6月1日。土曜日。快晴。
故郷再訪初日。
孫たちの 『運動会』 でした。
『全校生徒のラジオ体操』
ラジオ体操で、中学生が、入学2ヶ月目の小一年生をリードします。
体の大きさの違いは、6年間の成長を物語ります。
小学校時代の6年間と、私の年齢になっての6年間は、まるで違う。
素晴らしい成長を積み上げる小学生。 積み上げたものを熟成させる成人。
流れる時間の種類も、まるで違う。
両者ともに、それぞれに美しく、いいものである。
小4年の孫息子・・・ 『小学生全体の3位の駿足』
『スタートで緊張しなければ!』
と。 小学校全体で2位の6年生とコンマ数秒の差を、悔しがる孫息子。
『おめでとう!
コンマ数秒の差は、走る能力の差ではなく、経験の差がそうさせるのね。
来年は、人生経験を積んで、学校一位の俊足は間違いなしね!』
・・・と。
アスリートばあちゃんは、経験から出る『言葉』で、励ました。
小6年生の孫娘・・・ 『組体操』
『流れるウエーブ』 本当に美しい。
孫娘も、アスリートばあちゃんの孫、個人走で一位となった。
”一瞬たりとも隣を走る人を見ることなく、前だけを向いて走るのよ!”
ばあちゃんのレクチャーが、功を成した! そうかな?
”下になる人に申し訳なくて…体重を減らそうかな?”
毎日、足も体操服も泥んこ、真夏日の続いた毎日の練習、大変だったようです。
頑張る孫たち。 静かに、目を離さず、見守るおばあちゃん。
生涯のどの段階も、輝いて、それぞれに意味がある。
そして。
今日は6月1日。
『聖ユスチノ殉教者 記念日』
2世紀初め。100年? サマリアのナブルスで、異邦人(ユダヤ人ではない)の家庭に生まれる。
キリスト教徒になった最初の哲学者。
『護教教父』といわれる、最初期のキリスト教神学者の一人。
アテネ・ローマで学び、さまざまな哲学諸派をへて、キリスト教にたどりつき、
エフェソスで洗礼を受けた。
アントニウス・ピウス帝の時代にローマへ赴き、
そこでキリスト教的『哲学塾』を開いた。
宗教に関する公開討論を行い、
論破した哲学者の陰謀で捕えられる。
165年頃。 皇帝マルクス・アウレリウス治世下で、数人の弟子と共に、殉教。65歳頃。
『毎日の読書』より。
『今日の集会祈願』
『全能の神よ、
あなたは殉教者ユスチノに、
十字架の愚かさを通してイエス・キリストを知ることの素晴らしさを教えられました。
聖人の取次に支えられて、
わたしたちが誤謬を退け、不動の信仰に生きる者となりますように。』
ユスチノは、
イエス・キリストこそが、『完全なロゴス』。
イエスは、『普遍的・神的ロゴス、純粋知性、完全な真理』。
・・・である。 と説きました。
神のひとり子・イエス・キリストとして受肉したロゴス=神の言葉。
『今日の福音 イエスの御言葉』
イエス自身は、神の『ロゴス』、神と一体です。
『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。
あなたがたはわたしの名によっては願いなさい。
そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。
父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。
あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。」』
ヨハネ福音書 16章23-28節
キリスト者は、
イエスは神の御子である。 ことを知っています。
イエスの名によって、イエスにおいて、御父・神に出会うのです。
神は、『天におられる私たちの父』 なのです。
私たちが、『イエスの名によって願う』とは、
私たちがイエスを愛し、私たちがイエスを神の御子と信じたので、
御父・神が、私たちの祈りを、『我が子からの祈り』としてかなえて下さる。
・・・ということですね。
不思議なものです。
神は、私たち一人一人を愛し、一人一人を愛で包み込む方、満たす方です。
人の親は、神様に似て、我が子を愛し、子を愛で満たしたいのです。
イエスは、人類を愛し、『神の御言葉=神の約束』を実現なさる方です。
おばあちゃんは、孫を愛し、孫を愛で満たしたいのです。
神様も、親も、イエス様も、おばあちゃんも、心=愛は同じです。
愛は神から出るものですから、不思議ではないですね。
キリスト者の、ただ一筋:『愛にかける人生』
:まっしぐら。
いいものですね。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
3日間の大忙しの故郷来訪を終えて、在所に帰ってまいりました。
あっちもよし、こっちもよし、ですね。 お元気で!
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