新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

経験者が語る

2024-10-25 07:14:07 | コラム
心筋梗塞の基礎的知識:

先日、西田敏行さんが虚血性心不全だっただろうと私が思う発作に襲われて亡くなったと知って、複数回心筋梗塞を経験した者として、承知しているだけのことを取り上げてみた。すると、有り難いことに何人かの方から「参考になった」との感想をお聞かせ頂いた。そこで、より詳しく補足してみようと思うに至った。

正直に回顧すれば、自分自身で2006年1月に一回目の発作に襲われた時には、何という病気だったかも分からず、救急車で搬送して頂けた国立国際医療センター(当時の名称)での治療で一命を取り留めて頂けた後で、看護師さんに「私は何という病気でここにいるのですか」と尋ねて、初めて心筋梗塞だと知ったのだ。しかも、どのような字を書くかも知らなかった。

そこで、「何故、これほど危険極まりない病気(生存率25%=致死率75%)についての知識が余り行き渡っていないのか」を考えて見た。広い世間でも「心筋梗塞に罹ったが無事生還した」と公表しておられる方は少ないと思う。私が知る限りの有名人には、フリーランス(「フリー」と呼ぶのは言葉の誤り)のアナウンサー・徳光和夫氏くらいのものだ。徳光氏は2001年6月に罹っておられたとか。

良く考えてみれば、私は幸運にも国立で助けて頂けたて25%の生存率の一員になれたので、2016年の発症から18年も生存できて、このように経験を語ることが出来ているのだ。だが、私と同様に25%の中に入られた方々が、このように経験談を公表される場を持っておられるとは限らないのではないか。また、私のように愚かにも経験を語ろうなどはされないのではなかろうか。

私は、その後にも2013年、2014年と合計3回も、夫々の場合に異なる発症の仕方を経験したので、何らかの参考にもなればと思って語ってみた次第だ。その恐ろしさは、最初の激痛の後には「何に感じなくなっている状態になる」ので、安心してしまうことだと見ている。

しかも、生存する為には可及的速やかに医師による処置を受けなければならないことだそうだ。折角救急病院に搬送されても、遅れていれば「手遅れ」になってしまうのだとも教えられた。

また、私のように自宅で家人の目の前で倒れれば手の打ちようがあるが、同じ病室にいた方は路上で倒れたので「酔っ払いと思われた為か、道行く人は見抜きもせず黙って通過していった」と、その恐ろしさを振り返っておられた。即ち、発症する場所によっては救われないことがあるのだ。

先日は「前駆症状はない」と述べていたが、勿論血圧には日頃から注意しておくべきなのは言うまでもないと思う。血圧の高い低いには勿論個人差はあるが、自分で勝手に判断しないことだろう。私の場合には救急病棟で測られた体重が62kgだったが、迂闊にも平常値の55kgを大きく超えていた事に注意していなかった。

それに、基本的には血圧が高いことは、何も心筋梗塞だけではなく他の病気の原因にもなるので、日頃から注意していた方が良いと思う。私の場合は80歳まで続けた仕事の2年目で、まさか病に倒れるなどとは夢想すらしていなかった。言うなれば「過信」か「油断」があったのかも知れない。

私はアルコール飲料が体に合わないから飲めないし飲まない、煙草は吸った経験がないし、諸般の事情があり車の免許を取ろうとしたこともない。麻雀は1976年に止めてしまったし、ゴルフは15年楽しんだ後の1974年4月に初めてアメリカで試みたのを最後に止めていた。1回目の発症の後で見舞いに来てくれた友人に「あんたがこれで死んでいたら、つまらない人生だったかも知れないね」と言われた。

換言すれば、こういう一見無難なような過ごし方をしていても、それが心筋梗塞のような病を防ぐ手立てにはならないという事のようなのだ。