ぷんの助を応援して下さる皆様、
誠にありがとうございました。
実は今、ぷんの助、通称ぷっちゃんは我が家にはいません。
以降の記述は、大変長いのですみません。
おはようございます。
ぷっちゃんを捕まえる一週間前、
ぷっちゃん達がガツガツと餌を食べている間、
それを少し離れた場所から見守るママちゃんに話しをした。
「この子達を、私に任せて欲しい。
全頭じゃなくていい。せめて弱っている子だけでも。」
ボランティア団体のSさんは、ママちゃんの子を全頭保護したい意向だった。
「時期を見て、全頭保護したいので、今はそっと見守りつつ様子を教えてください。」
とのことだった。
そもそも、弊社の付近でいたずらに餌をばらまいていた人間のせいで、
野良猫が増えたという苦情に対し、Sさんは以前から尽力していた。
当時、私はSさんの活動を知らず、
増えた野良猫の子猫を保護し続けていた。
おたまに始まり、まこ、オセロ3姉弟、たれ蔵、調味料6だ。
実は保護を諦めてしまった猫も数匹居る。
そんな中、ついに、
チャー坊を保護したことで、Sさんの所属するボランティア団体を知る事となった。
「チャー坊ちゃんを去勢した後、リリースするのは苦渋の選択でした。
子猫を保護するだけで精一杯でした。
本当に良かった。ありがとうございます。」
ハンディがあり、なんとなくエイズっぽい成猫を保護するのは難しいことだ。
当時のチャー坊は、見るからに、なんとなくエイズっぽい症状のある猫だった。
「あの時は、チャー坊ちゃんを含め20頭ほどTNRしました。
子猫は当団体で6匹を保護しました。
その中に、捕獲したのに避妊せずリリースした子がいます。
ママちゃんと呼んでいる子ですが、お産後だと分かり、すぐにリリースしたんです。」
お産後に避妊手術をしてしまうと、母乳が出なくなる。
そうなれば、ママちゃんの子猫らは、見つけられない限り、その命は絶望的だ。
挙句に、
「そのせいで、ママちゃんの警戒心はさらに強くなってしまい、
捕獲が難しくなってしまいました。
他の避妊去勢した子達も、みんな姿を消してしまったんです。
餌をあげていた人には、引き続きお願いしますと伝えたんですが、
餌やりをやめてしまったことで、皆、どこかへ行ってしまった。
ママちゃんも、ママちゃんと仲が良かったチャー坊ちゃんも
行方を探していたんです。」
そのおかげで、チャー坊は弊社にママちゃんと現れるようになったという訳だ。
Sさんから、この話を聞いて以来、
私はママちゃんの存在を強く意識するようになった。
もはや、ママちゃんの追っかけだ。
Sさんも、ママちゃんへの強い責任を感じていた。
だからせめて、ママちゃんの産んだ子は保護したいと考えているのだろう。
餌にガツガツ食いつく子猫らを見るママちゃんの顔は、
見たこともない程に安らかだった。
だから私は、落ち着いてママちゃんに話しを聞いてもらえた。
その時、ママちゃんはゆっくりと何度も瞬きを送って来た。
アイコンタクトだ。
そんな目を私に送ったのは、これが初めてだった。
何かある。何か意味がある。
私はそう確信した。
だから私は、次の日の朝、洗濯ネット持参で出社した。
子猫を捕獲しよう。迷いはなかった。
しかし、Sさんの意向とは少し違っていた。
私は、一気に全頭を捕獲するのは避けたいと考えていたのだ。
突然、全ての子を取り上げられたら、ママちゃんはどうなるんだ?
どう思う?そんな辛い事ってあるだろうか?
捕獲できそうな子猫は、目星がついているんだ。
ママちゃんにショックを与えないよう、少しずつ捕獲していきたい。
そのためには、自分が動かないといけないと覚悟した。
ところが、その朝、子猫の姿は消えていた。
「しまった。下手こいた。私、間違えてしまった。」
私は狼狽えた。
自分の考え違いに気付いたが、どこが間違えなのかははっきりと分からないまま、
闇雲に町内を歩き捜索する羽目となった。
ただ、私はママちゃんに対してもSさんに対してもどう考え違いをしていたか、
もう少し後にハッキリと分かる事となる。
当のママちゃんは、私に見つかるような安易な場所に子猫らを隠すわけがなく、
消息はぱったり途絶えた。
そして一週間後、いい感じに足が棒になった月曜日、
車庫に子猫が戻っていた。
しかも、目星をつけていた子猫がシートの上に座っている。
私はまるで導かれるように、もはや無意識レベルで、子猫を摘まんで抱き上げた。
それがぷっちゃんだ。
私は息を吹き返した。
棒になった足で、ヨレヨレと小躍りだ。
しかし、家に迎え入れたぷっちゃんは、いつまでも泣き止まない。
どんなに撫ぜてやっても、徹夜で寄り添ってやっても、
泣き止むどころか、下痢まで始まった。
私は、小さなぷっちゃんの大きすぎる悲しみに押し潰されそうになった。
「Sさん、ぷっちゃんのギャン泣きが治まりません。
下痢までしちゃって、なのに留守番は長い時間させないといけないし、
可哀そうで申し訳なくて・・・。」
私は、勝手にスタンドプレーしたくせに、Sさんに泣きついた。
それなのに、Sさんは、
「おかっぱさん、大丈夫ですよ。
無理なようなら、いつでもこちらで引き受けます。」
と言う。
けれど私は、素直にお願いしますとは言えなかった。
意地張っちゃいけない。
ぷっちゃんが一番いい方法を考えなきゃいけない。
そう考えながら、実は意地だった。
気付かぬうちに、私は意地になっていた。
ママちゃんとの約束、Sさんへの裏切りとも言える勝手な行動、
親や兄妹から引き離したぷっちゃんへの罪悪感で、
身も心も、頑なに力んでいた。
ママちゃんを見かけるたび、私は遠くのママちゃんにまで
縋りつくように謝っていた。
「ごめん、ママちゃん。
あたしが浅はかだった。本当にごめん。」
そして、
ぷっちゃんに付き添い眠らない夜を三日過ごした、次の朝のことだ。
ぷっちゃんを保護した日以来、実はまた、子猫らは姿を消していた。
ところが、一応、車庫の奥を確認してみると、
丸めて置かれていたシートがゴソゴソとうごめく。
「えっ?!」
どう考えても、それは子猫だった。
シートから取り出された子猫を見て、私は思わず、
「げっ!」
と声をあげた。
「ママちゃんにそっくり!」
シャーシャー言う子を見て、まるでママちゃんに叱られた気がした。
「スットコ女、早くぷっちゃんとこ連れてけ!」
と言わんばかりだった。
私は夕方、サイコパス先生に、
「おかっぱさん、なんか最近やたら、よく会うね。」
と笑われながら白黒ちゃんのメディカルチェックを終え、
我が家へ連れて行った。
すると、どうだろう。
ぷっちゃんは大喜びだ。
こんなに嬉しそうな顔するの?ってくらいの顔だ。
しかし、私はSさんに連絡をした。
「白黒ちゃんを保護できました。
2匹一緒に、Sさんの所でお願いできないでしょうか?
勝手言って、本当にごめんなさい。」
ぷっちゃんだけでも、本当は我が家じゃない方がいい。
母の介護にも携わっている今、
ちゃんと考えてみれば、私にできることはそんなに多くないんだ。
留守がちの中、子猫の世話をしながら先住達との引き合わせをしたり、
その後は里親募集となれば、最低でも1か月はかかるだろう。
その間、子猫にもあや達にも、大きなストレスを与えることになる。
そのケアさえままならない。
私は、白黒ちゃんが来てくれたことで、
今の自分の無力さをはっきりと思い知れた。
そして、張っていた下らない意地の皮が剥がれた。
Sさんからの返事は、
「おかっぱさん、やりましたね~2匹目、ありがとうございます。
兄妹一緒だと、とってもお世話がしやすくなります。
心が安定してくれるから、人や環境にも早く慣れてくれると思います。
もちろん、こちらでお世話させてもらます。」
ということだった。
Sさんが、全頭保護したいと考えたのは、そういうことだったのかと
その時、深く納得できた。
そしてSさんは、こう続けた。
「私個人としては、全頭というのは、
実は難しいだろうと思っていたし、辛いなとも思っていました。
残りの子は、救えないかもしれない。
私も、無力です。
でもこうして、明日は死んでしまうかもしれない子が保護できて、
繋げて下さって、本当にありがとうございます。
おかっぱさんの思いは、充分に伝わっています。
おかっぱさん、一人で抱えないでください。
皆で繋げて行きましょう。
これは団体の代表に私が言われた言葉です。
おかっぱさんにもこの言葉をお伝えします。
ぷっちゃん達は幸せへと繋げます、必ず。」
そういう訳で、
ぷっちゃんは白黒ちゃんと共に、
『馴らしのプロ』の元へ引き継がれていった。
ぷっちゃん、白黒ちゃん、良かったね。幸せになるんだよ。
今回のことで、私は多くのことを学んだ。
これは当たり前のことではなく、
超スーパーラッキーだということも、肝に銘じておかなくてはならない。
そして、
全てハッピーエンドではない。
これが正解でもない。
そもそも、正解なんて誰にも決められないと思う。
これで終わりじゃない。
ママちゃんや、残す子猫ら、そしてその未来がある。
己の無力さを知った今でも、
それでも私に何ができるのか、考え続けて行こうと思う。
最後に、もはや恒例ともいうべき、
私の保護猫のお部屋DIYをご紹介しておきます。
出入口のガムテ
逃走防止のガムテ
目隠しに、バスタオルをしょぼんと掛けてみた。
そして、
危うすぎる、ガムテ!
今日は、この張り巡らされたガムテを頑張って剥がします。