調子が悪い日が続くと、なにやら物事が悲観的にしか見えなくなる。意地悪をされているような気がしたり、嫌われているような気がしたり。そうなってくると、自分が何をやっても、何事も誤解され、理解されないような、気持ちになって来る。しかし、これには打つ手が実はない。棹も見当たらない。石でも投げてみようか。たとえ石を投げたにしても、落ちていくだけ。流れに影響はない。はずだ。
流れなんて、時のもの。変らないようにして、毎日変っていたりする。
必要なのは発想の転換だ。
棹といえば、実家で、棹と脚立を持ち出して、柿を取ったことを急に思い出した。何年ぶりだったろう。田舎の静かな空気のなかで、私たちの声が響き渡っていた。