新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月14日 その2 アメリカの格差と人種差別問題の考察

2020-09-14 14:15:28 | コラム
アメリカには相互に交流がない独自の階層があるだけかも:

この度、US OPENのテニス大会を大坂なおみさんが制して、7枚あったと報じられていた警官に殺されたというアフリカ系の人たちの氏名を記した黒いマスクが話題になっていた。更に大坂さん自身が「私は黒人」と名乗ったことに少なからず刺激を受けたので、ここにあらためて私が見聞したというか経験した範囲内の、アメリカにおける格差と人種差別を私なりに振り返ってみようかと思うに至った。

私は22年はもの間、言わばアメリカの支配階層と言うべきか、あるいはずば抜けて裕福な人たちが運営する会社に勤務していた。しかし、そういう大手の企業では事務等の実務を担当する中間層の白人たちも当然のようにいるし、会社側とは全く別個の存在である職能別労働組合に所属する現場の人たちが構成する、トランプ大統領の表現を借りれば、“working class”という彼の支持層である労働組合に所属する労働者階級もいるのだ。私は会社側としては珍しいことで、組合の人たちと何度も話し合ったことがあった。だが、ここにはアフリカ系の人に出会ったことがなかった。

これまでに何度も繰り返し述べてきたことだが、私は在籍した2社で一度もアフリカ系アメリカ人の社員に出会ったことがなかった。例外としては、W社でたった一度人事部に在籍していたマネージャーの肩書き(確認して置くが、通常これは地位のことではないし、手当ても支給されない)を持つ者が東京事務所の調査に来た時に、短時間インタビューされたことがあった。だが、彼はその後間もなく本社に出張したときにはもう辞めていた。

会社を離れれば、街中で買い物をするとかホテルに滞在することがある。そこでもアフリカ系と語り合うとか、直接に接することはほとんどなかった。確かに、ホテルのダイニングルームやコーヒーショップに行けば、アフリカ系のウエイターはごく普通にいる。だが、彼等と語り合うことはない。精々“More coffer?”とお代わりが要るかと尋ねられて、“No thank you. I’ll stay with this.”などと答える程度の遣り取りだ。

ウエイターたちにアフリカ系が多いというように、私が見るところでは彼等の為の職種があるのだ。ウエイターたちの他に考えられるのが、ホテルにおける掃除夫であるとかベッドメイキングの係等である。W社ではパートタイムかどうかは不詳だが、mail boyといって各事業部に郵便や書類を配達している若者がアフリカ系だった時期があった。要するに、彼らの多くははこういう職種に固まっているのだ。勿論、裕福な家庭に育ち、頭脳明晰で一流大学を出て弁護士になるとか、地方や国会議員になっている者もいる。

また、アフリカ系が数多く進出している分野には、アメリカの三大スポーツである野球、フットボール、バスケットボールの有力選手、いや過半数はMLBの野球が南アメリカからやって来た者と同様に圧倒的に多いように、彼らの主たる活躍の場となっているし、その収入が年間何十億円にもなる言わば“Land of dream”の如きである。彼等は映画、演劇、音楽の世界にも数多く進出しているのはご高承の通りだ。

その他の塊というか階層には中国や韓国人等のアジア系の集団がある。彼らの二世や三世ともなれば学業成績優秀で一流企業に職を得ている者もいれば、地方なり国会に議席を持つにいたる者もいるようだ。だが、私の見聞した範囲では韓国系の者たちはその数が増加するにつれて、従来はアフリカ系やヒスパニック系の職域だった分野に進出していったように見える。俗に言われていたことは、何年前だったかのロスアンジェルスの暴動は、韓国系の流入人口に職を奪われたアフリカ系の反撃が高じて、銃撃戦にまでなってしまったのだ。

もう一つの大きな塊がヒスパニックであろう。これは南アメリカが陸続きであるので不法入国が多く、色々な点でというか分野で、白人乃至プーアホワイトと言われるアメリカ人の職場を奪っていたことがあったようだ。私には彼等ヒスパニックが合法で入国したかどうか知る由もないが、カリフォルニア州等では本当に至る所に彼等がいた。我が事業部が嘗てカリフォルニア州の南部というか東部に工場を持っていたときには、メキシコ人が数多くいたものだった。90年にNYのホテルに泊まったときには、ダイニングルームのウエイターたちは皆スペイン語で話し合っていた。

上述のようにキューバから来ているMLBの野球選手も含めて、南アメリカから来てスポーツの分野で大富豪になっている者たちもいる。だが、私が見る限りでは彼等はハリウッドやカリフォルニア州の方々の豪邸に住んではいるが、彼等が白人の支配階級の仲間入りしているとは思えないのだ。矢張り彼等は彼らの塊を作っているだけではないのだろうか。即ち、私は白人の支配階層、白人の中間階層、プーアホワイト、労働者階層、アジア系、アフリカ系、ヒスパニック系という具合に、それぞれの塊(というか階層)を形成しているだけだと見ている。

これは以前にも指摘したことで、それぞれの塊は別個の集団であり、一つの集団から他の集団への移動というか転出はないようのだ。また、それぞれの塊を繋ぐパイプ乃至は横串のような機関(器官?)もなければ、人的な交流があるのだろうかと思わせてくれる。そのような乖離の状況を外からあるいは内側で見て「差別」だの「格差」だのと言っているような気がしてならない。私にはその塊を破壊乃至は溶かして、相互に交流させて融合させることが出来るのかなと感じて眺めていた。

私はカリフォルニア州の工場では事務職や現場にいたヒスパニックと話をする機会があった、彼等は極めて控え目で本部から来た私に対しても遠慮がちだった。彼等が移民なのか二世か知らなかったが、彼等は皆普通に英語を話していたが、当然のように彼らの間ではスペイン語だった。98年だったかにLAXの空港の食堂でウエイターに僅かに知っているスペイン語で「水を下さい」と注文した時の喜びようと言ったらなかった。「アメリカ人たちは一向にスペイン語を覚えないが、日本人が話してくれたとは嬉しい」と感謝されたのだった。これが差別の表れかと思った。

念の為に確認しておくと、私は本部から日本駐在のマネージャーとして派遣された形になっていて、東京事務所を主たる仕事場としていた。アメリカには頻繁に出張して年間で合計すれば3~4ヶ月は滞在していたが、住んでいた訳ではない。



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