「ちょっと待って! まだやらなくてはならないことが一杯あるの! 待ってね!」
(星の王子様より)
それとも
『世を去る時が近づきました。私は戦いを立派に戦いぬき、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や義の栄光を受けるばかりです。』
(テモテへの手紙3章6&7節)
死の『時』が訪れた時の答。どちらかしら? 皆様は? 私は?
今日は第一木曜日
神戸市区民会館内での、地域の方々とご一緒に、月一の『ミサと茶話会』です。
今日は11月1日
カトリック教会での、年一回の、死んだ方々との交わりを深める、『諸聖人の祝い日』。 死者との交わりの祝い日です。
今日のミサでの司祭の説教のほんの一部
司祭の問いかけで、始まりました。
「死は、どなたにも、突然という感じで、訪れるものです。
その、神の『時』に、皆様はなんと 答えますか?
「待って!」 ですか?
「まだやリ残していることが一杯あるの! もうちょっと待ってね。」 と。この世への未練が大きい立場でしょうか?
それとも
「大丈夫よ。まいります。やることをやり終え、この時を待っていました!」と言いますか?」
司祭の、長年の経験からの、説教が続きます。
「やり残した気持ちが大きいのは、みな同じでしょう。 当たり前でしょう。
しかし、『時』は、必ず来ます。
その『時』のための、重要で大切な準備は、『和解』ではないでしょうか?
神に、「間に合ってます! まいります!」と即答が出来る準備は、『和解』と思います。 完全な和解が出来なくとも・・・声かけです。
苦手な友人との和解。 仲直りの気持ちで、一声かけましょう。
家族との和解。 あの時のこと…ごめんね。と一声。
あの失敗! あの知り合いとも和解しておきましょう。一声だけでいいのです。
仲直りの一声。 許してくれないかもしれません…でも声かけです。
必ず、自分の中で、平安が生まれます。 謙遜は希望を生みます!
死んでしまった両親との和解。
両親は今は天国。 でも、確かに! 『永遠の住みか』で生きています。
『わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。
人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。』
コリントの信徒への手紙二 5章1節
祈りの中で、必ず、亡くなった両親と出会えます。 確かです。 諸聖人との交わりです。
その両親に、祈りの中で、「ごめんね!」と和解しておきましょう。仲良しになっておきましょう
亡くなった友人とも 同じです。
和解して…仲良くなっておきましょう。 安心して再会が出来ますよね
そして・・
一番大事な、神との和解。
死は、天国・神の元への帰還です。 一度旅だった神の元に帰るのです。
神との再会の日の訪れに向けて、神の罪の許しを受け、神と仲良しになっていましょう!
これで…準備万端! ok!
突然に、『神のお迎えの時』が訪れても、「はい!」と言えることでしょう!」
友人が玄関先で・・・「掘ってきたのよ!」
自家製サツマイモのおすそわけです。
和解にいらしたのではなく…いつもの愛情一杯の、友人の訪問でした
今日の司式司祭は、修道院のチャプレンです。
その修道院のお元気な92歳のシスターは、ミサ中に、「天国にお呼び下さい!」と、声を出して祈るそうです。
92歳のシスターは、帰還準備万端! てことなんでしょうね。
その『時』が来た時には、しっかりと、「大丈夫よ。まいります。やることをやり終え、この時を待っていました!」と言えるのでしょうね! 素敵な人生です
以上。
今日のミサでの司祭の説教のほんのほんの一部でした。 お粗末さまでございました
皆様!
今日もご訪問に深く感謝申し上げます。 秋深い夜長を哲学しながらお楽しみください!