれ、沢が二つ、三つと分岐する。ここまで、右岸尾根を眺めながら、それに沿って歩いていたので問題はなかったが、悩むところも出てくる。地図には事前にマーカーを記していたが、水流線はすでに消えている場所になっているし、机上プランがそのまま現実にあてはまるわけでもない。分岐では、できるだけ水流の多いだろう本流を選ぶことにする。結局は右岸尾根の下の歩きになる。ただ、自分のいる位置が見当もつかず、仕方なく、時々はGPSを出しては地図と照合して、位置を確認した。
(ここからだったら、右岸尾根にはたやすく登れそうだ)

左の右岸尾根の高さが低くなってくる。上にはピンクのツツジもチラホラ見えている。沢はずっと殺風景で、色の付いているものは何もない。尾根の先の小ピークは1157m標高点だろうか。急斜面でもなく、5分もあれば尾根に出られそうだ。今倉沢を放棄するならここだろうが、今のところ、その気にはならない。とにかく、今日はこのまま今倉沢を遡上する。一応の今日のこだわりだ。
やがて、今度は右の左岸尾根の様子が気になってきた。次第になだらかな尾根が接するようになってきていた。悪天時に逃げこんだり、沢を放棄するならこちらだろう。巣神山と雨降沢の頭を結ぶ尾根に出られそうだ。
(赤矢印は工事関係のペイントだろう)

(「山火事注意」の標識。発行元は前橋営林局。ここから本流を高巻きになり離れていった)

左岸側に「山火事注意」の赤い標識が見えた。こういうところには踏み跡があるものだ。標識に近づくと、やはり、踏み跡が北東方面に続いていた。今朝のオッチャンが言っていた「途中から右」とはこれだろうか。辿ってみることにした。今倉沢からどんどん離れ、踏み跡は消え、ヤセた沢に出た。その沢を上がってみると、もうすぐそこに尾根がある。気持ち良さげな歩きを楽しめそうな尾根だ。このまま行ってしまおうかと誘惑にかられた。
(こんなところに出てしまい)

(割れたビンが散乱していた)

(本流に戻る)

(そして本流。随分と上がってしまっていた)

平らなところでちょっと休む。一服つける。ここは作業小屋でもあったのか、おびただしいくらいのビンが散乱していた。何十年も前のものだろう。
気を取り直して、今倉沢に戻ることにした。北西方向に歩けば、今倉沢に出るだろう。シカが食べ尽くしてくれているおかげで、ササは低く、快適とまではいかないが、苦労せずに今倉沢に下りられた。ここで知ったこと。雨降沢の頭に出るには、右に行ってはダメなのである。
(名付けて「今倉沢大滝」笑)

なおも遡上する。この沢唯一と思われる7m程の小滝を見た。さながら今倉沢大滝か。左から巻く。
もう踏み跡は完全に消えた。というか、シカ道なのか踏み跡なのか判断のつかないものがところどころに目に入る程度になった。ササが次第に深くなり、また沢に戻る。その沢もまた幅が狭くなって、一旦消えて、再び復活した。
(次第に静かになって、というよりも、元々静かな沢なのである)

(こんなのが視界に入り込んだ)

(中を覗く)

ヤブの中に石垣が現れ、その先を見ると、廃屋があった。秘密の隠れ家を見つけたような気分になった。これは山仕事の倉庫にでも使っていたのであろうか。トタン張りの周囲だけがかろうじて残り、屋根は落ち、中は屋根を支えた鉄筋が暴れていた。これでは雨よけにもなるまい。周囲にはビンやドラム缶が散乱している。もしくは飯場跡だろうか。思うに、「沢沿いの道」というのは、ここに至るための作業道であったのではないだろうか。しかし、こんなところでこんなもの。荒れ果ててはいてもほっとする。
(沢はしつこく続き、また分岐する)

沢がまた三分する。右沢に水がなく、左は尾根に沿っている。尾根とはいっても、すでに標高は1400m近くなっているから、今倉沢右岸尾根はすでに離れ去り、別の小尾根が近づいている。尾根の先を地図で確認すると、この小尾根は、ピークの東寄りに乗り上げているようだ。ここは真ん中の沢を選択する。
ダラダラ登りになっている意識が出てくる。今日は暑い。風はない。身体は汗でべったりだ。こんなところにもゴミがある。
沢の分岐はまだ続く。水は少ないながらもだらだらと続いている。はるか先に空が切れているのが見えてきた。ようやく終盤になってきたか。ここまで来れば、自分の位置も地図だけでつかめるようになった。事前マーカーどおりに歩いているようだ。
(ようやく沢が消えかかる)

(見下ろす)

(こんなのが卒倒していた)

(ササヤブの中のシカ道)

やがて沢は溝になり、水は消え、ぬかるみになった。ヤブに逃げると、シカ道が現れた。これを辿る。ササのヤブはうるさく、枯れたスズタケも混じる。ようやく、ぽっかりと見えている鞍部が近づいてきた。そして、予定していたスポットにどんぴしゃで到着した。ここまで右に曲がることはなく、沢伝いに直進、直進で登ってきた。今倉沢は沢靴も不要なおとなしい沢だった。
(小法師岳と雨降沢の頭との鞍部に着いた)

(方面)

残雪がところどころにある。しばらく休憩。さて、予定ではここから先ずはなのだが、行くのが億劫になった。雪があったとて、歩行にじゃまになるわけでもないから、やめる理由にもならない。一応、山名板の有無を確認しておきたかった。足尾のRRさん情報によれば、の山名板が消えているらしい。一昨年の11月に来た際には都合5枚もあった。だからどうなのだということではない。に関しては、おこがましくて板の製作にしゃしゃり出るつもりはない。ただ、行くのが億劫なだけのこと。結局、いずれ餅ヶ瀬林道の先の崩壊地寄りから登ってみたいと思ってもいるし、その時に通るだろうから今回はいいかで済ませた。
(雨降沢の頭に向かう)

(雨降沢の頭)

(折れた標識。いずれ半分欠けるなぁ)

雨降沢の頭に向かう。すぐそこだ。ササヤブが濃くなったような気がする。踏み跡も定かでなくなっている。雨降沢の頭に到着。ここには以前、手書きの「雨降沢の頭」のプレートがあった。今はなくなっているし、「←小法師岳へ 原向駅へ→」は真ん中で折れていた。しばらく休憩し、パンを食べる。
(小法師岳。行けばよかったかなぁ)

(巣神山へ)

(こちら側を通って)

(ここが好きなんですよ)

(ひっそりと)

巣神山に向けて下る。ここは、ヤブの間に上からは見えない踏み跡が続いているが、歩きづらく、ヤブの少ない右の林に逃げて歩く。1425mへの登り返しはつらかったが、着くと、ようやくツツジを見ることができた。だが、ツツジの名所と呼ぶには程遠く、チラホラ程度である。袈裟丸は来週あたり賑やかだろうな。
ここから巣神山までの道のりをダラダラと記してもしょうがないだろう。陽春の中の歩きを楽しんだが、えらく長く感じて巣神山に着いた。
(巣神山山頂。あったのは、テープの破片がいくつかだけ)

巣神山の山名板は消えていた。最近は昨年の1月に来ていたが、その時は3枚あった。1枚も残さずにとは何とも徹底している。巣神山に関しては、風で飛ばされるということはないだろう。腹立たしいのか、もしくは山名板集めが趣味なのか。にぎやかなテープ、消えていく山名板、他の山塊の事情は知らないが、足尾の山に関してはおかしな現象が起きていることは確かだ。何もないこと、何かあることにそれぞれ憤まんやるかたない思いをするハイカーがいるのだろう。
さて、巣神山からは唐風呂林道に下る。迷わず、畑の沢大滝を見物するつもりでいる。
(ここは初めて歩く。わずかな時間だが、ここは雰囲気がいい)

いつもなら尾根を東にしばらく歩き、危ういロープ場の先で林道に下り立つが、途中から、右手に見える小尾根を下ってみた。すんなりと林道に下りられた。これが一番楽なルートかもしれない。これまで、ここを通ったことはなかった。
(林道の落石。こんなのが3か所)

林道の落石が目立った。立ち塞いでいる大きなものもある。雪田爺さん氏の記事では、他県ナンバーの車が上がって行ったと記されていたが、その時は、こんな落石もあったのだろうか。
地図を見ながら歩いた。この辺が本流だろうと思ったあたりで、沢の音が聞こえてきた。ちょっと先に行くと、かなり下に滝らしいものが見えた。あれが「畑の沢の大滝」だろう。しかし、ここを下るとなると、かなり無理なものがある。急斜面で、立木は少ない。さらに下は谷底といった感じになっている。つまり危険ということ。今日はロープもストックも持参していない。周辺をうろうろしたが、踏み跡のようなものは目につかなかった。断念。いずれ、下から歩いてみることにしよう。しかし、雪田爺さん氏、こんなところをよく下れたものだ。下るはいいが、林道まで引き返すのもまた大変そうだった。
(999m標高点。工事の際、駐車場にも使われていたのだろう)

(二子山。あそこにもご機嫌伺いに行かないと)

このまま林道歩きというわけにもいかず、左に曲がって999m標高点に出てみた。地図では、ここから南に下って餅ヶ瀬に出られそうな小尾根がある。これだろうと覗き込む。なだらかな尾根が見えた。さてどうするか。下ってみてもいいが、先がどうなっているのかわからない。この期に及んで危なっかしいことをしない方がいいんじゃないかと林道に戻る。
今倉沢右岸尾根末端にさしかかる。確か瀑泉さんは、自分とは違って、突端をこちらに回り込んでから取り付いたようだったけど…。安全にたやすく登れそうなところはなかった。自分の取り付いたところとさして変わりはないのではないのか。
(大山祇神碑を後ろから)

(墓だと思うが)

(他人様の庭の花を眺め)

(駐車地に着いた)

途中から山道に入り、大山祇神碑の前に出る。その先は踏み跡を辿る。林の中だ。踏み跡は消えた。墓らしき苔むした石碑が一基。ここは集落の墓地だったのだろうか。
民家の脇を通って餅ヶ瀬林道に出た。ここから駐車地までは数分の距離だ。上から下に来るにつれ、気温もどんどん上がり、今日は珍しく着替えを持ってこなかったことが悔やまれた。車内は暑く、エアコンをつけっ放しでしばらく休んだ。身体がベトベトで不快。
122号線に出ると、憲法九条の看板を掲げる角の家がなくなっていることに気付いた。更地になっていた。あの家の裏には、トンネル脇の石碑群の延長で、石碑でもあるのではと思っていたが、これまでは覗きに行くこともできなかった。今度、ついでの時にでも見てこよう。
足尾トンネルにさしかかる。入口手前、あれっ、ウワサで聞いたことのある車があった。トンネルを出てから、Uターンしてナンバーだけでも確認しておこうかと思ったが、そこまでの好奇心はやめておこう。あんなところに車を置くとは…。しかもウワサで聞く車だ。色はグレー系。後で知った。やはり瀑泉さんであった。あの場所からして二子山か。まさか、ついでに下の楽園でワラビ採りまではしなかったろう。「二子山あたりの山菜も放射能で食えないよ」と今朝のオッチャンは話していたが。
※本記事にいただいた雪田爺さん氏のコメントが気になり、岡田氏の『足尾山塊の沢』を改めて読んでみると、確かに雨降沢のことが記されていた。ついでに餅ヶ瀬川コーナーを見てみると、今倉沢のことが記されていた。32年前に岡田氏はこの沢を歩かれていたようだ。
遡行図を見ると、「廃屋」が記され、その手前に6m滝がある(本ブログでは7m小滝としてある)。そして、その手前に8m滝があった。おそらく、自分が右に入り込んで、結局、巻いた形になった部分にある滝だったろう。せめて、この滝を見ておいた方がよかったかもしれない。
岡田氏はこの沢を謙虚にも「2級」とされているが、よほど水量の多い時に歩かれたのではないだろうか。1級どころか初級クラスにも至らないのではないだろうか。
余談だが、その頃の昭和58年には、唐風呂林道も開通していなかったようだ。
深呼吸もしないで歩いたとなると相当息苦しい歩きだったでしょう(笑)
おとなしい沢のようですからその水量の少なさも影響しているのでしょうね。
その沢をバシャバシャと歩いたのですから・・後にしっかり洗い流しましたか?
瀑泉さん、トンネル脇にいたのですね~
放射線なんか目に見えるものではないし、いつもと変わらぬ光景にしか映りません。
畑の作物が食えなくてとおっしゃっていましたねぇ。いまだに禁漁であることからしても、かなり流れ込んだということでしょうが、何で足尾の一角なのでしょうか。不思議です。
深呼吸はしませんでしたが、かなり小出しで呼吸し続けましたから、結局は空気を吸った量は多かったかも知れません。
長靴は、気づきませんでした。泥もあまりつかなかったので、そのままほったらかしです。長靴も被爆してんですかね。
瀑泉さんのお車、見た瞬間、まさか瀑泉さんのお車ではないだろうなと思ったのですが、でんさん記事のコメントで確証を得た次第ですよ。あんなところに車をとめておくのは、限られた方しかいませんからね。
雨降沢は岡田氏の記録にあり、庚申川出合に7m滝がある程度でその上は小法師尾根まで大した事はない様です.
畑の沢大滝へは、林道が横断する辺りから下りると気分良く楽に下りられます.
あそこの急斜面、それを知らずに下りてしまいましたが、スパイク付きだったから何とかでした(笑)
2例目ですか。思うに、沢屋さんあたりは、こんな沢を遡行したのを記録出しするのはみっともないというか、沽券に関わるといったお立場で、実際は、隠れ遡行もかなりいるのではないでしょうかね。
私のような素人ですら、おとなしすぎると感じるくらいでしたから。
小奇麗な滝とは、名づけて大滝のことですかね。しかしながらアレだけでしたよ。
雨降沢の記録、岡田氏ノートにありましたか。改めて読んでみます。それにしても、さすが雪田爺さん、よく研究なさっている。感心いたします。
畑の沢大滝、その林道横断あたりから眺めて、無理と判断した次第でして、もういいですよ。どうせ、私は下から地道に上がっていきますから。
今倉沢の上流は,こんな感じでしたか。水量がソコソコあるので少々,期待しておりましたが,まぁ,良いかなぁ・・・此処は雪田爺様にお任せするとして,自分は畑の沢大滝で我慢しましょう(笑)。
時間を見ると,自分より5・6分早く餅ヶ瀬林道に入られたみたいで。朝,日光宇都宮道のトイレに寄っていなければお会いできたかもと思うと,チョット残念。
今倉沢右岸尾根の取り付きは,末端まで回り込んでいませんヨ。末端のやや手前です。
ところで,今度,二子山に行かれる時,台石山の山名板を作っていただけませんかネ。あそこ,今もって例の赤テープの巻かれた板っぱちしか無いから,なんとも寂しいんですよネェ。。。
瀑泉さんに山名板の製作を依頼されたのはこれで2例目ですね。小袈裟山は日の目を見ないで消滅してしまいましたが。
「赤倉山」は作ったのですがね。いつ行くことになるのか、今もって予定なしです。在庫入れです。
台石山は画数も少なくて簡単そうですね。一応、考えておきましょう。
実は、瀑泉さんとは反対側から運転してきたのですが、122号線沿いに「丸美屋自販機コーナー」という有名なスポットがありまして、あそこに寄るつもりでいたのですが、商品入れ替えをやっていて、使えなかったのですよ。寄っていたら、バッティングだったかもですね。
今倉沢の件、瀑泉さんは、やはり沢屋さん寄りのお立場ではないでしょうか。だとすれば、やはり物足りないものです。でも、私のような尾根中心にとっては、それなりにいつもと違う変化があって、むしろ楽しいものでしたよ。
何せ、記録がないところの歩きというのが魅力でもありました。
これは、私向きのルートと思っていいのでしょうか?
であれば是非辿ってみたいものです。小法師尾根は、全く経験がないのですが。
最近、歩いた仏の山峠の両サイドも空き缶だらけでしたよね。なぜか、オロCとサイダーの空き缶が目立っていたような気がしました。
ぶなじろうさんのお好みかどうかは難しいところです。
極めて足尾的で、秩父的な感じはいたしません。
むしろ、昨日の畑の沢の方が、秩父の雰囲気に似たところがあります。
両方の沢ともに、沢歩きという観点に立てば邪道で、つまりは、お薦めということにはなりましょう。
たまたま長靴で歩きはしましたが、普通のトレッキングシューズでも水をかぶることはありません。
ぶなじろうさん、小法師尾根は未経験でしたか。巣神山との一般的なピストンルートに比べれば、こんなところを歩くのがおもしろいには決まっていますね。少なくとも自分には。
足尾の山の場合、山の作業の方々よりも、ハンターや釣り人のマナーが悪いのではとつい思ってしまいます。こんなところに人は入らないといった思いから平気でやるといったところではないでしょうか。