新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

相撲の中継を観ているしかないのだ

2020-03-21 08:45:36 | コラム
感染者の増加の報道は愉快ではない:

私は新型コロナウイルス問題の発生までは、夕方のテレビのニュースは「テレビならではの速報性がある事と、一日の纏め的に主な話題を振り返っているという価値があるので」なるべく見るようにしてきた。だが、ここ暫くは敢えて好みでも何でもない相撲の中継を見るようにしている。それは、テレビ局は何をさて措いても「新たな感染者の発生を最優先で報じ、しかもご丁寧にクルーズ船の感染者を加えて1,000人を超えたと寧ろ嬉しそうに言うのが不愉快だし、気分を滅入らせてくれるから。感染者の数字はニュースの最後にでも「因みに」とでも言って報じれば良いと思う。

私は感染者の数を言うならば、純粋に我が国の中で「人から人への感染者」を言えば良いのではないかと思っている。彼等は諸外国で感染して帰国された方も数えているし、湖北省からのチャーター便での帰国者の感染者まで数えている。それを言うのならば「全感染者の内訳」をキチンと報じるべきではないのか。あのような数字を出せば、国内にいる諸外国の“correspondent”たちに「日本では感染者が急増している」という記事にされてしまうのではないか。中国とは反対で、敢えて水増ししている結果になっているのではないかとすら思っている。

大体からして、我が国は何処の国とも国境を以て接していない(イヤな言い方だが)島国ではないか。何処かの国から感染者が入国してウイルスを感染させない限り、今日のように蔓延する訳がないのだ。だから、敢えて言えば現在の感染振りは何処の国の人たちが入国して広めたということは明らかではないのか。それにも拘わらず、相も変わらず自虐的に「増えた、増えた」とでも言いたいような、我が国の過失で増えたとでも言いたいような偏向した報道姿勢は許しがたいと思っている。

「そんなにマスコミというかテレビ局を怪しからんと批判するのならば、テレビを見なければ良いじゃないか」と言われそうだ。だが、持病を抱えた超後期高齢者としては安全策を採って外出を自粛し、ジムも休会手続きまでした家に籠もっているのだ。故に、欲求不満(ストレスではない、念の為)となるので、代償行為として相撲でも見ていようかとなっているのだ。お陰様で少しだけ相撲の知識が増えた。それは、翌日の取り組みが前日に決められていることだった。ICT化の時代にあれば、あの世界でも取り組み用アプリケーションがあって、場所前から決まっているのだと思っていた。

もう一つの発見は、細かいことだが無観客になって初めてハッキリと聞こえた、力士たちが土俵に上がって「まわし」を叩く音だった。あれほど大きな音がするとは知らなかった。同時に、何故全員があのように「ポン、ポン」と叩かねばならないのかと、不思議に思わせられた。もしかすると、塩を撒いた後で手に残っている分をはたき落としているのかなと思っている。



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