石破首相は外国に不慣れだった:
石破首相がAPECに出て行かれる前に「外国に不慣れなので・・・」と、不安感を示してあった。私がここに言う「慣れ/不慣れ」には「異文化の世界に出ていく場合に遭遇する未知の世界というか、自分たちの風俗・習慣が通用しない事を弁えているかいないかで、その異文化にどのように振る舞うべきかを承知しているか」という点まで含まれている。
この「異文化」はその場に立って経験してみただけでは、容易に認識できることではないのが難しいところ。周囲にいる人たちは「貴方、その姿勢と言動はおかしいのですよ」などと忠告してくれることなど先ずないので困る。先方が異様だと思えば敬して遠ざけるような態度に出るだろうから、そうでなくても場違いな感じが増幅されるだけだ。
古い言い方に「兎角日本人たちは壁の花になってしまう」と言うのがあるが、石破首相の場合には「スマホが友」状態を演じていた。
他国の人たちは「そういう点を心得て、この場に立っているのだろう」と思って接してくるのだから、その場の雰囲気に溶け込んでいくのは、一層困難になっていく。経験から言えることは「この状態を打破する為には、外国語が話せる程度は難しいだろう」という事。事前に充分に予習しておいても、初めて会う外国の要人に「ハロー」などと気楽に近づいていけるものではない。
私は昭和37年に29歳で初めて大阪支店に転じて先ず悩んだのは「言葉をどうするか」だった。その意味は「短期間に覚えた下手くそな関西弁にして溶け込もうとするか、飽くまでも東京/関東風の丁寧語で押し通すか」だった。東京から3年前に転勤してきていた実弟にも教えて貰った結果、「何とかしてこちらの言葉を覚えよう」と決めた。即ち、同化を選んだ。
石破首相は既に「両手の握手」、「腕組み」、「座位での挨拶」、「集合写真に遅れ」、「スマホいじり」等々が叩かれている。これらは私には
「不慣れ」よりも「非常識」に思えてならない。あの振る舞いは国内でも「非礼」とされるのではないか。側近というか外務省にも同情したい点はあると思う。
出発前にレクチャーはしてあっても、まさか「こういう事は為さっても、これだけは」と進講してあっても、あそこまでの常識的な事柄には触れる必要があったとは考えていなかったのではないか。
敢えて言うが、5回も総理/総裁の座を目指されたのであれば、日本の総理大臣として外国の首脳との会談/折衝、国際的な会議等々の場に臨まれる時に備えて「異文化」や「礼儀作法」を予習しておく他に「初めまして。この度日本国総理大臣を拝命いたしました石破茂です。宜しくお見知りおきを。これが名刺で御座います」くらいを淀みなく言えるように、英語の勉強もしておかれても良かったのではないか。
言いたくはないが、アメリカの大手企業では良くあることで、ある日突然何処からともなく現れて「私がこの度当事業部の副社長兼本部長になりました。ついては此れ然々の私の方針で事業部を運営していくから宜しく承知しておくように」と、何時準備しておいたか知らないが、滔々と運営/施政方針をまくし立てるのだ。さらに事業部内の細部の事情にまで言及してみせるのが当たり前だ。
外務省はあの会議に参加される各国の首脳のリストを準備して、そこには政見は言うに及ばず、個人的な情報なども記載しておけば良かったのだ。その辺りが飯島勲氏の強調される外務省の「ロジ」の役目ではないか。誰だったか忘れたが、ヘビースモーカーの総理の為に、行く先々の喫煙場所の地図を用意して置いた側近がいたそうだ。これが「アテンド」なのである。
私は石破首相も用意万全でなかったと批判されても仕方がないと言いたい失態を演じたし、側近も外務省も務めをキチンと果たしていなかったのではないかと見ている。恐らく2回目の海外出張があれば「トランプ新大統領との初会談」になるのだろうから、完璧な準備と「心得」のご進講は必要だろう。一度醜態を演じたのだから、2度も同じ失敗を繰り返さないと期待しても良いだろう。