愛知も、
いよいよ寒くなってきた。
おはようございます。
風が冷たい。
そして、吹き荒れる風みたいに、最近のかずこは荒れている。
昨日だけでも、職場にいる私のスマホに10回の着信があった。
8回は、かずこで、2回は、父さん。
何が何だか分からないが、怒り狂ったかずこからの電話と、
それをどうにかしてくれと訴える父さんからの電話だ。
私は、どっちからの電話にも、
「ああ、もう死んでくれ。」
と呟きそうになった。
夕方、急いで実家へ向かってみれば、
かずこは、いつでも家出してやると言わんばかりに、
カツラを被り、時計をして、
キラキラでピラピラの半袖のブラウスを着て、
ベッドで眠っていた。
「家出というより、パーティー衣装だな。」
父さんは、
「俺がちょっと注意したくらいで、すぐ怒る。
まったく、どうしようもねぇババァだ。」
と言うが、父さんのちょっとは、相当にくどい。
幾度となく、直角に上から振り落とされる𠮟責と嫌味は
「嫌な奴世界選手権があったら、父さん準優勝できると思う。
言っとくけど、その嫌味、これで4回目だからね。」
と、ツッコまなければ止まらないレベルだ。
私がボケてなくて幸いだ。
父さん譲りのねちっこい嫌味で応戦ができるから。
上から振り落とす父と、下から足を掬う娘の口喧嘩は、
ある意味、面白い。
私は内心、いい線いってるとさえ思っているが、
そういうことが出来ないかずこへの攻撃はフェアじゃない。
だからといって、かずこの味方にもなる気にならない。
かずこはかずこで、独自の世界観から発する我儘が過ぎる。
ボケる前から、そういう人だ。
結局、ボケたババァも頑固なジジィも勝手なものだ。
そして、私もだ。
今年は、チャー坊との出会いと別れがあり、その次に、たれ蔵と別れた。
彼らの闘病中、父さんとかずこは、
だからって、私に気を遣って静かにしていてくれた訳など無い。
相変わらず、騒がしい老夫婦だった・・・
と思う。
そうだ、老夫婦のことなんて覚えちゃいない。
そんなの気にも留めず、ひたすらチャー坊とたれ蔵を見ていたからだ。
それが今、暇になって改めて、このどうしようもない老夫婦にストレスを感じている。
変わっているのは、老夫婦じゃなく、私だ。
実に勝手なストレスだ。
「ふふふ、あたしバッカみたい!」
吹き出した私に、
「はっ?」という顔をした父さんに不敵な笑みを送り、
私は居眠りしている、かずこを起こした。
「かーずこさん、起きて。家出せんのかー?
パーティーにでも行くかー?その服、どこで買ったの?」
すると、かずこさんは
「あっははははー」と笑いながら起き上がる。
「ああ、もう死んでくれ」
なんて言わなくてよかったと、その時、私は安堵した。
今年、私は当たり前で今更なことを学んだ。
どんなあなたであっても、私は、あなたを愛せるか?
私は今年、この問いを何度も繰り返した。
チャー坊にも、たれ蔵にも、かずこにも、あらゆる場面でもだ。
答えは、2択。イエスかノーだ。
キッカケはチャー坊と出会ったことだ。
私は、ノーと答えたかった。
あんな猫と関わって、苦しまない訳ない。
いやだ。絶対いやだと思っても、ノーは言えなかった。
「ノーと言えないんなら、徹底的にやるしかないじゃん?」
これは、紛れもない愛なのだから、仕方ない。
愛は、一瞬の衝動だ。
いやだと頭で考えても、突き上げる衝動は私の価値観や概念を吹っ飛ばす。
私にとって、
抗う事の出来ない、唯一信じているものが、一瞬の衝動なのだ。
どんなあなたであっても、私はあなたを愛せるか。
イエス以外は、適当でいい。イエスだけを信じる。
衝動的に、「ああ、もうイエスだ!」と言わざるを得ないのならば、
その衝動に、迷わず従っていればいい。
そうすれば、幸か不幸か選べなくとも、私の世界は変わる。
そして、幸か不幸かも、自分で勝手に決めてるんだ。
ああ、あたしバッカみたい!
さて、我が家のお婆さんは?
あや「ああ、きついわ。この体勢きついの。」
じゃ、やめればいいのではないか?
あや「いやだわ。あたし、こうしていたいんだもん。でもきつい。」
ふふふ、あんた、ばっかかっわいいなぁおい!