2012年11月14日(水)19:00~
サントリーホ―ルの小ホール「ブルー・ローズ」にて
偉大なピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの企画公演、
ポリーニ・パースペクティブ2012、最終日の公演に行って参りました。

マウリツィオ・ポリーニ
ポリーニ・パースペクティヴ2012 室内楽公演
曲目 : シャリーノ: 12のマドリガル(7声のア・カペラのための)(日本初演)
12madorigals for 7 voices a cappella
出演: シュトゥットガルト・ニュー・ヴォーカル・ソロイスツ(声楽アンサンブル)
Neue Vocalsolisten Stuttgart
70歳の巨匠は、健康上の理由でこの企画の実行そのものも危ぶまれたものの、持ち直されての待望の来日。
ベートーベンをメインに組立てられた企画は、現代音楽にその影響を観るとして、
マンゾーニ、シュトックハウゼン、ラッヘンマン、そしてシャリーノと、ポリーニが選んだ作曲家たちの作品がそれぞれの楽曲にあったアンサンブル、ソリストによって演奏される、というものです。
御大は自身では演奏されないものの、会場には姿を現されていました^^。
実は記事を起こす時間がなく、このブログでは割愛してしまったのですが、
10月24日(水)には、このシリーズ第一弾のマンゾーニ・プロにも行っており・・・。
ちょっと武満徹を思わせる、60年代のイタリア映画などできいたことのあるような
”あの頃のモダン”を感じさせる曲調で、逆に「現代音楽」というジャンルの、
ある地点でとどまりながら閉塞的に上昇を続けている現状を想起させられたり・・・。
というわけで、マンゾーニの作品はその質の高さを感じつつも、自分の心の琴線にふれるものではなかったのですが、今回のシャリーノはとても面白く観賞しました。
芭蕉の6つの俳句をイタリア語の詞にしたものをモチーフに6つの曲があり、それをテンポなどを変えて2回演奏する、という構成。
45分、休憩なし、のとても短いコンサート。
隣の大ホールではゲルギエフの振るマリインスキー歌劇場のラフマニノフやショスタコーヴィチが演奏されていたので、とても対照的ですね^^
全くのア・カペラで、男声3人女声3人カストラート1人の構成の7人の歌手が歌うのですが、それぞれが即興的にも聞こえる幅広い発声法を駆使した、決してハーモニーを奏でることのない難曲ながら実に美しい歌唱を聴かせてくれました。
芭蕉の句が、イタリア語訳になると、全く違った様相を示すのも面白く・・・。
例えば、最も有名な
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は
Sole alto
mare di cicale
bevono le rocce
日は高く
蝉の群れが
岩を飲み込む
となるわけで・・・。
俳句の持つ言葉の威力とそれに劣らぬ力強さを持つ音楽とのぶつかり合いが、
新たなる飛翔をもたらす、というような意味が、作曲家自らの筆による充実したプログラムの解説に寄せられていましたが。
全くそのとおりで、時に声明を思わせる曲調が、沈思黙考から眠りに至る心地よさを時としてもたらすことも無きにし非ず^^;でしたが、それは退屈だから、では決してなく・・・^^;
歌手たちの技量は素晴らしく、プロフィールを見ると、現代音楽の声楽曲を専門として引く手あまたのグループだとか。シュツットガルト、といえば、わたくしの大好きなバレエ団がありますが、音楽のレベルも高そうですね。
大都市ではないのに、文化都市としての存在感が只ならないところに、興味を惹かれます。
終演後は、空席の目立つ小ホールの数少ないしかし熱心な観客による、大きな拍手が寄せられ、
客席で観賞されていた作曲家自身も舞台に上がり、称賛を受けていらっしゃいました。
それにしても、現代音楽、のジャンルが日本においては、武満以降停滞しているような印象を持つのに対し、イタリアでこのような意欲的な試みが続いていることは嬉しい驚きでした。
ポリーニが、こういうプロデュース公演を自らの演奏と絡めて企画しようという根底に、シルヴィー・ギエムが熱心に現代の振付家の新作を見ては自らの公演に組み入れることでダンスの観客に新たな才能を紹介しようとするのと同様の、自分の属する芸術ジャンルに対する、歴史的な責任を果たそうとする意志を感じた公演でした
サントリーホ―ルの小ホール「ブルー・ローズ」にて
偉大なピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの企画公演、
ポリーニ・パースペクティブ2012、最終日の公演に行って参りました。

マウリツィオ・ポリーニ
ポリーニ・パースペクティヴ2012 室内楽公演
曲目 : シャリーノ: 12のマドリガル(7声のア・カペラのための)(日本初演)
12madorigals for 7 voices a cappella
出演: シュトゥットガルト・ニュー・ヴォーカル・ソロイスツ(声楽アンサンブル)
Neue Vocalsolisten Stuttgart
70歳の巨匠は、健康上の理由でこの企画の実行そのものも危ぶまれたものの、持ち直されての待望の来日。
ベートーベンをメインに組立てられた企画は、現代音楽にその影響を観るとして、
マンゾーニ、シュトックハウゼン、ラッヘンマン、そしてシャリーノと、ポリーニが選んだ作曲家たちの作品がそれぞれの楽曲にあったアンサンブル、ソリストによって演奏される、というものです。
御大は自身では演奏されないものの、会場には姿を現されていました^^。
実は記事を起こす時間がなく、このブログでは割愛してしまったのですが、
10月24日(水)には、このシリーズ第一弾のマンゾーニ・プロにも行っており・・・。
ちょっと武満徹を思わせる、60年代のイタリア映画などできいたことのあるような
”あの頃のモダン”を感じさせる曲調で、逆に「現代音楽」というジャンルの、
ある地点でとどまりながら閉塞的に上昇を続けている現状を想起させられたり・・・。
というわけで、マンゾーニの作品はその質の高さを感じつつも、自分の心の琴線にふれるものではなかったのですが、今回のシャリーノはとても面白く観賞しました。
芭蕉の6つの俳句をイタリア語の詞にしたものをモチーフに6つの曲があり、それをテンポなどを変えて2回演奏する、という構成。
45分、休憩なし、のとても短いコンサート。
隣の大ホールではゲルギエフの振るマリインスキー歌劇場のラフマニノフやショスタコーヴィチが演奏されていたので、とても対照的ですね^^
全くのア・カペラで、男声3人女声3人カストラート1人の構成の7人の歌手が歌うのですが、それぞれが即興的にも聞こえる幅広い発声法を駆使した、決してハーモニーを奏でることのない難曲ながら実に美しい歌唱を聴かせてくれました。
芭蕉の句が、イタリア語訳になると、全く違った様相を示すのも面白く・・・。
例えば、最も有名な
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は
Sole alto
mare di cicale
bevono le rocce
日は高く
蝉の群れが
岩を飲み込む
となるわけで・・・。
俳句の持つ言葉の威力とそれに劣らぬ力強さを持つ音楽とのぶつかり合いが、
新たなる飛翔をもたらす、というような意味が、作曲家自らの筆による充実したプログラムの解説に寄せられていましたが。
全くそのとおりで、時に声明を思わせる曲調が、沈思黙考から眠りに至る心地よさを時としてもたらすことも無きにし非ず^^;でしたが、それは退屈だから、では決してなく・・・^^;
歌手たちの技量は素晴らしく、プロフィールを見ると、現代音楽の声楽曲を専門として引く手あまたのグループだとか。シュツットガルト、といえば、わたくしの大好きなバレエ団がありますが、音楽のレベルも高そうですね。
大都市ではないのに、文化都市としての存在感が只ならないところに、興味を惹かれます。
終演後は、空席の目立つ小ホールの数少ないしかし熱心な観客による、大きな拍手が寄せられ、
客席で観賞されていた作曲家自身も舞台に上がり、称賛を受けていらっしゃいました。
それにしても、現代音楽、のジャンルが日本においては、武満以降停滞しているような印象を持つのに対し、イタリアでこのような意欲的な試みが続いていることは嬉しい驚きでした。
ポリーニが、こういうプロデュース公演を自らの演奏と絡めて企画しようという根底に、シルヴィー・ギエムが熱心に現代の振付家の新作を見ては自らの公演に組み入れることでダンスの観客に新たな才能を紹介しようとするのと同様の、自分の属する芸術ジャンルに対する、歴史的な責任を果たそうとする意志を感じた公演でした
