マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・聖書通読会・・・『神は真実な方です。神の約束はこの方において「然り」となったのです。』 そして 『知恵の正しさは、イエスの働きによって証明される。』

2021-12-10 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
12月3日。金曜日。晴れ。


今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。
オンラインクラスです。

     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
 

    私たちキリスト者は、
    朝昼晩・・・
    何かにつけて・・・

    「天におられるわたしたちの父よ、ねがわくは御名の尊まれんことを。
  御国の来たらんことを。御旨の天に行なわれるごとく地にも行なわれんことを・・・」

    イエスが ”こう祈りなさい” と教えてくださった通りに、
         『主の祈り』を唱えます。 

       「あなたがたの父は、願う前から、
      あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
        だからこう祈りなさい。」
    と、イエス様が教えてくださった『主の祈り』です。 
                  マタイ6章3-15節


    イエス様が、ひとつの『祈りの型』を示してくださっった
         それは、真にありがたいことです。

    人が、神に、じかに、申し上げる『祈り』を知ったのです。
      無心に、安心しきって、唱えることができます。
         それは、神様の喜びでもあり、 
        私たち人間の強みでもあるはずです。


     私たち・キリスト者は、
     今日も、じかに神様に、『主の祈り』を祈りながら、
     神様とお話ができる『方法』を知っているのです。

      

    今日の通読範囲は、『コリントの信徒への手紙 1章~7章』

    使徒パウロは、コリントの信徒への『第一の手紙』を書いた後にも、  
    教えや権威に対しての反対や対立が、コリントで続いたので、
    西暦57年頃。 
    使徒パウロは、再び、『第二の手紙』を書いて、
    テトスにその手紙を持たせて、コリントの地へ派遣したのです。
      テトスの働きは成功して、問題は解決します。


   著者の使徒パウロは、
        『神は真実な方です。
    だから、あなた方に向けたわたしたちの言葉は、
   「然り」とあると同時に「否」であるというものではありません。

     神の約束はこの方において「然り」となったのです。』 
        コリントの信徒への手紙Ⅱ 1章18-20節

       『イエス・キリストの福音』は、
    人を解放する力があり、苦難のときに平和と慰めを与える。

       と、力強く、『新しい契約の奉仕者』として、
       イエス・キリストは主であると宣言するのです。
       
    そして 
     パウロは、コリントの教会の改心を喜び、
     更に、パウロはすべての人に勧めるのです。

   『愛する人たち、わたしたちは神の約束を受けているのですから、
      肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、
     神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう。』      
        コリントの信徒への手紙Ⅱ 7章1節


     今日も、心に響く、1964年前の『パウロの言葉』を読んで、
       お仲間皆様のお考えの発表が、とても楽しみです。
                   感謝!感謝!


そして。

今日は12月10日。待降節第二金曜日。

『今日の入祭唱』

  『見よ、主は輝きを持って来られる。
  平和のうちに御自分の民を訪れ、永遠の命を与えてくださる。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは人々に言われた。
   「今の時代を何にたとえたらよいか。
        広場に座って、
  ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。

    『笛を吹いたのに、 踊ってくれなかった。
 葬式の歌をうたったのに、 悲しんでくれなかった。』


    ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、
   
     『あれは悪霊に取りつかれている』 
                   と言い、

      人の子が来て、飲み食いすると、
   
  『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』 
                      と言う。

 しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」』
               マタイによる福音書 11章16-19節


   今日のイエス様は、
   ご自分は、『人の子』、『知恵の子』であると称し、
   『知恵の正しさは、その働きによって証明される。』
           と、宣言しました。


   イエスの時代、
   特に、ファリサイ人たち、サドカイ人たちは人たちは、
   洗礼者ヨハネの話にも、イエスの話にも、耳を傾けようとしませんでした。
   イエスは、
   そんな人々を、笛の音楽にも、葬式の歌にも反応しない人々にたとえました。


     ヨハネは、
     人々に悔い改めを勧めて、
     自らは、荒れ野で、断食の厳しい生活をしました。
     それをある人々は、
     あまりにも極端だと考え、『悪魔の力』ですると言いました。

     イエスは、
     飲み食いををする、普通の生活をしました。
     それをある人々は、
     あまりにも世間的、社交的であると言いました。


     イエスも、ヨハネも、
     その働きは『知恵』を証明するものであり、
     そこには、神が働いているのです。
     神は、苦しみの中でも、喜びの中でも、働いてくださるのです。


  信仰の目で見るとき、
  人は、素直に、何事の中にも、『神の働き』を見るのです。
   信じる人によって、『神の働き』は証明されるのです。
  ところが、
  信じようとしない人たちは、
  何事を見ても、神が何をなさっても、信じようとしないのです。


  わたしたちも、
  先入観を棄てて、素直に、
  『神の勧め』を聞けるようになりたいものですね。
       祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
   『主は来られる。平和の王である主を迎えよう。』
      待降節アレルヤ唱 256番⑬  アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
暮れを迎えて、一年を振り返りますと、
楽しかったこと、悲しかったこと、たくさんの日々が思い出されます。
どんな時にも、感謝の祈りを忘れないで唱えていきたいですね。 お元気で!

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