マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

ETC休日特別割引 第二弾

2009-05-24 11:00:00 | 父の日。母の日。結婚記念日。
ゴールデンウイークETC休日特別割引で、大混雑だった神戸の街・・・。

10日後には、インフルエンザ感染問題で、
  ETC休日特別割引も全く利用されない、閑散の街神戸です。

「一寸先は闇」とは、よく言ったものです。
 どんなに順境であっても、おごることなく、地に足をつけていたいと思った次第です。

私達夫婦は、インフルエンザ問題に少し先が見えてきたので・・・

「ETC休日特別割引」の特権を使って、5月24日の日曜日の今日、
 四国・徳島まで、明石大橋と鳴門大橋を渡って、讃岐うどんを食べに行こう!」
   って、意見の一致です!

ゴールデンウイークは車で埋まっていた明石大橋も、今日は車がありません。

美しい新緑に囲まれた淡路の高速道路のドライブを楽しみました!

私達の専用道路のように、地元の人達の車も走っていません。
「ドライブなんて、慎むべきだったのかしら?」なんて言ってみても、後の祭りです。

明石大橋→鳴門大橋と二つの大橋を渡り。5000円の料金が、1000円でした。 
   (往復1万円が、2000円!!)

徳島・讃岐うどんの『丸亀』まで、家から1時間で着いてしまいました。

久しぶりの、『丸亀』の讃岐うどんに、舌鼓でした!

「忘れていたね~。この讃岐の太さと、こしの強さをね~。」なんて、大満足です。

夫は、「焼うどん」(和風チャンポン麺?) 930円。
私は、「ざるうどん」(写真)546円。 麺類は、麺そのものを味わうのが大好きな私。
 しこしこと、味わい深い讃岐うどんは、美味しい!

うどんでお腹を充たした後は、『鳴門市賀川豊彦記念館』で心を充たしました。

恥ずかしながら、賀川豊彦を、私は殆ど知りませんでした。
  夫は、良く知っていました。 夫の説明付きの会館巡りです。

賀川豊彦は、
1888(明治21)年に神戸で生まれ。
5歳から17歳まで、幼くして両親を亡くした賀川は、父の故郷・鳴門市で過ごす。
16歳(明治37)で、二人のキリスト教宣教師の影響で、洗礼を受ける。

その後、明治学院神学科で、キリスト教や哲学、心理学などあらゆる分野を学ぶ。
21歳(明治42)で、神戸のスラム街に移り住み、社会的弱者の救済活動に身を投じ、日本の社会運動の草分け的存在となる。
25歳(大正2)で、生涯の支えとなったハルさんと結婚。二人でスラム街で悪戦苦闘する。
26歳で、スラム救済活動に限界を感じる。

26歳(大正3)で、アメリカプリンストン神学校・大学に留学。
29歳(大正9)で、帰国。

帰国後、『救貧から防貧へ』をスローガンとして、
 労働運動、農民運動、普通選挙運動、生活協同組合運動などの先頭に立ち、
  大正デモクラシーの機運を盛り上げました。

世界的な平和運動家でもあった賀川は、
 ガンジーやアインシュタインらとともに徴兵制廃止などを提唱。
 
軍国主義が台頭し始めた昭和初期には、反戦を唱え、
戦後は、一貫して、戦争反対や核兵器廃絶運動を行いました。

67歳(昭和30)ノーベル平和賞の候補にあげられる。
71歳(昭和35)東京上北沢の自宅で召天。
今は、アメリカ・ワシントン大聖堂に、賀川豊彦像として、立っています。

     『友愛・互助・平和』
賀川が提唱した精神は、
 混沌とした現代社会に訴える力を持ち、21世紀を導く指導理念たり得ています。

賀川の自叙伝的小説、空前の大ベストセラー、『死線を越えて』を買い
こうゆう人が、日本を!世界を!変えて行くのだと、賀川の生き方に心を大きく揺さぶられ、
   
 夫と私は、「ETC休日特別割引 第二弾」の旅を、感謝で終えました。