3月下旬、
まるで、猫を拾ったきっかけみたいに、
カメラが替わった。
おはようございます。
我が家じゃ飼ってやれないから、実家へ連れて行くと、
テーブルの上にちょうどカメラが飾ってあったから、
私は咄嗟に、そのカメラで拾った猫を撮った。
そのまま、父は私にそのカメラを譲った。
カメラを買うことが趣味な父だけあって、小さなカメラながらも高性能だ。
父が撮った猫の顔も私の顔も、見事に歪んでいた。
長い間、野良暮らしをした猫は、事故か虐待か知らないが、
右目が潰れ、顔が歪むほどの酷い目にあったのだろう。
私の顔は、若い頃から顔面神経麻痺を拗らせて麻痺が残ってしまった。
そのせいで、顔が歪んでいる。
顔が歪んだからとて、生きるに困ることは無い。
ストローで上手く吸えないとか、麺がすすれないとか、口笛が吹けない程度のことだ。
自分の顔を撮られるが嫌だと思うのは、私の心の問題であって、生きるに困る訳じゃない。
自分で自分を、少々生き辛くさせているだけのことだ。
私のそんな歪んだ思いなど知らない父は、
私と猫を何枚も写真に収めてから、私にカメラを譲った。
「俺は、もう撮るもの無いから要らん。」
父は、そう呟いた。
けれど、カメラに残されていたデータは、
すべて実家の中か、ベランダから撮られた写真だ。
年老いたせいで外出しなくなったから、という訳ではないだろう。
私は、
「ベランダからカメラを構えれば、今だって夕焼けは撮れる。
これからは、猫だって、いつでも撮れるじゃない?」
と伝えようとしたが、言えなくなった。
カメラの液晶画面に、次々と写り出される画像をコマ送りのように観ていたら、
そんなことが言えなくなったのだ。
母さんが毛糸で編んだクッションやマット、コースター。
今より、うんと子供っぽく笑う姪っ子達。
そのまた次は、母さんが編んだ、猫ベッド。
その合間に、夕焼けや虹。
父さんが残した画像は、どれも色鮮やかなのに、
母さんが編んだマットは、今じゃすっかり色褪せてくすんでいる。
老い痴れた母さんは、もう編み物は出来ない。
弾ける笑顔の姪っ子達は、もしかすると、
もう一生ここ(実家)へ来ないかもしれない。
その原因を作ったのは、父さんだ。
母さんの認知症が進行するにつれ、
父の酒癖は、母と歩幅を合わせるように酷くなっていった。
ついには、姉の家にまで電話を掛けて、暴言を吐くようになった。
電話の相手が姉だろうが、姪達であろうが、酷いことを言った。
そのせいで、姪達は遊びに来るどころか、もう電話にさえ出ない。
それは当然のことだ。
だから、もう撮るものが無い。
私とチャー坊じゃ、シャッターを切る気にはならないのだろう。
嫁ぎ先から、顔を歪めて戻ってきた私を見て、
嫁ぎ先に殴り込みに行くと涙ながらに激しく怒った父を私は知っている。
チャー坊に、毎日のように、
「もう大丈夫だ。ここは誰もお前を虐めたりせんからな。」
と語り掛けていることも、私は知っている。
父が、私とチャー坊を撮る気になれない優しさを知っている。
だから私は、父の胸にある、
沢山のどうしようもない切なさを、もっと知りたいと思っている。
『2018年、ベランダからの夕焼け』
『2019年、かずこが編んだ帽子』
おぉぉ、可愛いのんも残ってるぞ
たれ蔵、ジジババ保育園時代
しおちゃんと、のん太(あの頃はからし)