うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

数のマジック

2022年02月17日 | 日記

実家の母さんは、よく

「今、お前ん家、何匹おるんや?」と聞いてくる。

 

おはようございます。

毎日のように聞いてくるから、

私は雑に「4~5匹」とだけ答えているが、4匹ですやん?

これは、うんこが極楽へ行ったことが

いまだ受け入れられないという切ない事情から起こる現象でもない気がする。

 

何でもだが、個数が4以上になると、

とたんに数えづらくなることって、あるよね?

 

例えば、

「のど飴を2~3個ちょうだい」と言われると、

2個なの?3個なの?そこハッキリ教えて!と思うが、

4~5個と言われると、

その時の気分によって4個を渡したり5個を渡したりする。

5~6個に至っては、

数など数えず、手に持てた分を渡す。

その数が、4個であっても7個であっても、いいとさえ思える。

 

そんなわけで、

うちは今、4匹の猫が暮らしているが、

不意に頭数を聞かれると、

「えっとぉ、えっとぉ」と考えてしまう。

だからといって、彼らを忘れる訳はない。

 

忘れるほど、彼らは大人しくない!

特に、あやさんとか・・・・

 

多頭で暮らしていると、

人間との関わり方も、猫なりに工夫をする。

風呂に入っている間は、たれ蔵が風呂場で甘える時間となっているし、

そこから出れば、のん太が待ち構えている。

私はそのまま、素っ裸で、のん太との触れ合いをすることに決まっている。

私が決めた訳じゃない。

彼らがそう決めたらしい。

 

おたまは、規則性は無いが、

不意に

「おらを追い掛けてきて~」と鳴きながら、あっちへ走って行く。

ゆっくりゆっくり、振り向きながら走って行く。

恋する乙女のようだ。

追い掛けてやらないと、また繰り返すから、

私は努めて、追い掛けるようにしている。

 

そして、朝はあやの時間だ。

相変わらず、お転婆な恰好で抱っこされてる

 

あやさん、朝って忙しいのよ?

 

あや「朝はあたしの時間だから、忙しいってわけよ!」

まあ、そうとも言えるか?


我が家は、ビール記念日

2022年02月15日 | 日記

今日は、

お釈迦様が亡くなられた日らしい。

 

おはようございます。

正確には、旧暦2月15日なのだそうだが、

そんなニュースを聞きながら、カップを割った。

このカップ、15年くらい愛用していただろうか。

何を飲むにも、これ一個で乗り越えてきた。

お茶だって、水だって、酒だって!

 

せっかく、3号さんにビール頂いたのに。

こんな素敵なビールだ。

ちょっと、おたまさん?

ビールが見えないし、あやが睨んでるし・・・

 

はい、こんな感じで、ドリンクカバーも着いてるの。

可愛いですよね~。

おたまは、あやにパンチされてるの。

恐ろしいですよね~。

これなら、カップ要らずで、美味しく飲めるね。

警備隊3号さん、ありがとうございます。

 

そして、ビールの箱も充分に堪能いたしました。

のん太、ご満悦だな

 

おっと、ここにもあやが!

 

のん太、どうする?

あえて、遠くでパンチ!

もはや、シャドーボクシングだ!!

 

もう逃げたのか?

何もできずに退散か?

 

えっ?!

遠い・・・

 

さすがのあやさんも、呆れて行っちゃったし

違うよ~!


悪魔は、私の裏にいる?!

2022年02月13日 | 日記

第二次ベビーブームの時代、

私は御多分に漏れず産まれた。

 

おはようございます。

3000グラムを超える大型新生児だった。

そのまま3年間、鍛錬したおかげで、

ハイハイから一人歩きを会得し、

食事に至っては、力強くフォークをぶん投げるくらい

肩が仕上がっていた。

 

こうして、いざ、ドラフト指名の時が来たわけだが、

あろうことか、私は期待に応えられず、地元の保育園の抽選に漏れた。

そんな、活躍の場を失ったと思われた私は、

ベビーブームに伴う我が町の救済制度のおかげで、

本来、良家の子どもしか通えないような、

ハイカラな幼稚園へ通えるよう計らってもらえた。

 

そこは、高台に美しい教会が立つ『カトリック』の幼稚園だった。

『カトリック』とはなんぞや?と問うたことさえない。

ただひたすら、食って寝て、鼻をほじる癖が身に付いてしまったがゆえ、

すぐ鼻血を出しては叱られる大型幼児は、

『カトリック』というカタカナも書けないどころか、

イエス・キリストの存在など、知るはずもない。

神の御心などどこ吹く風、洒落たレストランへ連れられても、

「らーめん、らぁーめん」と連呼する姿は、まるでオーメンだった。

 

そんな私が、幼稚園では、

おやつの時間に、神にお祈りをすることを教えられた。

それを手取り足取り教えてくれたのが、

黒いほっかむりをしたシスターだった。

私の記憶では、おそらく3人のシスターに教えてもらったが、

どのシスターも同じ黒いほっかむりをしているから、

眼鏡有り無し、或いはお姉さん、おばさんとしか区別できないまま、卒園に至った。

 

どのシスターも、こんな私にも聖母のごとく優しかった。

そして、大地の母のように逞しかった。

外でぼーっとしていれば、

「おかっぱちゃん、ほら御覧なさい。」

と、慎ましやかな微笑みと共に、大きな蜂を手掴みで見せてくれ、

泣くな!ドン引きな!愛せ!という心を鍛えられ、

お行儀の悪いことをすれば、シスターは断罪を憚らなかった。

「おかっぱちゃん、教会で静かに考えなさい!」

このシスターの言葉は、園児にとっての恐怖の黙示録だった。

 

暗い教会に、独りで閉じ込められるのだ。

いわゆる、お仕置きだ。

私は、暗い教会は嫌いではなかった。

独りで考えるという事はしないタチだったが、

独りでぼーっとしていられる点においては好ましかった。

がしかし、静かで清らかな教会の中にいるからこそ、

悪魔はすぐ側に、表裏一体なのだという事を知った。

 

その象徴が、教会の裏に棲み処をもつ、ジャックだった。

真っ黒で大きな犬、それがジャックだ。

幼稚園の飼い犬だけあって、普段は穏やかな犬だった。

しかし、傍若無人な幼児であっても、ジャックに決して失礼な行為はしなかった。

ジャックと遊ぶ時は、騒いだりせず落ち着いて接するのが暗黙のルールとなった。

その訳は、ジャックが大きな犬だったからでも、

大人たちの指導があったからでもない。

 

あの日、

私は、お掃除の時間、ふざけて机と椅子とで積み木遊びをしていた。

5歳にして、自分の背の倍あろうかという高さにまで、

机と椅子を積み上げる悪行を成す、馬鹿力に成長していたのだ。

「おおおお・おかっぱちゃんったら!もう独りで考えない!!」

若いシスターは悲鳴に似た声で、そう告げた。

それも仕方のないことだ。

いつ崩れてもおかしくない程、不安定に積まれた机と椅子の下から、

仰向けでシューっと滑り出てきた私を発見すれば、誰しも驚く。

 

私はシスターの後をついて、部屋を出た。

空は眩しい程、素晴らしく晴れ渡っていたが、

私は広場で遊んでいる良い子達を素通りし、

薄暗い教会の中へ吸い込まれるように入って行った。

真正面には、イエス・キリストが十字架に張り付けられる影。

暫くすると、微かに唸り声が聞こえてきた。

「グゥゥゥゥ、ガルゥゥゥゥ」

私は、イエス様が唸っているのかと思い、ハッと身をかがめ

耳だけを立たせた。

すると、けたたましい悲鳴が聞こえてきた。

「バサバサバサバサ、ゴケーッギャギャッ」

なに?なに?

まさか・・・悪魔?

 

この時、私の耳にはまだ、

「私が迎えに来るまで、ここから出てはなりません」

というシスターの静かな言葉が鮮明に繰り返し響いていた。

何度も繰り返される。何度も。

私は、その言葉を振り切るように走って、教会の扉を勢いよく開けた。

「眩しい!」

日射しに目が慣れなない。

けれど私は、逃亡者のように必死で教会の裏へ回った。

そこに見えたのが、

ニワトリを咥えた、真っ黒なジャックだった。

「ぎゃーーーー、シスターーーシスターーーー!!」

幼児達が、ジャックに一目を置くようになったのは、

あれ以来だったと記憶している。

だからといって、ジャックは何も変わらなかった。

シスターからは、お咎めなし、あるがままを受け入れられていた。

幼児達には、悪魔の姿をした神様みたいな存在になっていた。

 

高台の教会は、今も立ってる。

その裏には、今頃ジャックも真っ白な骨となって眠っているのだろう。

 

最近よくジャックを思い出す。

たれ蔵が、何か食べている姿が、悪魔的で、ジャックに見ているからだ。

たれ蔵、待ちきれず立ち食いだ。

 

うふふふ、凄い恰好で~

 

出た、悪魔的!


神は言った。自業自得だろうがと・・・

2022年02月11日 | 日記

昨日、聞いた話だが、

ほんと、驚いちゃった!

 

おはようございます。

今日は建国記念の日、祝日なのですね?!

トヨタ自動車のおひざ元にある、この地方では、

祝日という概念は、全くないのだ。

トヨタ様には、日本国のお祝いなんて、関係ない。

祝日の概念を持ってお休みするのは、お役所と銀行だけだ。

 

こんな日は、思わず舌打ちしたくなるが、

でも出勤する楽しみもないわけでは無い。

それは、トヨタ様の恩恵ではなく、

田舎ならではの景色のおかげかもしれない。

 

この時期、田んぼには水が張られる。

土の中の殺菌をするためだそうだが、

朝日に照らされる田んぼは実に美しい景色だ。

私は、その輝く大地のど真ん中を、車で出勤している。

 

ある日、運転中、ふと左に目をやると

田んぼを区切るあぜ道に4羽のアオサギが、等間隔で佇む姿が見えた。

まるで、モアイ像みたいに微動だにしない。

その先で、1羽のセキレイに気付いた。

小石のようだが、小石と見間違うはずのない、緊迫感だ。

遠くに見えるセキレイの鼓動だけが伝わってくる。

どうしたことかと思った途端、

その背後に、

鼓動をも飲み込んで一瞬を逃すまいとかまえるノスリの姿を見つけ、

私は息を飲んだ。

アクセルを踏んでいた右足が思わずブレーキに移った。

けれど、私はブレーキは踏まず、職場の定時を目指した。

 

時速40キロで走り抜けた、あの一瞬は、

時を止める威力を持っていた。

まるで1枚の写真のように、今も私の頭の中に焼き付いている。

こんな感じに・・・

おぉ、神よ。

我に風景を描く画力を授けたもう!

 

さて、我が家にも、美しい一瞬を狙うぞ!

先日の雪の降る朝を猛禽類ばりに、狙っみたのだ。

大粒の雪だね~。

 

こっち向いてみようか?

おたま「おらを呼んだか?」

ん?

今じゃないんだよな~おたまぁ~。

 

仕方ない、アップで行くか!

のんちゃん?

おぉ、神よ!

我に、なぜ、あのスリッパを買わせ、窓のサンの汚れを

気付かせてくれなかったのだ?

 

たれ・のん「えっ?!」

なんだよぉ。

なんで、時が止まったみたいな顔すんだよぉ、なんだよぉ!


のん太の親は、あ・た・し?

2022年02月09日 | のん太の事

どこ調べなのかは分からないが、

猫の毛色人気ランキング最新版では、

白猫は、6位らしい。

 

おはようございます。

ちなみに、

1位は茶トラ、2位は三毛、3位は黒、4位はキジトラ、5位はサバトラ

だそうです。

どこ調べかは分からないですが・・・。

 

我が家には、白猫が2匹いるが、

イエネコ界では、白猫はわずか3パーセントしか存在しないと言われている。

それも、どこ調べかは分からない。

 

しかし、私は調べに調べた。

某ペットフードだ。

パッケージは同じなのに、内容物があまりに違うという問題。

どっちも食べるんなら問題ないが、

のん太は、一定の品質のものしか食べない。

 

そもそも、偏食なのん太にとって、

このフードは、とても貴重なのん太の好物だ。

しかし、確かに、開けた瞬間、

「色も臭いも、柔らかさも、なにもかも、違う!」

もはや、別物なのだ。

 

このフードを買う時、私は毎度一か八かで買っていた。

開けてみなければ分からない、福引き感覚だった。

が、ある時、めっけた。

印字が違うことを。

おそらく、作られる工場が違うのではないだろうか?

さらに想像するに、きっと工場のある国さえも違う気がする。

 

だから私は、この印字を頼りに、

あらゆるスーパーへ、のん太の好物を探しまわっている。

それを私は『シーバの旅』と呼んでいる。

あっ、メーカー名出しちゃった。

 

苦情ではありませんからね。

そもそも、のん太の偏食には困っている。

少しでも食べられるものは、増やしておいた方がいい。

万が一って時に、いろんな物が食べられた方がいい。

そのために、いろんな物を、のん太に試してきた。

おかっぱ「今日は、違うのを食べてみような」

 

のん太は、ご飯の時、誰よりも喜ぶ。

期待に胸を膨らませて、微かに鳴くのだが、

『のんのご飯』じゃないものを出すと

 

ゆっくり後退りして

 

こんな顔になっちまうという・・・。

これを3日ほど繰り返し続けると、

トラウマになるのか、皿を見ると逃げるようになるという、

面倒くささだ。

まったく気を遣う猫だ。

いや、苦情ではない。

そう、私の育て方が良くなかったのだ、きっと。

 

のん太のせいじゃないもんな。

のん太「のんは、悪くない」

うんうん。

 

のん太「のんは、いい子らぞ、かかぁ」

そうだな。

猫に悪い子なんていないもんな。

かかぁが悪い!

 

って、こらーーー!

意味もなく、おたまを襲うなーーー!!

まったく、親の顔が見てみたいもんだ。