「鉄面皮」の誤りではないのか:
言うまでもあるかも知れないが、不信任案が可決された斎藤元彦兵庫県知事のことである。昨日、斎藤知事が可決されて以降初めての登庁でインタビューに答えている場面が放映された。私はこの件は現在進行中の自由民主党総裁選やアメリカの大統領選挙や、敢えて言うが大谷翔平が55-55以上何処まで記録を伸ばすか等の案件と比較すれば、minor league issueだと認識している。
だが、あの知事が答えておられたのを聞いていると「この方は何か根本的に錯覚しておられるのでは」と痛感した。知事は「考えが固まってきたので今週中に記者会見で発表する」と言うのだった。彼は「自分が自分を支えているはずの県議会に不信任されたことの意味を理解しておらず、恰も召使いが反乱を起こしたのは不当であり、過ちを正してやろう」とでも認識しているとしか思えないのだ。
そのインタビュー前にも、日テレだったかでアナウンサー(キャスター)と1対1の話し合いを求めたときにも「辞職して県議会を解散すれば、二度も選挙をすることになって30数億円の費用が」と問いかけられると「自分は県政を改革し合理化したので(それくらいの経費は惜しまない)」とでも言いたげだったにも恐れ入っていた。
これらの言動を総合して聞いていると「自分は改革を推進してきた立派な実績があるので、ここでは失職などは選ばず、再選挙に打って出て再選されて(県民に再選させて)改革を推進すべきであると決意した」と言っているようにしか受け止められなかった。間違っていればご免なさいだが「紛う方なき確信犯であり、何者も彼の進路を遮ることは許さないという固い決意の表明だった」と理解した。
本気で再選挙をする意向なのであれば、最早残された(彼を排除する)手段は兵庫県民の判断を待つしかないのではないか。自由民主党総裁選でも、所属する国会議員と党員たちの良識ある判断を待つしかないのと同様に。
「鋼のメンタル」とは「斉藤知事が鋼鉄のように強い精神力の持ち主」と言いたいのだろうが、私には「鉄面皮」のようにしか見えないのだ。「鉄面皮」とは広辞苑には「鉄のような皮、恥を恥とも感じないこと、厚かましいこと、図々しいこと。またその人」とある。この方が適切な形容の仕方だと思うが。
終わりに、カタカナ語排斥論者から一言。「メンタル」(綴りはmental)は「精神力」という名詞の形で使われてしまっているが、この単語は形容詞であり、Oxford English Dictionaryには「必ず名詞の前に置く」と出ている。それを名詞の前に置くとなっているmainと同じように名詞化して、カタカナ語にしてあるのだ。英語の単語をどうカタカナ語化しようと勝手だが、間違った使い方をするのは看過できない。
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