さて、
どう言うべきか・・・。
おはようございます。
最近のかずこは仏だ。
仏のカズコ。
起きぬけに、
「ぶち殺したらぁ」と言ってたかずこは、鳴りを潜めている。
認知症が、中程度に進行した頃から、
仏期と悪魔期が、交代制で繰り返されている。
今は、仏期だ。
いずれ、悪魔期もやって来るが、
悪魔期のかずこも、それはそれで面白いと思えるようになってきた。
かずこが訳もなく怒り狂う姿に、
「困った、困った」と言いながら、
実は、何が困った事があるんだっけ?ということに気が付いたのだ。
この感覚は、きくと暮らした15年と重なる。
きくが死んだ日、苦しかった15年、
実はどこも苦しくなかったということに気付いた。
私は、あの子に多大な被害を受けたことなんてない。
何を困っていたかと言えば、私の思い通りにならなかっただけのことだった。
可愛く甘えて来なかっただけで、何が困る事があろうか。
怒ってばかりのきくを見て、
それをどうにかしてやりたくて、見ていられないから、
余計な事を勝手にしては、思うようにいかなくて、
それを「困った、困った」と言っていただけだった。
最近、父さんは、かなり煮詰まってきている。
暴君だったから、特にきついのだろう。
思い通りにならないことに、強いストレスを感じている。
けれど「困った」の本質が見えれば、何も絶望することなんてないんだ。
そして、煮詰まっている原因は、
かずこではなく、きっと秋のせいだ。
秋の気候は、自律神経を乱れさせる。
そう決めつければ、遥かに気持ちは楽になるだろうに。
こんな時は、何を言ってやればいいのだろう?
分かった風に言っても、諭す風に言っても、
こういう時は逆効果だ。
だから私は、バカな話で笑わせて、
父さんの愚痴を、グルグルっと誤魔化してやり過す。
その場限りの気休め程度だ。
ああ、私は無力だ。
でも、私は困っちゃいない。
うん、どこも困ってない。
そう、私が「困った」ら、いかんのだ。
闘病も介護も、切り離せっというのが私の鉄則だ。
苦しみ困っているのは、当事者だ。
私まで苦しみ困っていたら、当事者はもっと困ってしまうのだから。
でも、この子は、
本当に困っています!
のん太「なに、するら?!」
突然、おじさんに抱き上げられた、のん太。
のん太「なに、するら!」
白目剥いてる、のん太。
かかぁに抱っこをせがむ、のん太は、
こんな顔をするのに
おじさんに抱っこされる、のん太は
こんな顔!