マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『Live life, love cars』  そして  42,195km・・・その②。

2015-02-23 20:11:57 | 

私が今乗る・『My 愛車』 の 生みの親・片山豊氏 が亡くなられた。 105歳。
      

 庭に梅の花一輪       御冥福をお祈り申し上げます。

    自動車を愛した片山氏へのお悔やみの気持ちで並べます。
        『自動車野郎』 と自称する面々の 『言葉』

① ご本人・片山豊:   『Live life, love cars』

        色紙に必ず書いた言葉だそうです。
        何を意味するのか?  考えました。

      英語学者の娘夫婦の答。
        婿殿: 『車を愛する人生を送ろう!』
         娘: 『人生を精一杯に車と共に!』
   英語力のない私の答: 『我が人生…車を愛す!』
       お母さんの答は間違ってますよ。 と娘に指摘されました
 
『Live life、』 は命令形なので、『我が人生』 とはならない。 と。 なるほどね~!


② 第二次大戦中ドイツ兵として働いた、機械に詳しい、日本在住のドイツ人司祭:
 『車のエキスパートになりたいなら、車を洗いなさい。自分の車を常にきれいに保ちなさい!』

          車本体に気遣わず
  ただ走りたいという気持ちだけで、突っ走り続けると,
       どこかが悲鳴を上げます。
 それさえも無視して走り続けると、やがて壊れてしまいます。
洗車することで、車を大事に扱う心が生まれ、各パーツにも心がいくようになり,
                                              車のエキスパートになれ
ます。

          人間も同様です。
体のこと、心のこと、霊的深みのことを全く気遣わずに生きれば、やがて壊れます。
     すばらしい人となるには、体のすべてに、気遣いをしなさい。

       以上のように・・・
車好きの学生時代に、ドイツ人司祭から『Careの大切さ』を習った青年は、カルメル会司祭になりました。

                                  『福音宣教 2013年3月号』より抜粋。


③ 村上春樹:  『プリンストン大学に属して生活している人が、高価な目立つ車を運転したりするのは、
                 「あまり褒められたことではない」 とされる。』

       カリフォルニアの大学では考えられないことだが、
    プリンストンでは、走ればそれでいいというところがある。 
                                 『やがて哀しき外国語』より抜粋。

      カリフォルニアか? プリンストンか? という問題ではない。
 文化人と称する人たちの考え方の違いを、驚きをもって知った、『忘れられない言葉』 です。
 
      
           
  

④ Myブランド & Myロールモデルの 島田順子
          『ずっとポルシェが似合う女になりたかった』

    ポルシェが似合います。  『73歳・白髪の島田順子』
    

  小さい頃、千葉から神奈川へ渡るフェリーで見かけて以来の憧れの車。
ジェームスディーンの『理由なき反抗』を見て影響されて16歳で免許を取って以来、
    いつか白髪になったらポルシェが似合うかなとずっと夢見ていた。

   パリ(仕事場)とフォンテーヌブロー(自宅)を、往復1時間ずつ、
        大きな声で歌いながら運転するのが好き。
          誤解されたりして凹む時に、
     車の中で一人になって心を落ち着かせる。
                              『島田順子スタイル』より抜粋。
                             

⑤ 私:   『車は人生の挑戦です。』  

             以前のMyブログでも書きました。
   車は便利で楽しい。 足取り軽く、熟年の私がアクセルを軽く踏むだけで、
         一気にスピードが出る。 新しい世界が開く。
          

同様に。
『人の考え方の違い』。 思い出しました。

 フルマラソン:『42,195km』 を走る人の、日本人と米国人の違いを書いた 『村上春樹の言葉』。 

          日本のマラソン大会には 『名簿』 がある。
   名簿には、参加者の多くが所属する 『団体名』 や 『走友会』 も書かれている。

       アメリカではこういう名簿はまず存在しない。
   アメリカには、『走友会』というようなものはほとんど存在しない。
人々はだいたい一人で走っているし、二人で走っているのは夫婦とか恋人のカップルである。
一緒に走るのがいけないということではないけれど、とにかくアメリカ人はそういう走り方はしない。
      これはたぶん日本人とアメリカ人とのメンタリティーの違いだろうと思う。

      附記。
  長距離を走る人間には、退屈で凡庸な人間が多いと言う説がある。
      この説にはかなり信憑性があるように思う。

でもこれだけは断言できるけど、四十二キロを走るのは決して退屈な行為ではない。
   これは実にスリリングで、非日常的で、イマジネイティブな行為である。

     そこではたとえ普段は退屈極まりない人間だって、
   走っているだけで、「何か別のもの」になることができる。
人の短い生を何とか十全に集中して生きるために走っているのだと思う。
    みんながそんなことをする必要はもちろんないけれど、
       そういう方法を選択する権利が人にはある。
                             『やがて哀しき外国語』より抜粋。

                     以上。今日はお人の『言葉』で終わりました。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
人の短い生を何とか十全に集中して生きるために・・・皆様は何を選択なさいますか?
        走りますか?  こだわって・・・。集中して・・・。  素敵ですよね!

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記録。 今日・23日は10

17時。 14度。 暖かです。 『大会』まで、12日です。
精神力Up のために。 モチベーションUpのために。 あえて苦手な夕方ランです。
        
             2月走
行距離合計 138km。