敬称の使い方に思う:
先ほど採り上げたフジテレビのバイキングにおける坂上忍の敬称の失礼な使い方と言うよりも、敬称を使わない件で、畏友佐藤隆一氏に坂上が横粂弁護士(元代議士)を呼び捨てにしていたのを思い出させて頂けた。私はフジテレビがあれを許していたのが不思議な事だと思ってはいた。
そこで、経験談ではあるが、自慢話めいてしまう点があるので少し気が引けるが、敬称の使い方を語って見ようと思った次第。
経験談であるが、1995~96年にかけて紙流通業界(その他には光栄にも関西経営者協会もあったが)に呼ばれて「アメリカからの輸入紙は恐るるに足らず」と「我が国とアメリカの製紙産業の文化の相違点」等を講演して回っていたことがあった。これは語りの原稿等の準備があって、かなり忙しい仕事だったので、知り合いのアメリカ人のオーケストラの指揮者に「君は講演が仕事か?」と揶揄されたほどだった。それでも頻度は2年弱で6回程度だったか。その期間中の96年8月にはSBS静岡放送でのラジオコメンテーター業も始めていた。
私がこのような仕事を頂戴してから最も怖く且つ自戒していたことは「方々で先生と呼ばれること」で、もしかして思い上がって増長してしまうことだった。講演では司会者が紹介されるときには「先生」が付くし、時には「先生をエレベーターで会場にご案内を」などと言われた女性が付いてきて下さり「先生、お鞄を」などということもあるのだ。「俺はそんなに偉くないのだ。勘違いするな」と絶えず自分に言い聞かせて自戒していた。即ち、「お前は先生と言われるほどのタマじゃない」という事で、本当に警戒していた。
ラジオでは最初の頃に相手をしてくれたキャスターさんはジャズ界では有名な解説者だったが、「先生」を付けてくれなかったので安心だった。だが、中には「先生」と呼びかけて下さるキャスターさんもおられたので、ここでも「思い上がるなよ。お前は先生と言われるほど偉くはないのだ」と自分に言い聞かせていた。
自分の人生でこのような経験をするとは思っていなかったことは、関西経営者協会で呼んで下さった際には新大阪駅のプラットフォームに「何の誰先生」と書かれたカードを掲げた出迎えの方がおられて「先生」を協会差し回しの黒塗りの車までご案内頂いたことだった。恐縮するよりも誰か知り合いが見ていないかと恥ずかしかった。そのお出迎えを車中から見ていた家内は下車と同時に迎えに来ていた愚息を見つけてその方に向かってダッシュ。
余談になるかも知れないが、当時頻繁に紙流通業界に呼ばれた理由はクリントン政権の高圧的な姿勢だった。彼等が「日本の業界がパルプやチップ等の原料ばかり輸入して紙を買わないのは怪しからん。買わないとスーパー301条を発動する」と強硬な態度に出たので、業界が慌てたのだった。こちら側は「黒船が来る」と恐れおののいていたのだった。そこで、私の講演の内容は「アメリカ製の紙を恐れる必要はない。あれは黒船でも何でもない。先頃まで黒船の乗組員だった私が保証するのだから間違いない」という辺りだったが、得意の「文化比較論」も重要な部分を占めていた。
ここまでで導入部が長過ぎで、やや焦点がボケてきたかも知れない。何が言いたかったかと言えば「長幼の序と年功序列という美風がある我が国では敬称や敬語の使い方には常に気を配らねばならない。これは重要なことだと認識している。一方、アメリカ人の世界の方が、ファーストネームで呼び合っているので気が楽かのように思えるかも知れない。だが、現実にはそのような言葉で語り合っている割りには、我が国よりも上下関係は厳しいと言うか、社内における地位と身分の差の違いは我が国とは比較にならないほど大きいと、経験上も言えると思う」のだ。英語には「先生」に当たる表現はないと思う。
先ほど採り上げたフジテレビのバイキングにおける坂上忍の敬称の失礼な使い方と言うよりも、敬称を使わない件で、畏友佐藤隆一氏に坂上が横粂弁護士(元代議士)を呼び捨てにしていたのを思い出させて頂けた。私はフジテレビがあれを許していたのが不思議な事だと思ってはいた。
そこで、経験談ではあるが、自慢話めいてしまう点があるので少し気が引けるが、敬称の使い方を語って見ようと思った次第。
経験談であるが、1995~96年にかけて紙流通業界(その他には光栄にも関西経営者協会もあったが)に呼ばれて「アメリカからの輸入紙は恐るるに足らず」と「我が国とアメリカの製紙産業の文化の相違点」等を講演して回っていたことがあった。これは語りの原稿等の準備があって、かなり忙しい仕事だったので、知り合いのアメリカ人のオーケストラの指揮者に「君は講演が仕事か?」と揶揄されたほどだった。それでも頻度は2年弱で6回程度だったか。その期間中の96年8月にはSBS静岡放送でのラジオコメンテーター業も始めていた。
私がこのような仕事を頂戴してから最も怖く且つ自戒していたことは「方々で先生と呼ばれること」で、もしかして思い上がって増長してしまうことだった。講演では司会者が紹介されるときには「先生」が付くし、時には「先生をエレベーターで会場にご案内を」などと言われた女性が付いてきて下さり「先生、お鞄を」などということもあるのだ。「俺はそんなに偉くないのだ。勘違いするな」と絶えず自分に言い聞かせて自戒していた。即ち、「お前は先生と言われるほどのタマじゃない」という事で、本当に警戒していた。
ラジオでは最初の頃に相手をしてくれたキャスターさんはジャズ界では有名な解説者だったが、「先生」を付けてくれなかったので安心だった。だが、中には「先生」と呼びかけて下さるキャスターさんもおられたので、ここでも「思い上がるなよ。お前は先生と言われるほど偉くはないのだ」と自分に言い聞かせていた。
自分の人生でこのような経験をするとは思っていなかったことは、関西経営者協会で呼んで下さった際には新大阪駅のプラットフォームに「何の誰先生」と書かれたカードを掲げた出迎えの方がおられて「先生」を協会差し回しの黒塗りの車までご案内頂いたことだった。恐縮するよりも誰か知り合いが見ていないかと恥ずかしかった。そのお出迎えを車中から見ていた家内は下車と同時に迎えに来ていた愚息を見つけてその方に向かってダッシュ。
余談になるかも知れないが、当時頻繁に紙流通業界に呼ばれた理由はクリントン政権の高圧的な姿勢だった。彼等が「日本の業界がパルプやチップ等の原料ばかり輸入して紙を買わないのは怪しからん。買わないとスーパー301条を発動する」と強硬な態度に出たので、業界が慌てたのだった。こちら側は「黒船が来る」と恐れおののいていたのだった。そこで、私の講演の内容は「アメリカ製の紙を恐れる必要はない。あれは黒船でも何でもない。先頃まで黒船の乗組員だった私が保証するのだから間違いない」という辺りだったが、得意の「文化比較論」も重要な部分を占めていた。
ここまでで導入部が長過ぎで、やや焦点がボケてきたかも知れない。何が言いたかったかと言えば「長幼の序と年功序列という美風がある我が国では敬称や敬語の使い方には常に気を配らねばならない。これは重要なことだと認識している。一方、アメリカ人の世界の方が、ファーストネームで呼び合っているので気が楽かのように思えるかも知れない。だが、現実にはそのような言葉で語り合っている割りには、我が国よりも上下関係は厳しいと言うか、社内における地位と身分の差の違いは我が国とは比較にならないほど大きいと、経験上も言えると思う」のだ。英語には「先生」に当たる表現はないと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます