新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

移民、宗教、人種を考えると

2016-06-18 10:57:27 | コラム
アメリカはフロリダの大殺傷事件に思う:

実は、昨日はほとんど外出中でEmailを1本しか送信していなかった珍しい日だった。即ち、一寸解説しておけば、午前中は東京山手メデイカルセンターでの定期検診で、午後は12時過ぎに出発して東京ビッグサイトで伊藤忠が開催したファミリーフェアーで過ごし(買いまくったという意味ではない、念のため)、帰宅が午後6時近くとなって疲労したのか早寝にしてしまった次第。

これほど時間がかかった理由は未だ階段の上下が禁じられている家内と一緒だった為に、東京駅八重洲口に近い鍛冶橋にあるバスターミナルから無料の送迎バスを利用する為に、エスカレーターとエレベーターが整っているJRを利用するしか手段がなかったのから。因みに、新大久保駅は小さくて階段しかないし、シルバーパスが使える都バスと都営地下鉄の利用で行けるが、此処では階段は避けて通れないのだ。

長い導入部となったが、上記の経路で行っている間は此処百人町大久保界隈のように圧倒的多数のアジア系外国人の中に我々日本人もいるというような環境下でないのが、何となく清々しく感じさせられたのだった。確かに、フェミリーフェアー会場の中には外国人も散見されるが、それは圧倒的な少数派である。

本題から外れるが、30分も乗っていた山手線の中に見る我が国の会社員の服装が非常に貧相なのが気になった。聞くところでは、彼らというのか、あの年齢層では「服装」というものに関心が低く投資する気もなく、また失われた何年かに育った連中はお洒落にも、身嗜みを整えるという考え方が希薄だそうだが、それにつけても悲しいくらい安物と一目で解る服を着ているし、服装学を知らなすぎるので悲しいほどだ。

さて、人種問題である。フロリダで射殺されたマテイーンなる者はアフガニスタンからの移住者の二世だと報じられていた。「そういう移住者(合法化非合法化を問わず)はアメリカでは珍しくも何ともない。アメリカとはそもそもそういう成り立ちの国」という説が出るだろう。だが、現在のアメリカで色々と問題を起こしているのは、あの国の建国の頃に欧州から移ってきた民族(人種)ではないのだ。それにアメリカ人の中には「アメリカ建国の時にイスラム教徒などはいなかった」という声もある。

現在のアメリカは心も広くこれまでに世界中のあらゆる国々からの移民を受け入れてきた。建国の頃にはいなかったイスラム教徒も幾らでもいる。白人であれば何処の国から来たのか解らない人が多いし、英語もろくに話せない者だっている。カリフォルニア州にでも行ってご覧。ヒスパニックと韓国系アメリカ人以外に誰がいるのか、と尋ねたい街もある。

そういう移住してきた者たちの二世は皆アメリカ人になれる。現在のアメリカではそういう外国人にとって寛容な制度の裏目が出ている気がしてならないのだ。しかも、その問題以外に、トランプ氏が吠えているような「イスラム教徒の入国を禁じる」に代表される宗教的な対立まで生じている。マテイーンなる者が犯した大殺傷事件が宗教が絡むとは言わないが、俗に言う人種問題や差別とは何かを、私にあらためて考えさせてくれたのだった。

翻って我が国を考えてみよう。私は此処百人町大久保界隈はある意味では我が国を遠からぬ将来襲ってくるだろう問題の縮図ではないかと恐れている。それは明らかに旅行者とは思えないイスラム教徒が、私には知り得ないほど増えていて、その連中は如何なるヴィザの資格で住んでいるのか知らないが、何れは二世をもうけていくだろうと思っている。だが、あのイスラム横丁に群れている異邦人たちが我々と語り合っている様など見たことがない。私は彼らにはその気すらないと思っている。自分たちで勝手に来て、彼らのコミュニテイー(カタカナ語だ)に閉じこもって、勝手に孤立しているだけだと思う。

此処で言わば「想像を逞しゅうすれば」、我が国のような住みやすくしかも外国人に優しい国に来れば、彼らはインフラが世界最高水準に整い治安も良く、食べ物も美味く、上手くやれば生活の糧を稼ぐ手段も見付かるのだから、彼らの殻の中に閉じこもって暮らす限り何の不自由もないだろう。だが、言葉も片言程度では地元民との交流もままならず、英語では通じないのであれば、段々に阻害されていると思う不満分子が出て来るだろうと思ってしまう。

その連中がまさかテロを起こすとは言わないが、現在では自粛しているのか身を律しているのか知らないが、目に見える犯罪は犯していない。だが、マスコミ報道に見る限り、かなり知能犯的な事案に関係している中国人は多い。私が恐れるのはそういう外国人が何時か危険な存在になりはしないかという点だ。中国人には「国家総動員法」の発動の恐ろしさも考えねばなるまいか。彼らの若者の多くは懸命に日本語学校に通っている。未だ調べてはいないが、新宿区だけでその種の学校が50もあるという。容易に「労働許可」が出ない国で日本語を覚えて何に使おうというのか。

安倍総理はしきりに移民政策を言われる。それは必ずしも悪いことではあるまい。だが、移民たちを妙な方向に向かわせない融和政策を如何に巧みに採るかが問題だろう。そうでないと、それでなくとも阻害されてしまったと感じるだろう外国人を年がら年中見張っていなければならぬような事態にならないか。私は移民に対して寛容だったアメリカでは既に「コインの裏側」がこれでもかと言いたいほど出てしまった気がする。私には彼らはアメリカに住んでいられることを感謝する前に反乱を起こしたではないか。だからと言って、アメリカのようにならない為の手段や政策が簡単に採れるとはとても思えないのだ。

「半日も外国人が視界に入ってこなかったことがこれほど清々しかったことはなかった」と私が言う意味を考えて頂きたいと願うのだ、第二のアメリカになる前に。



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