家族が日本に来られないので:
ジャイアンツのスモーク(Justin Smoak)が、この度シーズン途中で自由契約となって退団し、アメリカの家族のもとに帰ったと報道された。この件では意外な程マスコミが騒がなかったし、ジャイアンツ贔屓の方々からの非難の声も聞こえて来ない気がする。我が国でアメリカ人たちの家族を優先し、家庭を顧みる姿勢が理解されていたのだったら、我が国とアメリカの文化比較論を永年唱えてきた私の大きな努力が報われたとでも喜ぶべき事かも知れない。
彼らとの違いをあらためて復習しておこう。それは、彼らは(会社勤めの場合だが)我が国のように会社に精一杯忠誠を誓って、会社のためと皆のためを思って働こうなどという崇高な精神は極めて希薄であり、会社とは自分と家族の生活の糧を稼ぎ出すための手段だくらいにしか認識していないのだ。それだから、いともアッサリと家族と家庭を優先して、自己都合で転進することがあるのだ。雇用している会社側も心得たもので、我が国のような手厚い福利厚生の施設など準備しないのだから、社宅などを用意することなどないのだ。
手近な例を挙げてみれば、私は在職中には最低でも年に6ヶ月以上は国の内外を忙しく出張で飛び回っていた。それに対して副社長兼事業部長はこちらにやって来て家内に会うときには、必ず「何時も彼を出張させて貴女を一人にさせていて済まない」という所から入っていって、食事に招待してくれたりしていた。また、本部への出張にも彼女を連れてこいとまで言ってくれたものだった。
そう気を遣ってくれた彼自身が業容の拡張に伴って余り多忙となり、土日も出勤するし、あちこちと国の内外を飛び回っていて為に、遂には子供たちが東海岸の大学入学を機に離婚してしまった、即ち、家庭を十分に顧みる余裕がなかったからだった。余談だが、ワシントン州の法律では離婚すると財産の半分を失うことになる。
野球の例を挙げよう。1988年に野球ファン、乃至は阪神タイガースファンを激高させた「ランデイ・バース(Randy Bass)のアメリカに残してきた子供の重大な外科手術に立ち会うべく、テイームを離れて帰国した事件」があった。当時は(もしかして今でも?)アメリカ人たちの家族と家庭優先の文化が知られていなかったために、記憶では「怪しからん所業だ」と非難囂々だった。確か、バース君はその我が国における彼の態度があそこまで批判されるとはと、驚愕したはずだった。
私は88年と言えば55歳でアメリカの会社に転進して16年目のことなので、この文化の相違は認識できていたし、彼等アメリカ人たちの今風に言えば「自分ファースト」で会社に対するものの見方と考え方の違いも分かっていた。故に、バース君は気の毒だったなと思って見ていた。確か、ファンの間や与論では「解雇すべし」とまでの騒ぎになっていたと思う。
もう一つ、やや本筋から外れたかのような例を挙げておこう。これは家族優先の物語と言うよりも「アメリカの経営第一線にいる者たちは、如何に猛烈に働いているか。どれほどの激職か」という話になるかも知れない。それは、36歳で我が社の#2であるSenior vice presidentに就任したチャーリーの例だ。彼は私が所属した事業部を管轄してはいなかったが、その猛烈な働き方は東京にいる私たちにも十分に聞こえてきていた。
そのチャーリーが東京にやって来て、超超強行日程の隙間を縫って東京事務所の全員と会食となった。食事が終わったところで、日本駐在副社長が「今夜は無礼講にするから、チャーリーに何でも好きなことを訊いて良し」と宣言した。だが、日本人で手を上げた者はいなかった。そこで日系人のMBAが尋ねた。その質問の内容が凄かった。
「チャーリー、貴方はまるで機械のように働き続けている。そこで、貴方の普通の日の行動を、朝起きてから寝るまでを聞かせて欲しい。そして、もし可能ならば”How many times you make love with your wife in a week.“も」と言ってのけたのだった。一同、シーンとなったのは言うまでもないか。
チャーリーは苦笑いして「私は朝3時には起きて先ず犬と散歩をする。そして5時からは前日から残っている仕事を片付けて、6時から朝食を摂って、7時台には出社する。そこで時差がある東部や中西部の事務所と電話で打ち合わせをする。9時から後は秘書が立てたスケジュールで動く。夜は概ね9時頃まで残ってから帰宅する。その後は当日の残務整理等で就寝は早くて12時頃。最近はSVPの仕事に慣れたので、日曜日は家族のために必ず開けておくことにしている。週に何回かという質問には直接答えないが、子供が3人いると言えば十分ではないか」と答えてくれた。
一同はどのように反応して良いか解らなかったが、「なるほど、それほどの激務でも家族と家庭は忘れていないのだな」と言うことは分かった。この働きぶりを我が事業部の副社長以下に伝えて見た。誰も感心しなかった。「それくらい働くのは当たり前だ。彼の年俸ではそれくらいやって貰わねば困る」という反響だった。他の会社の人たちにも経営陣の働き方を尋ねてみれば、チャーリーはごく普通の働き方だった。ただ一つ印象的だった反応はといえば、我が事業部の我がボスは「子供が3人」と聞いて「なるほど、彼の人生では3回だったと分かった」と笑って事だった。
ジャイアンツのスモーク(Justin Smoak)が、この度シーズン途中で自由契約となって退団し、アメリカの家族のもとに帰ったと報道された。この件では意外な程マスコミが騒がなかったし、ジャイアンツ贔屓の方々からの非難の声も聞こえて来ない気がする。我が国でアメリカ人たちの家族を優先し、家庭を顧みる姿勢が理解されていたのだったら、我が国とアメリカの文化比較論を永年唱えてきた私の大きな努力が報われたとでも喜ぶべき事かも知れない。
彼らとの違いをあらためて復習しておこう。それは、彼らは(会社勤めの場合だが)我が国のように会社に精一杯忠誠を誓って、会社のためと皆のためを思って働こうなどという崇高な精神は極めて希薄であり、会社とは自分と家族の生活の糧を稼ぎ出すための手段だくらいにしか認識していないのだ。それだから、いともアッサリと家族と家庭を優先して、自己都合で転進することがあるのだ。雇用している会社側も心得たもので、我が国のような手厚い福利厚生の施設など準備しないのだから、社宅などを用意することなどないのだ。
手近な例を挙げてみれば、私は在職中には最低でも年に6ヶ月以上は国の内外を忙しく出張で飛び回っていた。それに対して副社長兼事業部長はこちらにやって来て家内に会うときには、必ず「何時も彼を出張させて貴女を一人にさせていて済まない」という所から入っていって、食事に招待してくれたりしていた。また、本部への出張にも彼女を連れてこいとまで言ってくれたものだった。
そう気を遣ってくれた彼自身が業容の拡張に伴って余り多忙となり、土日も出勤するし、あちこちと国の内外を飛び回っていて為に、遂には子供たちが東海岸の大学入学を機に離婚してしまった、即ち、家庭を十分に顧みる余裕がなかったからだった。余談だが、ワシントン州の法律では離婚すると財産の半分を失うことになる。
野球の例を挙げよう。1988年に野球ファン、乃至は阪神タイガースファンを激高させた「ランデイ・バース(Randy Bass)のアメリカに残してきた子供の重大な外科手術に立ち会うべく、テイームを離れて帰国した事件」があった。当時は(もしかして今でも?)アメリカ人たちの家族と家庭優先の文化が知られていなかったために、記憶では「怪しからん所業だ」と非難囂々だった。確か、バース君はその我が国における彼の態度があそこまで批判されるとはと、驚愕したはずだった。
私は88年と言えば55歳でアメリカの会社に転進して16年目のことなので、この文化の相違は認識できていたし、彼等アメリカ人たちの今風に言えば「自分ファースト」で会社に対するものの見方と考え方の違いも分かっていた。故に、バース君は気の毒だったなと思って見ていた。確か、ファンの間や与論では「解雇すべし」とまでの騒ぎになっていたと思う。
もう一つ、やや本筋から外れたかのような例を挙げておこう。これは家族優先の物語と言うよりも「アメリカの経営第一線にいる者たちは、如何に猛烈に働いているか。どれほどの激職か」という話になるかも知れない。それは、36歳で我が社の#2であるSenior vice presidentに就任したチャーリーの例だ。彼は私が所属した事業部を管轄してはいなかったが、その猛烈な働き方は東京にいる私たちにも十分に聞こえてきていた。
そのチャーリーが東京にやって来て、超超強行日程の隙間を縫って東京事務所の全員と会食となった。食事が終わったところで、日本駐在副社長が「今夜は無礼講にするから、チャーリーに何でも好きなことを訊いて良し」と宣言した。だが、日本人で手を上げた者はいなかった。そこで日系人のMBAが尋ねた。その質問の内容が凄かった。
「チャーリー、貴方はまるで機械のように働き続けている。そこで、貴方の普通の日の行動を、朝起きてから寝るまでを聞かせて欲しい。そして、もし可能ならば”How many times you make love with your wife in a week.“も」と言ってのけたのだった。一同、シーンとなったのは言うまでもないか。
チャーリーは苦笑いして「私は朝3時には起きて先ず犬と散歩をする。そして5時からは前日から残っている仕事を片付けて、6時から朝食を摂って、7時台には出社する。そこで時差がある東部や中西部の事務所と電話で打ち合わせをする。9時から後は秘書が立てたスケジュールで動く。夜は概ね9時頃まで残ってから帰宅する。その後は当日の残務整理等で就寝は早くて12時頃。最近はSVPの仕事に慣れたので、日曜日は家族のために必ず開けておくことにしている。週に何回かという質問には直接答えないが、子供が3人いると言えば十分ではないか」と答えてくれた。
一同はどのように反応して良いか解らなかったが、「なるほど、それほどの激務でも家族と家庭は忘れていないのだな」と言うことは分かった。この働きぶりを我が事業部の副社長以下に伝えて見た。誰も感心しなかった。「それくらい働くのは当たり前だ。彼の年俸ではそれくらいやって貰わねば困る」という反響だった。他の会社の人たちにも経営陣の働き方を尋ねてみれば、チャーリーはごく普通の働き方だった。ただ一つ印象的だった反応はといえば、我が事業部の我がボスは「子供が3人」と聞いて「なるほど、彼の人生では3回だったと分かった」と笑って事だった。
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