コーンビーフ・サンドイッチ他:
パン1対コーンビーフ9のサンドイッチ:
1976年頃だったか、アメリカ人のDon Maloney(ドン・マローニ)という人(ペンネームだったとか)が「外人はつらいよ」(PHP研究所)を上梓されて、かなりの人気だった。私も勿論買って興味深く読んだものだった。原題は“It’s not all raw fish.”だったのも面白い。
この中でマローニ氏が皮肉っぽく取り上げていたのが「日本のハムサンドイッチは、何でパンが90%を占めていてハムが10%なのか」だった。即ち、「アメリカではこの正反対の比率であること」が強調されていた。当時は未だアメリカの食事にそれほど慣れ親しんでいなかったので「そんなこともあるのか」程度に受け止めていた。
ところが、我が事業部の日本向け売上高が急上昇したのにつれて、私の定宿が1975年頃のシアトル空港前のチェーンホテルから、シアトル市の南にあるSouth Centerと言うショッピングセンターの中の全室スイートルームというホテルから、80年代後半にはシアトル市内のFour Seasons Olympicに移っていった。それは良き格上げだったが、市内に移るとショッピングセンターの中の頃と比べて、土日の週末の食事の場所を探すのに当初は苦労した。何れのホテルもCorporate rateと言う特別価格が提供されている。
ある土曜日の昼時、Four Seasonsの近所を歩いていると、“Corned beef sandwich”と大書した看板を出しているカウンターだけの店を発見して入って見た。因みに、「コーンビーフ」は正しくは“corned beef”で「塩漬けの牛肉」のことである。我が国ではコーンビーフと聞くと缶詰しか思い浮かばないが、アメリカではそれを薄切りにしたサンドイッチが出てくるのだ。
そこで現物を貰ってみれば、マローニ氏の指摘通りの比率でパンが申し訳程度に上下にあるだけで、口に入りきれないのではと心配になったほどの大量のコーンビーフが挟まっていたのだった。しかも、何とか噛みついてみれば、その味は“Very good!”だった。値段までは流石に覚えていないが、その後何回か通うようになった。だが、残念ながら知らぬ間に閉店してしまった。
サンドイッチ類は本社ビル内のCafeteriaでも何種類か食べられたが、何れも中身の比率は少なくても80%にはなっていた。これは食文化の違いか、それとも「パン」に対する我が国の観念が違うせいかと思っている。
余談になるが、マローニ氏の他の皮肉の例を取り上げておこう。彼は成田に新国際空港が建設されると聞いて、数人のお仲間と予定地を訪ねられたそうだ。その感想はと言えば「この空港に行くためには新規のパスポートが必要になるのではないかと語り合った」だった。78年になって実際に藤沢から行ってみた感想は「上手いこと言えている」(=“Well put!”)だった。
「貴女は韓国人?」:
シアトル市内にも何軒かの、駐在員たちに人気が高い日本料理店があった。本社があった(本当に悲しいかな、もうないのです)Tacoma市(現在はFederal wayに地名変更)のTacoma Mallの中にも人気店があった。そこを商社の駐在員と昼食に行った時のことだった。レジに立っている女性がどうもそうとしか思えなかったので、一寸だけ覚えた韓国語で「貴女は韓国人?」と振ってみた。彼女は驚いた顔で「ネー」と韓国語で答え「貴方も韓国人か」と返してきたので「アニヨ」と否定した。
シアトル市内にもテイクアウト専門のおにぎりの「熊五郎」という店があった。便利なので週末には何度か利用していた。ここでも何となく感じたので、売り場の女性に英語で尋ねてみると、矢張り韓国人だった。このように太平洋西北部の都市では、韓国人が運営する日本料理店が多い感があった。
私は日本食に殆ど執着心がないので、誘われでもしない限り日本料理店には行かなかった。だが、我々よりも寧ろアメリカ人の方が日本食を好んでいたようだった。彼らにとっては韓国人の店であっても気にはならなかったようだった。
「チェックアウトしなくても良いじゃないか」:
これは、アメリカ的合理主義かと思わせられた話である。80年代後半になって(偉そうに言えば「事業部を挙げての努力のお陰で」)我が事業部の日本向け輸出が大きく伸びてくるのに従って、本部に出張中は極めて多忙になって来た。そして、毎日のように何処かに移動する過密スケジュールになった。その場合に屡々シアトル市内のFour Seasonsから一泊の予定で、市内から約200km以上南になる工場にお客様をご案内することがあった。
同僚に「その際に一々荷物を纏めて、必要な物だけ持って、残りはホテルに預けてチェックアウトして、さらに予約を入れて出かけるのが面倒だ」と泣き言を言ったら「君も解っていないな。何もチェックアウトしないで、もし不安ならばリセプションに“I’ll keep the room.”と告げて出かければ良いじゃないか。その外泊が予算内に収まるのであれば、心配ないだろう」と言われた。
これは誠に尤もな指摘なのだった。我々の予算の使い方は出張費の枠内に収まるのであれば、どう使おうと各人の裁量に任されているのだから。恐らく、こんな出張の仕方をすれば、我が国の会社では重複した宿泊の経費は認められないだろうが、少なくとも我が社では咎められることはないのだった。この辺りはアメリカ的合理主義と思うよりも「予算」というものの使い方に対する考え方の違いだと思っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます