ある国文学者の意見では:
先日採り上げた“何故「母校」としたのか”について、国文学者のKS教授から見解を聞かせて頂けたので、紹介してみようと思う。
>引用開始
「母校」については「在学中の学校を指す場合もある」ということになっているようです。それはgooの辞書には「補説」として「現在学んでいる学校について言う事もある」とでています。
それから「学生時代」はschool daysの訳語に相当する適切な語がないため、このようなことになったのでしょう。Poetは、狭義には「詩人」ですが、文学者全般を指す場合もあります。
「学生」というのもstudentの訳語としては大学生以外も意味し、日本国内における「学術用語」としては「大学生」という意味になるようです。Wikipediaには「英連邦諸国では中学及び高等教育機関である専門学校や大学」に入学している者を指す」とあります。
ちなみにアルダ医学の副学長さんは、大手出版社で月刊誌と週刊誌の両方の編集長をやった方ですが、大学の学生さんについて語るときに、いつも「ウチの生徒は」といっています。厳密にいえばこれも「誤用」なのでしょうが、「学生」と「生徒」を総括するstudentにあたる語が日本語にはないため、こういう混乱が起こるのは仕方ないと私は考えています。
英語でwriter、仏語でecrivainといえば著述家全般指しますが、日本語の「作家」はもっぱら「小説を書く人」の意です。「ライター」というのは日本では「フリーランス・ライター」のことで、どの社にも所属せずジャーナリスティックな媒体に記事を書く存在をあらわしますから、文芸批評家とか在野の歴史学者とかは「ライター」とはいいません。
佐藤優は「作家」を称していて、彼は小説は書かないのでやや違和感がありますが、writer、ecrivain、日本語でいったら「物書き」に近いニュアンスでそう言っているのだと考えれば理解できます。
<引用終わる
母校よりも他の言葉の方が中心になってしまった感がなきにしもあらずだが、「へー、そういう辞書もあったのですか」と思わせて頂けた。KSさん、有り難う御座いました。
先日採り上げた“何故「母校」としたのか”について、国文学者のKS教授から見解を聞かせて頂けたので、紹介してみようと思う。
>引用開始
「母校」については「在学中の学校を指す場合もある」ということになっているようです。それはgooの辞書には「補説」として「現在学んでいる学校について言う事もある」とでています。
それから「学生時代」はschool daysの訳語に相当する適切な語がないため、このようなことになったのでしょう。Poetは、狭義には「詩人」ですが、文学者全般を指す場合もあります。
「学生」というのもstudentの訳語としては大学生以外も意味し、日本国内における「学術用語」としては「大学生」という意味になるようです。Wikipediaには「英連邦諸国では中学及び高等教育機関である専門学校や大学」に入学している者を指す」とあります。
ちなみにアルダ医学の副学長さんは、大手出版社で月刊誌と週刊誌の両方の編集長をやった方ですが、大学の学生さんについて語るときに、いつも「ウチの生徒は」といっています。厳密にいえばこれも「誤用」なのでしょうが、「学生」と「生徒」を総括するstudentにあたる語が日本語にはないため、こういう混乱が起こるのは仕方ないと私は考えています。
英語でwriter、仏語でecrivainといえば著述家全般指しますが、日本語の「作家」はもっぱら「小説を書く人」の意です。「ライター」というのは日本では「フリーランス・ライター」のことで、どの社にも所属せずジャーナリスティックな媒体に記事を書く存在をあらわしますから、文芸批評家とか在野の歴史学者とかは「ライター」とはいいません。
佐藤優は「作家」を称していて、彼は小説は書かないのでやや違和感がありますが、writer、ecrivain、日本語でいったら「物書き」に近いニュアンスでそう言っているのだと考えれば理解できます。
<引用終わる
母校よりも他の言葉の方が中心になってしまった感がなきにしもあらずだが、「へー、そういう辞書もあったのですか」と思わせて頂けた。KSさん、有り難う御座いました。
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