新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

責任の取り方の問題

2021-12-17 08:11:17 | コラム
「頂門の一針」12月17日号で:

轟晃成氏が「人間社会考察」として、「責任をとる」とは如何なる事かを述べておられた。これを読んで、言うなれば触発されて、この事とは直接結びついてはいないかも知れない出来事を思い出した。

それは我が社でかなり軽率なというか、我が国の方々が“human error”即ち、人為的な失敗と表現される事故が起きた時のことだった。偶々こちらに来ていた副社長がその得意先に出向いて「早速本部の担当者と工場に厳命して可及的速やかに改善策を講じることと、現場の係長を辞めさせることにしたので、最早この種の過ちは再発しません」と言って謝罪した。

ところが、担当部署の部長さんには「その対策は誤りである。過ちを犯した者を馘首してはならない。彼をその地位に止めて何故過ちを犯したかを追及させて『失敗から学ぶこと』を経験させるべきだ。貴方方は直ぐにクビにするという短絡的な措置を講じるが、それは最善の策ではないと知るべきだ」と、理路整然と解き明かされたのだった。言い方を変えれば「アメリカ式に辞めさせることが責任の取り方ではないだろう」と説諭されたのだった。我が副社長はそれを聞いて反省し、係長を十分に説諭して留任させ、二度と同じ事故を起こさないようにした。

これだけのことなのだが「責任をとらせる」ということの考え方に、このような我が国とアメリカ式の間に違いがあると学習した出来事だったので、30数年も経った今になって取り上げてみた次第だ。


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