子供の頃の経験は、
深く深く刻み込まれている。
おはようございます。
9月がやって来た。
いつでもマイペースで穏やかだった、よね。
私は、よねを見るたび、羨ましかった。
「よねさんは、気楽に生きてるな~」ってとこが羨ましかったのだ。
よねにしたら、気楽じゃなかったのかもしれないが、
そう見える猫だった。
長い闘病期間においても、よねは気楽に見えた。
笑っちゃうくらい気楽に見えていたから、
私も闘病していることをうっかり忘れていた。
それに比べて、私はいまだに抜けない。
8月31日という地獄の日を必死で過ごし、
9月1日の朝は毎年、「もう死んでやろうか?!」と企んでいた。
何のことかと言えば、夏休みの宿題です。
6・3・3で12年。
私は自慢じゃないが、この12回やってきたチャンスを、
1度たりとも成功させたことが無いのだ。
宿題を前もって計画的に終わらせたことが1度もない。
毎回、地獄の31日に泣きながら徹夜でやっつけた。
もはや、地獄に馴れるということに成功した。
それでも今だに、9月が近づいてくると、無性に憂鬱になる。
夏休みのトラウマだ。
そんな恐ろしいトラウマを毎年、乗り越えている。
夏休みの宿題は、私にそういう我慢強さを与えてくれた。
ありがとう、夏休みの宿題。
なんですか?
感謝の矛先、ズレてますか?
ねえ、たれちゃん?
君も、それは・・・我慢してるのかい?
たれ蔵「母ちゃんが撫ぜてるから、ぼくは、ぼくは・・・」
なんか、我慢してるっぽい顔してない?
たれ蔵「ぼくは・・・ぼくは・・・」
なんか、ごめん。