アメリカで体験した文化の違い:
Thanks giving(感謝祭)の晩餐会に招待されて:
80年代だったと記憶するが、偶々ご案内していた東京からのお客様の都合で、キリスト教徒にとっては非常に重要なこの日にサンフランシスコに滞在して、そこから帰国することになった。それを知ったサンフランシスコ営業所のマネージャーが、親戚までが集まるその晩餐会に招待してくれて、当日は郊外の彼の家に一泊することになった。実際に行ってみて分かったのだが、彼の家は築100年以上の何とも言えない貫禄がある木造建築で、その一室が営業所として使われていたSOHO(自宅を事務所として使用)だった。
七面鳥を焼くのはご主人の仕事で奥方も忙しいので、その樹齢百年を超えるという大木に囲まれた家の中で、双子の息子さんとお嬢さんたちと雑談をしながら晩餐を待っていた。いざ開始となってどういうものかと興味津々で見ていた。すると、先ず全員が大きなテーブルを囲んで起立し肩を組んで賛美歌を歌い、ご主人の指導の下に祈りを捧げることから入って行った。恥ずかしながら、イエズス会が運営する学校に4年もいたが賛美歌も知らず、お祈りも知らなかったので、何とかモゴモゴ言って過ごしていた。かなり緊張を強いられた。
食事中は皆で楽しく語らいながら、予てから「不味い」と聞いていた七面鳥を味わうのだが、将にパサパサで「なんでこんなものを」と思わずにはいられなかった。食事は”buffet1“形式(「カタカナ語で言う「ビュッフェ」で英語読みは「バフェー」となる」でキッチンまで銘々が取りにいって楽しむようになっていた。私は単なる食事会かと思っていたが、そこでは全員が思い思いの話題を持ち出して、それこそ楽しく深夜まで語り合うのだった。だが、困ったことに採り上げられたのは単なる世間話には終わらなかったのだった点だった。
因みに、3人のお子さんたちは皆カリフォルニア州立大学(California State University=CSUで、我が国で広く知られている州立のUniversity of California=UCとは別個)に在学中だった。ここでお金の話を持ち出せば、州立大学は私立よりは授業料等が低額だだとは聞いていたが、年間の学費は当時でも3万ドルはかかっていたと思うので、親御さんの負担は年間に9万ドルにも達するので、偉いものだと感心していた。
そこで、晩餐会中の話題である。意外であったし特に驚かされたのが、そこには所謂「西洋美術史」から「クラシカル音楽」等々の西洋の文化にまで広がっていったことだった。正直に言えば、私の貧弱な知識では容易に話題の輪の中に入って行けなかったのだった。それはベートーヴェンの第9だとか、ショパンのピアノ曲がどうのという程度は少しは語れるが、彼等のような音楽の専門語まで飛び出してくる会話では、静かに下俯いて聞いていただけだった。ましてや、泰西名画にまで飛んで行かれては、我と我が身の無教養さを嘆くのみだった。
結果的には話題がジャズやNFLのフットボールからMLBの野球にまで持っていって貰って、何とか参加できた。だが、沈黙しながらから考えていた事は「これらの話題は全て彼らの文化であり、我が国はそれらを明治以降取り入れたのである以上、そもそもが彼らのものであるから話題が豊富なのは当然である。何も私がここで恥じ入って反省する必要はないのでは」だった。考えを変えれば、そこで私が滔々と語るべきは「我が国の固有の文化」であるべきだったと言うこと。
それらとは何かと考えるときに「私は(未だに)能も歌舞伎も見たことがなく、柔道も空手も知らず、古典についても誠に不勉強で何ら語るに足る知識がなかった」と痛感したのだった。確かに、何処で如何なるアメリカ人と語り合う時にも、フットボールや野球を採り上げれば十分に会話が成立するのだ。だが、それでは所詮は借り物の文化を語っているに過ぎず、我が国の文化の紹介にはなっていないのだ。楽しい集いだったが、反省材料も沢山あった次第。
食後にはご主人がキーボード、奥方がバイオリン、お子さんたちがクラリネット、サキソフォン、フルートでクラシカルからポピュラーミュジックまでを演奏して締め括られた。変な言い方になるが「負けたな」と感じた。この一家は決してアッパーミドルではないが、かと言って中間層ではかなり上の部類に入る集団だと思った。その辺りは、その家が建っている地域がかなり高級な住宅地帯である事からも言えると思う。私は矢張り「キリスト教国との文化の違い」を学ぶ貴重な機会だったを与えられたと受けとめて、翌日サンフランシスコから帰国した。
Thanks giving(感謝祭)の晩餐会に招待されて:
80年代だったと記憶するが、偶々ご案内していた東京からのお客様の都合で、キリスト教徒にとっては非常に重要なこの日にサンフランシスコに滞在して、そこから帰国することになった。それを知ったサンフランシスコ営業所のマネージャーが、親戚までが集まるその晩餐会に招待してくれて、当日は郊外の彼の家に一泊することになった。実際に行ってみて分かったのだが、彼の家は築100年以上の何とも言えない貫禄がある木造建築で、その一室が営業所として使われていたSOHO(自宅を事務所として使用)だった。
七面鳥を焼くのはご主人の仕事で奥方も忙しいので、その樹齢百年を超えるという大木に囲まれた家の中で、双子の息子さんとお嬢さんたちと雑談をしながら晩餐を待っていた。いざ開始となってどういうものかと興味津々で見ていた。すると、先ず全員が大きなテーブルを囲んで起立し肩を組んで賛美歌を歌い、ご主人の指導の下に祈りを捧げることから入って行った。恥ずかしながら、イエズス会が運営する学校に4年もいたが賛美歌も知らず、お祈りも知らなかったので、何とかモゴモゴ言って過ごしていた。かなり緊張を強いられた。
食事中は皆で楽しく語らいながら、予てから「不味い」と聞いていた七面鳥を味わうのだが、将にパサパサで「なんでこんなものを」と思わずにはいられなかった。食事は”buffet1“形式(「カタカナ語で言う「ビュッフェ」で英語読みは「バフェー」となる」でキッチンまで銘々が取りにいって楽しむようになっていた。私は単なる食事会かと思っていたが、そこでは全員が思い思いの話題を持ち出して、それこそ楽しく深夜まで語り合うのだった。だが、困ったことに採り上げられたのは単なる世間話には終わらなかったのだった点だった。
因みに、3人のお子さんたちは皆カリフォルニア州立大学(California State University=CSUで、我が国で広く知られている州立のUniversity of California=UCとは別個)に在学中だった。ここでお金の話を持ち出せば、州立大学は私立よりは授業料等が低額だだとは聞いていたが、年間の学費は当時でも3万ドルはかかっていたと思うので、親御さんの負担は年間に9万ドルにも達するので、偉いものだと感心していた。
そこで、晩餐会中の話題である。意外であったし特に驚かされたのが、そこには所謂「西洋美術史」から「クラシカル音楽」等々の西洋の文化にまで広がっていったことだった。正直に言えば、私の貧弱な知識では容易に話題の輪の中に入って行けなかったのだった。それはベートーヴェンの第9だとか、ショパンのピアノ曲がどうのという程度は少しは語れるが、彼等のような音楽の専門語まで飛び出してくる会話では、静かに下俯いて聞いていただけだった。ましてや、泰西名画にまで飛んで行かれては、我と我が身の無教養さを嘆くのみだった。
結果的には話題がジャズやNFLのフットボールからMLBの野球にまで持っていって貰って、何とか参加できた。だが、沈黙しながらから考えていた事は「これらの話題は全て彼らの文化であり、我が国はそれらを明治以降取り入れたのである以上、そもそもが彼らのものであるから話題が豊富なのは当然である。何も私がここで恥じ入って反省する必要はないのでは」だった。考えを変えれば、そこで私が滔々と語るべきは「我が国の固有の文化」であるべきだったと言うこと。
それらとは何かと考えるときに「私は(未だに)能も歌舞伎も見たことがなく、柔道も空手も知らず、古典についても誠に不勉強で何ら語るに足る知識がなかった」と痛感したのだった。確かに、何処で如何なるアメリカ人と語り合う時にも、フットボールや野球を採り上げれば十分に会話が成立するのだ。だが、それでは所詮は借り物の文化を語っているに過ぎず、我が国の文化の紹介にはなっていないのだ。楽しい集いだったが、反省材料も沢山あった次第。
食後にはご主人がキーボード、奥方がバイオリン、お子さんたちがクラリネット、サキソフォン、フルートでクラシカルからポピュラーミュジックまでを演奏して締め括られた。変な言い方になるが「負けたな」と感じた。この一家は決してアッパーミドルではないが、かと言って中間層ではかなり上の部類に入る集団だと思った。その辺りは、その家が建っている地域がかなり高級な住宅地帯である事からも言えると思う。私は矢張り「キリスト教国との文化の違い」を学ぶ貴重な機会だったを与えられたと受けとめて、翌日サンフランシスコから帰国した。
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