母の日が近いとは知っていたが、
そうか、今日だったか。
おはようございます。
母さんには、もうプレゼントを贈ってある。
空気清浄機能付き灰皿だ。
なんか、すごいでしょ?
もしかすると、灰皿の方ではなく、喫煙に驚く人が多いかもしれない。
80を超える老人が喫煙者だと聞けば、顔を歪める人も
この時代には少なくはないだろう。
どうでもいいんだ、そんな事。
今さら、人の目なんて、どうでもいい。
母さんは、昔からファンキーでアナーキーな女だった。
娘の授業参観だと聞けば、咥えたばこのまま、
「ちっ!面倒くさい」と悪態をつきながらも、
まるで自分の独り舞台かのごとく、
どのお母さんよりも洒落込んでやってきたもんだ。
ヒョウ柄のトップスにラメ入りの上着、黒のスラックスにヒール。
髪は、これは普段通りなのだが、美容院でばっちりセットしていた。
ブルーのアイシャドーに強めのアイライン、極めつけに真っ赤な口紅。
指には、メリケンサックのような指輪が光っていた。
母さんが教室に登場する時の挿入歌は、
極道映画の、あのチャララーがぴったりだ。
調べてみたら、「仁義なき戦いのテーマ」という曲名だそうだ。
クラス内は決まって騒然とした。
「おい、おかっぱの母ちゃんが来たぞ」
「ねぇねぇ、あれ、おかっぱのお母さんなの?」
「うっわ、おかっぱの母ちゃん、すげぇ」
こんな事、私は小4の頃には、すっかり慣れていた。
放課後になれば、
寄り道をしてはいけませんっと学校で教えられているのに、
母さんは私の友達も一緒に車に押し込んで、ラーメンを食べに連れて行った。
「いやいやいや、みんな家に帰って、夕飯食べれなくなるから」
私が制したって、母さんはお構いなしだ。
「パチンコでどえらい勝ってよぉ。ご馳走したる」と上機嫌だ。
品の良いご家庭のお嬢さんたちは、ドン引きで声も出せず怯えていた。
中学に入れば、
母さんは、学校イチ恐ろしい先生と酒場で飲んだくれて帰ってきた。
「おい、コバヤンってお前の部活の先生やろ?
どこが怖い先生なんや?あんなもん、ちっとも怖ないぞ」
これなら、まだいい。コバヤンは大人だから。
高校生の頃なんて、
偶然出くわした、学校帰りの私の友人をとっ捕まえて、
近所のスナックへ連れ込んだんだ、母さんったら。
父さんも、そこに待ち構えていた。
「唐揚げが美味しいからって唐揚げをご馳走になったよ」
後日、そう友人に聞かされた時は、さすがに土下座した。
確かに、あのスナックのママが揚げる唐揚げは絶品だったのだが、
だからいいという問題ではない。
友人は、
「家では、お手伝いするたび、お小遣いがもらえるの」
と言って、せっせとお手伝いに勤しんでいたが、
我が家は、家事全般、子供がやるのが当たり前だった。
掃除機をかける。
洗濯をする。
シンクに溜まった皿類を洗う。
お米を炊く。
靴下に穴が開いていたら、それも自分で繕う。
洗剤がなければAコープに買いに行かなければならないし、
もちろん、母さんが帰ってきて風呂が焚けてなかったら、
お小遣いがどうのこうのどころではない、半殺しの刑が待っていた。
やらなかった理由が宿題が多いからであっても、半殺しだ。
「お前、家の掃除もせんと、何しとるんや?
勉強はお前の勝手やろ?家の事するんは子供の義務や。
勉強したかったら、まず家の事をせんと半殺しや」
まさに、半分死ぬほど、ぶん殴られた。
掃除機をかけろ!と言われたことは何百回もあるが、
勉強をしろと言われたことは、一度もない。
本当に、一度もないんだ。
それでも、私と姉は、案外成績が良かったのが救いだ。
が、その成績を見せたところで、母さんは何の興味も示さない訳だ。
「そんなもん良くても、何の役に立つんや?
飯も自分で作れんかったら、成績なんて良くても生きてはいけんぞ」
そうやって優等生の私達をバカにしたが、母さんは言うほど、飯も作らなかった。
二日酔いで早起きして、不機嫌な母さんが作る、
姉の弁当は悲惨極まりなかった。
白飯と竹輪2~3本。
絶句した。
自分の弁当は自分で作ろうと心に固く誓ったものだ。
母さんの、こんなエピソードは山ほどある。
ほとんど悪口に等しい。
それもしょうがないじゃない?
母さんと付き合うのは、本当に大変だったんだから。
でも、母さんは必死に頑張ってきたんだと、今なら少しは分かる。
ただ、その必死の矛先が、めちゃくちゃズレていたってだけだ。
楽しかったよな、母さん。
こんなクレイジーな母さんと暮らして、
私は、楽しかった。
もう少しの間、楽しませてくれよな、母さん?
たれ蔵とカズコ
ありがとうは、言わないけどね。
わかる~。
あんなに休んだのに、休んだ記憶がないんです(笑)。
私ね、親に感謝するとか、そんな必要って
無いと思っているんです。
だって自分で決めて産んだんでしょう?
育てるのって、当たり前のことだと思うんですよね。
猫でさえ、拾えば育てるし、どうせなら
少しでもその子が幸せになるように育てるでしょう?
で、感謝してっと思うかといえば思わないですもんね。
酷い事されら、怒る!同然ですよね。
私も許せん事は、今も許してないんです。
ただ、今の母を今の自分で接する。
ある意味、割り切っているだけなんですよね。
義務ではなく、権利としてね(笑)。
昨夜から息子は「休んだ気がしねぇ~」って言っておりました( *´艸`)
毎年おかっぱさんの母への気持ちに、頭が下がります!
私は暗黒心しかなく、許すまでいけないのです。
甘やかされてる弟が居るからだと思います⬅️アル中の引きこもりやってました(*_*)
逆に、そうならないように早く自力して結婚して普通に暮らせる事に感謝しています\(^-^)/
まず言います。
いーきたーくねーよぉぉぉぉぉー!!
ご清聴ありがとうございます。
カズコさんは、嘘がないんだと思うんですね。
世の中って、うわっつら綺麗でしょう?
私もね、そこを上手に渡ろうとばっかりで、
嘘とつくというと聞こえが悪いけど、
ごまかしながら生きてきた気がする。
でもカズコさんは、そういう事ができない。
思ったことは、ストレートに言っちゃうし、
むき出しで、それはそれはみっともないんだけど(笑)、
大人になってから見返すと、まっすぐで正直で
ある意味純粋だなって凄いなって思うんですよね。
私、それ出来る?って考えると出来ないもん。
人間の嘘のない、むき出しな部分に触れるって、
実は貴重な経験だなって思います。
まあ、感謝はせんけどもね(笑笑)。
ままん、ありがとうございます。
まだまだ悩まされ・・・いや楽しませてもらうもんで
またオレの愚痴を聞いてやってくださいまし!(爆)
早出、お疲れ様です!
カズコの名言が、いつも迷言でね。
「わしは這い上がってきたもんしか、救ってやらん」という
名言もよく言ってたんだけど、這い上がってきたら
もう救いは要らんけどって思ったし(笑)。
うちも、姉のほうが断然恵まれてた。
でも姉なりに、やっぱり苦しんだ時期があるんですよね。
姉の場合は、特に大人になってから苦しんでいた気がします。
ほんと、solo_pinさんも、こうして生きてるって
それだけで自分を褒めていいと思う。
頑張ったもんね、私達。
solo_pinさんものおっしゃる通りで、
昔は情報がなくて、だから個人の本質が
試された事って多い気がします。
私は、母さんが認知症が進んできて、
それを見てて、考え方が変わったというか、
もういいかって思うようになったんです。
長い間、暗黒な思いを抱えてた(笑)。
私こそ、solo_pinさんの言葉に、勇気もらってます。
いつもありがとうございます。
届きました?良かった良かった。
いいよ、メールとかね気にせんでいいですからね。
そうそう、これはジジババ保育園のたれ蔵です。
ねえ、こんなにちっこかったんですね。
育ってしまうと、不思議と忘れちゃうんですよね。
あの子猫の感触を。
なんだか、お気遣いいただいちゃって、
恐縮ですが、うん、楽しみに待っておりますね~。
ありがとうございます。
おぉぉ、イケメン運転手で移動って、
もうすでに、あねさん感満載やないのー!(笑)。
そっか、金時豆さんのお母さんは、マダムを
貫いているんだね。
姿は違えど、家の事やらされたのは一緒やね。
そうそう、そこですよね。
まあ、母さんに感謝せんけども(笑)、
生活力というものは身に着くよね。うん。
それをカズコに言うと、
「ほれ、わしの育て方が正解やったやろ?」と
いい気になるから、言わないけどもね(笑)。
金時豆さんが働く中、休んでいたばっかりに、
今日ね、出勤。おれ、今日出勤。
恐縮ですが言わせてください。
行きたくねーよーーーーーー!!
よし、まずは実家のカズコの顔を見て、
出勤いたします。
張り切って参りましょうね~。
あたしも言わんだろうな。
やりたい放題のカズコさんのそれは
傍目に見ると「めちゃくちゃ面白い母」だけど
それが自分の母だと思うと絶句したくなるもんな。
けどね、思うのよ。
カズコさんの芯は、きっと立派なんだって。
そうじゃなかったら、
今のおかっぱさんが存在する訳はない。
なんだかんだ言ってもさ、
結局子供って、親の芯を知らず知らず見ていて
そしてそれを受け継ぐんじゃないかって
あたしは思うのよ。
芯がとっても美しいのだと思う。
でもまぁそんな結論が出るのは
子供が中年になる頃な訳で
ホント、長いこと大変だったね。
「もう少しの間、楽しませてくれよな、母さん?」
って言えるおかっぱさんに
あたしから言葉を贈ります。
母の日に、ありがとう、おかっぱさん(*^。^*)
>勉強はお前の勝手やろ?家の事するんは子供の義務や。
はははは!名言キタ!
いやーあたいは勉強しろしろ言われたタイプでして、
言葉と実際の暴力のダブルの世界でしたわー。
姉は成績悪くなく美人さんなので
可愛がられてはいたのですがね。
なんつーかね、当時の親たちって
そら情報も無い中で必死で自分なりに
育てたと思うです。
でもそれが、子供にどう影響したか、
それは子供が大人になるまで判らない。
うちらよう、生きて大人になったと思います。
おかぱちゃん、おかぱちゃんのお姉さん、
無事に、育ってくれて有難う🌸
おかぱちゃんの心の健全さが
今のあたいの心を救ってくれてます💛
感謝です(*´▽`*)
それにしても、凄いお母さまですね。
考えて見たら、わたしも「勉強しろ」と言われた記憶・・・・無いなぁ~
金時豆さん同様にわたしも「カズコさんの事をあねさん」とお呼びしたいと思います。
写真は「ジジババ保育園」?のものでしょうか。たれちゃんがちっちゃい。
で、わたしからの貢物はもう少々お時間下さい。
センス?が光るか、ドン引きか・・・・
おっ楽しみにぃ~
ただ今車移動中です😊年下イケメン運転手付きなんで〜後部座席でふんぞりかえってコメント書いてます😁✌️笑
(ジャンケンに負けた後輩に運転させてるだけ)
あたすは今日からカズコさんを、あねさん❗️と呼ばせて頂きます😁笑
しかし…凄いなぁ〜あたすのクラスには居なかったから〜何か憧れるわ😁あたすのクラスの母ちゃん連中は、巻き髪でブランド尽くめなのが多かったで。
授業参観はまるでファッションショー(ーー;)
んで、そんな母ちゃんは、自分の事には一生懸命だけど、子供の事はほったらかし、自分で弁当作れ、自分で洗濯しろ、アイロンかけろだったなぁ〜😅ま、そのお陰で❓色々出来るようになったんだけどね😅💦
そんな母ちゃんだから、あたいもブランドの服着せてもらえたわ😁笑
いまだに母ちゃんは高級思考だけどね😥
しかし、あねさんの斜め45度後ろ姿は、モデルみたいで格好いいど〜(^O^)