マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『みにくいアヒルの子』・・・『違い万歳!個性万歳!』 そして 『イエスは弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。』

2020-10-28 06:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
10月28日。水曜日。曇り。

朝ウォーク途中の公園
すっかり秋です。

              『秋空に真っ赤なもみじ』

      沢山のもみじの木々の中で、一本だけが、すっかり紅葉しています。

           ”一本だけ! どうしたのだろう?”
             と考える私は、 突然、
          アンデルセン童話:『みにくいアヒルの子』
 
               を思い出しました。


『みにくいアヒルの子』
   思い出してみました
一羽のアヒルのお母さんが
巣の中のタマゴをあたためていました。
やがてタマゴが一つずつ割れると、
中からは黄色い色をしたかわいいひなたちが顔を出します。
ですが、巣の中で一番大きなタマゴだけが、
しばらくたって、やっとタマゴを割って出てきたのです。

たいそう体の大きなみにくいひなでした。
みにくいアヒルの子はどこへ行っても
いじめられ、つつかれて、かげ口をたたかれます。
はじめのうちはみにくいアヒルの子をかばっていたお母さんも、
「本当にみにくい子。いっそ、どこか遠い所へ行ってくれたらねえ」
と、ため息をつくようになりました。

それを聞いたみにくいアヒルの子はいたたまれなくなって、
みんなの前から逃げ出してしまいました。
あてもなく飛び出しましたが、どこに行ってもきらわれます。
アヒルの子は人目につかない場所を選んで眠り、
起きればまた逃げ続けました。
季節は秋になり・・・
みにくいアヒルの子はこれまで見たこともないような、
美しい白鳥のむれを目にしました。
白鳥たちはあたたかい国へと飛んでいくところでした。
アヒルの子は美しい烏たちが空のかなたへ去っていくのを見送りながら
考えました。
「あんな鳥になれたら、どんなにか幸せだろう。
いや、アヒルの仲間にさえ入れないのに、そんな事を考えてどうするんだ」

やがて冬が来て・・・
アヒルの子はアシのしげみにじっとうずくまって、
氷が張る沼できびしい寒さをたえしのびました。
ついに、春が来て・・・
アヒルの子はつばさをはばたいてみました。
すると体が、浮くではありませんか。
「ああ、飛んだ、ぼくは飛べるようになったんだ」
その時、おほりにいた白鳥たちが、いっせいに近づいてきたのです。
「ああ、みにくいぼくを、殺しにきたんだ。
みんなからひどい目にあうより、
あの美しい鳥に殺された方が、ましかもしれない。
「さあ、ぼくを殺して!」
しかし・・・
白鳥たちはアヒルの子の周りに集まると、
やさしく口ばしでなでてくれて、言ったのです。
「はじめまして、かわいい新人さん」
ビックリしたアヒルの子は・・・
水の上に目を落とすと、そこにうつっていたのは、

もうみにくいアヒルの子ではありません。
まっしろに光りかがやく、あの白鳥だったのです。

冬の間に羽が抜けかわって、美しい白鳥に姿をかえていたのでした。
黒くてみにくい姿だった雛は、
成長して立派な白鳥の姿になっていたのです。
そして白鳥の群れにあたたかく迎え入れられ、幸せに暮らしました。
   以上。ネットより拝借    子どもの頃読んだ懐かしい話ですね

          アヒルの親のもとに生まれた黒い雛は、
        容姿のみにくさからいじめを受け、死を覚悟しますが、
      最終的には自分が白鳥だと気付いて幸せに暮らすことができました。

  
 今朝。    私は、一本のもみじだけが真っ赤に紅葉しているのを見て、
             ”一本だけ! どうしたのだろう?”
              と考えた後にすぐに
         なぜか? 『みにくいアヒルの子』 を思いだし
    ”私は、何事も、本質を見ないで、見た目で判断しているのではないかしら?”
              と思った次第でした。


         兄弟と異なる姿をしていた黒いアヒルは、
       ”みにくい!” ”みにくい!” と言われ続け、
            自らも
     ”自分はみにくい。 生きてる価値もない。” と考えるようになりました。
 黒いアヒル自身も、周りのアヒルたちと同じように、自分を見た目で判断してしまうのです。
  それでも。
   最後に、分け隔てなくアヒルを迎え入れてくれる白鳥たちの優しさのお陰で、
     『みにくいアヒル』は、 『自分の本質』は『白鳥』 だったことを知ります。
     自分のアイデンティテーを見いだし、心穏やかに、過ごすのです。



       私は、今日、『一本の真っ赤なもみじ』から、学びました。
        人は、一人一人違うのです。 個性があるのです。
       違いにこそ、 『人の価値』があるのです。素敵なのです。
  反省しました。 私は、白鳥たちのように優しく
            すべての人を受け入れているだろうか?
            お人の立場になって考えているだろうか?
              反省!反省!  感謝!感謝!

           違い万歳! 個性万歳!
                           お粗末様でございました


そして。

今日は10月28日。年間第三十水曜日。

『今日の入祭唱』

  『神に選ばれ、偽りのない愛に生きた聖人たちに、
    神は終わりのない栄誉をお与えになった。』 



『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのころ、   イエスは祈るために山に行き、
    
             神に祈って夜を明かされた。

朝になると弟子たちを呼び集め、
          その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。


それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、
フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、
   ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。

      イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。

      大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、
          また、ティルスやシドンの海岸地方から、
     イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。
       汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。

         群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。
    イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。』
             ルカ福音書 6章12-19節



         イエス様は、 『大事なこと』 を決める前には、
            必ず、一人で、山に入り、
             御父に祈られました。 

初めに。  多くの弟子たちが、 イエスと親しくなり、 イエスにいていきました。
段々に。  イエスは、反対者の迫害を受け、 御自分が亡き者にされるが来たことを知りました。
そこで。  イエスは、12部族でできている『イスラエルの代表者』として、『12人』を選び、
      その12人に、『御父からイエスに与えられた使命』引き継がせる必要を感じたのです。
           山へ、一人で、神とお話しするために行かれたのです。


        イエスが、 『御父から与えられた使命』 は、
    宣教、病者の癒し、弱者の味方になること、人類の贖罪となること、等々でした。

           12人の使徒たちの『使命』は、
  イエスと共にした『イエスの生活』 と 『イエスの復活』 の『証人』になることです。
        12人の使徒たちが『証人』となるためには、
          イエス様の『謙遜と従順』を学び、 
    自分たちの『自己愛と虚栄心』から解放されなければなりません。


      12人の使徒を選んだイエス様は、
       12人に、『最終的段階の教育』を与えていかれるのです。


私たちも、
キリスト者として、イエスの証人になるべく、
イエスから遣わされた者です。
聖書の『イエスの御言葉』と共に生活をし、
神から力と勇気を頂きながら、
謙虚に『イエスの証人』となりたいものですね。


『今日の祈願』

   『すべてを治められる父よ、
 わたしたちは、使徒の証しを通してあなたへの信仰に導かれました。
  使徒たちの祈りに支えられて、神を信じる人が日ごとに増し、
      教会が絶えず成長しますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一つの景色が心の中の記憶を呼び覚し、その記憶の意味を納得する
ということがあるものですね。 お元気で!

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